こんな時だからこそ、息つける場を━━。虚業だなんて言わないで

医師として仕事をこなし、帰りの電車にぼうっと揺られている時、私が耳を傾けているのはお気に入りのアーティストの曲であり、育児や家事が終わり、眠る前の短い時間で私を癒してくれるのは、本なのだ。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、緊急事態宣言が出されてから約3週間が経過した。

百貨店は休業し、日用品や食料以外の買い物はできず、遊びに行こうにも美術館もライブハウスも映画館もショッピングモールも休業している。

もともとゲームと読書が趣味で、アウトドア好きの友人からは“それって無趣味ってことじゃん”とからかわれがちな私はあまり生活に変化はないのだが、社交を好むひとたちにとっては苦痛の大きい生活だろうなと思う。

医療従事者をやっているので、失業の危機には晒されていない。

失業による金銭的困難から、犯罪の手先のようなことに誘われる若者もいるようで、生活に困らないこの状況に感謝せねばならないと、厳しい経済状況を伝えるニュースを見ながら気を引き締める日々である。

ここのところ、SNSでもテレビでも、医療従事者に対する“ありがとう”が溢れている。看護師のこどもが保育園登園を拒否されたというニュースを耳にすれば、怒ってくれるひとのほうが圧倒的に多いのが現状である。

先日、銀座では医療従事者に対する感謝の気持ちとして、鐘が打ち鳴らされた。

皆さんの善意がありがたい。同時に、とても気まずい。医療従事者として、自分が100%の力を発揮しているわけではないからだ。

数週間前、後期研修医時代に勤務医をやっていた地域で新型コロナウイルスの集団感染があったことが明らかになった。

都心から遠く、平素より病院もそこで働くスタッフの数も不足している、いわゆる医療過疎地域である。中核となるひとつの病院がその地域の医療を一手に引き受けており、当然、新型コロナウイルスの治療もそこで行われることになったそうだ。

これはその地域に限ったことではないが、コロナウイルス前から、病院という場所は基本的に最低限の人数の医師で現場を回している。

当直明けでも手術や外来が入っているのは当たり前だし、結果として36時間くらい連続で働かねばならないこともある。

あなたの命運を決める手術を行うのは、昨日の朝から働き通しで疲れ切った外科医かもしれない。

明らかに異常かつ危険極まりない労働環境を是正すべきという声もあがる昨今だが、医師たちの滅私奉公のおかげで、日本の医療のクオリティが保たれていることは事実である。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

そして数年前まで、私もそのように働く医師のうちのひとりだった。

週に1回以上の当直をこなし、翌日も素知らぬ顔で働かねばならない日も少なくなかった。

夜間の呼び出しに応じても、特に給与が増えることはない。時間外労働に対しては、ひと月あたりある程度の時間までは給与が加算されるものの、後期研修医として働いた数年間で、”ある程度”の範囲に収まった月はついに一度もなかった。

今、新型コロナウイルスと戦っている医師というのは、そういう人たちだと思っている。

挿管症例やECMO症例にも対応できるような、最前線で戦う医師たち。コロナ前ですら異常かつ危険であった労働環境に、感染のリスクや物品の慢性的な不足が加わって、本当に厳しい状況での戦いを彼らは強いられている。銀座で打ち鳴らされた感謝の鐘も、彼らに対する謝意だろう。

1年ほど前に娘を産んでから、私は医師として第一線から退いた。

これは社会や個人の圧力に屈したというわけではなく、あくまで自分の意思によるものである。

理由はシンプルで、娘の成長を一番近くで見守りたくなってしまったからだ。

極めて平凡な理由だが、それ以上でも以下でもない。産後3ヶ月で職場に復帰したものの、以前のような働き方をすることはなく、半年くらいは定時で終わる外来だけをこなす生活であった。

娘も1歳を過ぎ、運良く保育園が決まり、この4月から本格的な職場復帰が決まった。

外来だけでなく、入院患者の診察も再開することになった。

コロナウイルス騒ぎが始まってからすでに数ヶ月が経過しており、どうしてこのタイミングで娘を保育園に預け、自分も働くのかと疑問を感じなかったと言えば嘘になる。

ただ、私の働き方は、以前のような激務ではなくなった。仕事の目処がつけばまともな時間に帰れるし、夜間に無茶な呼び出しを食らうこともない。家に帰れば母親の顔ができる、恵まれた職場なのである。

子育てをしながら医師として働くことに、誇りをもつべきだろう。それは本当にそう思う。

しかし、新型コロナウイルスと昼夜格闘する医師の生活というのは、常軌を逸脱した激務なのだ。なまじっか、そのような経験を知るだけに、罪悪感は募った。銀座に鳴り響く鐘の音も、私は聴く価値がないのではないかと自分を責めた。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

娘を寝かしつけ、翌日の仕事や保育園の準備をして、ベッドに入る。

眠りにつくまでの短い時間、私は本を読むことにしている。それは小説であったり漫画であったりと色々なのだが、その日読んでいたのはある映画監督のエッセイだった。

彼女は3.11を経験し、映画監督として、自らの仕事をエッセイの中で「虚業」と称した。

津波で住む場所が押し流され、かけがえのない家族を失うという圧倒的な現実を前にして、映画の中で描かれるものはあくまで虚構に過ぎない。

映画というものはあくまで「余興」であり、非常時にそのようなものを楽しむことは不謹慎だという空気が蔓延していたと言う。

“救助活動に励む自衛隊や消防隊、医療従事者、ボランティアで乗り込む理髪師や整体師の人々の姿をながめながら、次に生まれて来ることがもしあるのなら、こういう時に自分を責めずにいられる仕事に就こうと、つくづく思ったりもする。”

『映画にまつわるXについて』より引用

私が尊敬する映画監督である彼女は、家族という関係が孕む危険をありのままに描いてくれる人であった。

しかし、3.11という非常事態に置かれて、彼女が覚えたのは無能感であったという。

“所詮、映画である、とつくづく思うのである。映画は危機を救わない。生活を立て直す力もない。”

『映画にまつわるXについて』より引用

確かに、映画も含め、アートというものは不要不急のものなのかもしれない。

新型コロナウイルスの感染が拡大する中、ライブハウスや映画館、美術館は閉館を余儀なくされている。それが仕方のないことだという空気もある。

ただ、医師として仕事をこなし、やけに空いている帰りの電車にぼうっと揺られている時、私が耳を傾けているのはお気に入りのアーティストの曲である。育児や家事が終わり、眠る前の短い時間で私を癒してくれるのは、本なのである。

“すべての困難がゼロに帰さないまでも、いつの日にかまた必ず、人たちの心には「現実」という巨大な物語とはまた別の世界を受け入れる隙間が回復し、(中略)無用な胸のときめきを感じられる日がやってくる。また暗くこじれた厳しい物語に、孤独を分かち合ってもらいたいと思う日も。今生きている人たちは、すべてその日を迎える可能性を持っている。”

『映画にまつわるXについて』より引用

挿管症例やECMO症例を診るような第一線ではなく、後方で外来や入院業務をこなす私も、危険な現場で働く医療従事者を支える力となっていると信じて、できることをやっていくしかない。

それは医師である私に限らず、どんな仕事をしている人にも、そしてしていない人にも、言えることなのだと思う。

自粛がつまらなくて辛くなる時、非常事態下で自分が役に立っていないのではという自責感に苛まれるとき、私は再びエッセイを開く。2011年8月に書かれたこのエッセイがコロナ感染症が拡大した現在を予測していたはずもないが、しかし、彼女が記したことは確かに、今の私を支えてくれている。

“だからその時が来ればいつでも、ふらりと立ち寄れる昏い灯りをともしておけるよう、世の中の隅っこで私たちは準備をしておこうと思う。途切れぬ現実と戦う人々が、ひと時でもおのが暮らしから距離を置いて、息をつける暗闇をしつらえておくために。”

『映画にまつわるXについて』より引用

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

(2020年4月20日の紺さんのnote掲載記事「虚業だなんて言わないで」より転載)

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