10万円の給付金を受け取れないのは、DV被害者だけではない。あの頃の私も、きっともらえなかった

社会において何かのしわ寄せがいくのは、きっと20代の私と同じような立場の人たちだ。
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新型コロナウイルスの影響で、国民に一律10万円の現金給付がされると決定した。しかし当初、給付の申請をするのは世帯主に限られており、給付金を受け取るのは世帯主になっていた。このことを受けて、DVを受けている女性たちが受け取れないと声が上がり、一定の要件を満たせば、避難先で給付金が受けられることが決まった。しかし、DV被害者以外にも受け取れない人がいる。それは、引きこもりをしていた20代の私と同じような立場の人たちだ。

無職ゆえ、お金のなかった20代。マシな人間になるにはお金が必要

私は短大を卒業して最初に勤めた会社がブラック会社で、貧困と過労から自殺を試みたが失敗。その後、精神病院に入院した。退院した後は、母が待っている団地に2人で暮らすことになった。父は諸事情から自分の妹、私から見た叔母と暮らすことになり、私の両親は私が20歳の時に、別居することになったのだ。

精神病院を退院して、しばらくしてから私は就職活動をしたけれど、どこにも受からなかった。不況の波が日本を覆っていて、再就職をしようにもできなかったからだ。

私は就職を一旦諦めて、病気を治すことに専念しようと思い、良い医者がいると聞けば、何ヶ月も前から予約をとって通院した。でもあまり良い医者でなくて、病気はよくならなかった。

朝起きて、遅い朝食をとり、母と一緒にワイドショーを見る。そのうちに昼ご飯の時間になり、母が作ってくれた昼食を食べる。午後は自分の部屋にこもってずっとテレビゲームをやったり、本や漫画を読んだりしていた。働いている人からしたら、好きなことをして幸せそうに見えるかもしれない。しかし、心の中は同年代の友人たちから大きく遅れを取っているという焦りがあった。家から出ない生活を続けていると、身体が鈍るので、自転車を漕いで中古ゲーム屋さんへ向かう。田舎ゆえ、車がメインの社会なので、お店は密集しておらず、目的の店まで自転車で片道30分くらいかかった。

店の前に自転車を置くと、ドアをくぐり、ゲームの種類を眺める。

「あ、このゲーム、新作が出たんだ」

思わず、小さな声で呟いてしまう。欲しいけれど、買うお金がない。無職ゆえ、母親にたまにお小遣いをもらうか、学生時代に買った漫画や服を中古で売って生活費を稼いでいるという有様なのだ。仕方ないので、たいして欲しくない980円のゲームをレジに持っていく。小さなビニール袋に入ったゲームを眺めて、このゲームで何時間時間が潰せるだろうかと考えた。

家に帰る途中に、古着屋さんがあったので、寄ることにした。古着屋さんといっても、海外のインポートを売る店ではなく、各家庭の古着を安価で買取り、再度販売しているお店だ。少し、消臭剤の匂いがする店内を物色して歩く。いいな、と思う洋服があっても1000円以上だと買う気がしない。引きこもっているのだから、ほとんど人と会わないけれど、たまには気に入った洋服を着て外を歩きたい。買わなくてもいいから試着だけしようと思い、ズボンのチャックを上げたらウエストが閉まらない。思えば、薬の副作用と、ストレスによるアルコールの摂取で、ずいぶん太ってしまったことに気がつく。結局何にも買わないで店を後にした。

お金が欲しいと思った。

ちゃんと仕事を見つけて稼ぐことも大事だけど、もうちょっとマシな人間になるにはお金が必要なのだと知った。

中には、ファミレスで水しか飲まない人も

そんな生活を数年続けた後、精神科のデイケアに通うようになった。メンタルクリニック に併設されたデイケアは仕事ではないが、生活のリズムを整えるのに役立った。

デイケアではみんなで料理をしたり、カラオケに行ったり、スポーツをしたりする。ひとりきりで家でゲームをしているより、ずいぶんマシだった。

デイケアに参加している人たちは、当たり前だけど、みんな無職だった。デイケアが終わった後、みんな話し足りなくて、ファミレスに行くことが習慣のようになった。みんな、決まってドリンクバーしか頼まない。ひどい人になると水しか飲まない人もいる。思えば、ドリンクバーだけで、あんなに場所を占領してしまって悪いことをしたと思う。けれど、私たちのような精神疾患を持っている人たちは、仕事もないし、お金もないのだ。

そんな時代を10年くらい過ごし、私は実家をでて1人暮らしを始めた。一時期生活保護を受けたが、現在は事務のパートと文筆業で生計を立てている。

もし、あの時10万円の給付があったなら…

最近、テレビやネットを賑わせているのはコロナウイルスによる経済難によって、国民に一律10万円が給付されるというニュースだ。それを見て、もしこれが、お金が欲しくて仕方なかった引きこもりの時の話だったとしたら、給付金を手に入れられたのだろうかと考えて、母にラインを送った。

私「お母さん、突然なんだけど、昔、実家にいた時って、お父さんと世帯は分離していたの?」

母「久しぶり!元気?あの頃は、お父さんが世帯主だよ。お父さんと私と、エリちゃんになっていたよ。どうして?」

私「いや、もし、お母さんと一緒に暮らしていた時に、今の10万円の給付があったとしたら、ちゃんともらえたのかなって思って」

母「そうだったの。そうだね、多分、あの頃だったらもらえなかっただろうね。お父さんだけが全部持っていっちゃったと思う。今回の給付金は世帯主が申請して、その人の口座に入るんだもんね。それに、今回の給付金以外にも何回かそういうのがあったけど、お母さんは一度ももらっていないし。世帯分離したらもらえたのかもしれないけど、お母さんも保険とか年金の関係でそれができないでいたから。それにもらえるとしても、お父さんにわざわざ連絡したくないしね」

私「私が実家を出て1人暮らししていた時も、お父さんの世帯に入っていたから、給付金はもらえなかっただろうね。その後は生活保護だったからなあ。生活保護の人には給付金、出ないだろうし。収入になっちゃうから、保護費から差し引かれるんじゃない?」

母「ニュースで見たけど、今回は生活保護の人にももらえるみたいよ。」

私「え?そうなの?私が生活保護を受けていた時はそういう一時金からは除外されてたけど。今回は特別なんだね」

父は酒と競輪や競馬、ギャンブルが大好きな人間だった

私の父親は暴力をよく振るう人だった。酔っ払って帰ってくると「酒を出せ!」と怒鳴り、冷蔵庫に冷えたビールが入っていないと、私が買いに行かされた。現在はお酒の自販機は無くなったが、私が子供の頃は街中に普通にあった。

小学生の私が買ってきたビールを父は礼も言わず飲み干す。母はご飯が終わってしまったのに、再び台所に立ちおつまみを作っている。私は父のコップにビールを注いで仕事の愚痴を聞いてはうなずいた。

私がそうやって気を使っても、ちょっとした家族の言動で父は怒り、机を蹴っ飛ばして、食卓の上をめちゃくちゃにした。そして、私が布団に入った後も、父の罵声と暴力は続き、母の泣きそうな声が聞こえる。私は恐怖に怯えながら眠りについた。そんな生活は何年も続いた。

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さらに父は、大変金遣いが荒かった。休日になると、決まって競輪場か競馬場に行った。日曜の朝の私の仕事は駅前のキヨスクへ競馬新聞を買いに行くことだった。

「競馬新聞は『一馬』だからな。後、『デルカップ』の辛いやつ買ってきてくれ。『デルカップ辛いの』って言えば伝わるから」

父からお金を渡されて、駅までの道をとぼとぼ一人歩く。私の住んでいる街は茨城の南の方にあり、都心に家を買うことができない人たちが集まるベッドタウンだ。緑が多く、田んぼもありのどかだが、面白いものはあまりない。それでも、住んでいるここが生活の全てで、それより広い世界を私はまだ知らなかった。

駅までは大人の足で20分くらいなので、子供だともう少しかかる。長い登り坂を越えて、少しくだると駅が見える。ゴールに到着した私は、ドキドキしながらキヨスクのおばさんにこう告げる。

「イチウマとデルカップカライノください」

幼い私は父の言った「デルカップ辛いの」というのを商品名だと思っていたのだ。それでも、きちんとキヨスクのおばさんはそれを渡してくれた。今思うと、デルカップはお酒なのだけれど、小学生によく売ってくれたなと思う。

父のお使いを終えて、家に戻ると、父は礼も言わず受け取って、競馬新聞を眺めている。しばらく予想をした後、電話の受話器をとって、ボタンを押し始めた。私の家は、まだ黒電話が主流の頃にいち早くプッシュホン式に変更した。なぜなら、プッシュホンだと馬券が買えるからだ。

そのあと、父は競輪場へ出かけた。

父は競輪と競馬を両方やるギャンブルが大好きな人間だったのだ。

「お父さんの博打のお金、あれ使っていなかったら、家一軒は建ってたわね」

前に、実家に帰った時、母はそう言った。母は父からお給料を少ない額しか渡してもらえず、生活に苦労した。私より、母の方が父のお金に詳しいのは確かだ。

父はお金に汚いので、母に渡して欲しいと言われて親戚から預かったお金を母に渡さないで、自分のポケットに入れたことが何回もある。

毎晩飲み歩いていたし、休日は博打に行っていて、外に女も作っていたので、使ったお金は相当な額だっただろう。

しわ寄せがいくのは、最終的に弱い人のところ

「それに、なんとかもらうために役所に行くとしても、窓口で『DV受けてます』っていうのも恥ずかしいしね」

私は母のその言葉を聞いた時、ハッとした。今回、DVを受けている人にも給付ができるようにするけれど、その手続きは役所の窓口で行うのだ。しかも、世帯主の暴力から避難していることが証明できる書類を提出するそうだ。

そのことを役所に申し出るのは、感情的に難しいという人も中にはいるのではないだろうか。それに、別居している世帯主が、妻と子供の分をもらおうと思ったのにもらえないと知ったら怒り狂うこともあるだろう。

今回の給付金だが、自分が世帯主だったとしても、引きこもり状態にある人や、20代の私のように重い精神疾患を患っている人だったらきちんと受け取れるかどうかも疑問だ。役所の書類は難しいものが多く、精神障害者手帳の申請や更新手続きは慣れるまで私も時間がかかった。

社会において、何かのしわ寄せがいくのは、最終的に弱い人のところなのだ。

社会の中で力のない人が、安心して暮らせる社会こそが、真の意味で強い国だと思う。

(編集:榊原すずみ

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