「窓から見える景色は、ちゃあんと『春』だけど、新型コロナが私の春を、みんなの春を奪って行ってしまった」━━。4月にSF小説『ピュア』を上梓した作家・小野美由紀さんから掌編小説が届きました。
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

アマビエが我が家に住み着いてからもうすぐ1カ月が経つ。

嘘だと思われるかもしれないけど、コロナ騒ぎが大きくなって、自宅で過ごすようになったぐらいかな、ふらりと現れたのだ。

アマビエは鏡ばかり見てる。

壁に立てかけた姿見の前を占拠して、日がな一日、髪型ばかりを気にしている。

ナルシストだなあと思うが、大昔にも現れて 「我の姿を描いて広めれば疫病が収まる」 と言ったらしいから、きっと筋金入りなのだろう。

窓を開けて、外を見る。

こんな非常時にも関わらず、5月の空気はうららかだ。

空には刷毛でさっと掃いたような雲一つ。

遠くに見える木には、手袋のような赤い花がほつほつと咲いている。

手のひらを上に向けて、太陽光を受け止めてみる。

手のひらがソーラーパネルであるなら、きっと私の体は猛スピードで発電するに違いない。

こんなにまばゆい季節なのに、狭いアパートに閉じ込められているのが恨めしい。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

翻訳の仕事も減ってしまって、暇をかこつばかりである。貯金と引き換えに、自分だけの時間を手に入れたといえば聞こえはいいが、その手に入れた時間を使うすべがないのだからしょうがない。

お花見をする予定だった仲間のカヨちゃんと、仕方がないから通話ばかりしているが、1カ月経った今ではもう話すネタもつき、ネットフリックスに上がっている好きなドラマももう3周してしまった。

平安時代の人々もこんな感じだったのかな、と思う。

目に見えないものに怯え、家に閉じこもっているなんて、「祟り」を恐れてもの忌みしていた平安時代に逆戻りしたみたいだ。

平安時代の貴族も皆、「物忌み、つまらん」と言ってジタバタしていたんだろうか。

そう思うと、過去の時間を生きているようにも感じられ、けど人々とのコミュニケーションや情報との関わり方はテクノロジーによって一気に未来に飛ばされたみたいで、「今ここ」に流れている時間の中にわたしの心と体と頭は存在しなくって、ちっとも気持ちが落ち着かない。

ああ、はやくアマビエ、どっか行ってくれないかなあ。

新型コロナが私の春を、みんなの春を奪って行ってしまった。

そう思ったのに、窓から見える景色は、人間たちの狂騒などどこ吹く風、という感じで、ちゃあんと「春」だ。

うずうずするわたしの体も、枝のように伸びて行きそうな腕も、風に当たって喜ぶ皮膚も、緑に反射する日を吸い込む瞳孔も、ちゃあんと、春。

目に見えないものに怯え、錯乱しているのは人間ばかりだ。

「〝木の芽時〟だからね」と、うちから徒歩数分のところにある鍼灸院の先生は言った。

「春ってあらゆる生き物が地中から出て活動する季節でしょ。人間の体にとっても、成長と生殖の季節だから。押さえつけられていたら、そりゃエネルギーも篭るし、鬱々とするよ」

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

私の住むマンションの窓からは、道路を挟んだ向かいのアパートが良く見える。だいぶ古い建物で、ピンクの外壁ははげかけて、雨よけが傾いている。

一階の駐車場では、そこに住むお父さんが子供に野球を教えている。ボールネットまで立てて、金属バットで100本ノックをしているのだから本格的だ。

よしよぉし、良くなったあ。

ほらもっと腰入れろよ、何やってんだ。

ぱしん、ぱしん。

軽やかなボールの音が、空に響く。

熱血漢のお父さんの声は、普段の私ならうっとおしく感じるだろうけど、今日みたいな晴天の下では許せてしまう。

コロナ騒動が起きる前は、向かいのアパートのことなんて気にもかけなかった。灰色の書き割りの一部で、そこに誰が住んでいるか、とか、どんな生活をしているか、なんて、気にしたこともなかった。

今は、私の家の小さな窓から眼の粘膜を潤してくれる貴重な景色の一つだ。

生活がスローになって、住んでいる街に縛り付けられるようになって、初めて目と耳が向くようになった。

向かいの部屋のベランダには、物干し竿に大量の洗濯物がかかっている。

男物のTシャツとズボンばかり。なんとなく、うちのお父さんの身につけているものと似ている。

眺めていると、突然、洗濯物の向こうのガラス戸がガラリと開いて、アマビエが顔を出した。

「あ!アマビエ!」

うちだけじゃ、なかったのか……。

向かいのアマビエはうちのよりもちょっと太めで、髪のカールがきつい。サンダルに足を突っ込んでベランダに出ると、洗濯カゴを脇に抱え、干してある洗濯物を一つ一つ取り込み始めた。

振り返ると、うちのアマビエは気にする様子もなく、変わらず鏡を眺めている。

個体差、なのかよ。

「おおい、右っかわのはさっき干したばっかりだから取らないで」

ふいに、アパートの下から声がした。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

見下ろすと、男の人が道路に立っていて、向かいのアマビエに向かって話しかけている。 手には近所のローソンの袋が二つ。

男の人は、私と目があうと、ペコ、と頭を下げた。 その様子が、実家で昔飼っていた柴犬の「ひろちゃん」によく似ていた。

「すみません、ご迷惑おかけします」

男の人は顔を崩してへへ、と笑った。

「あ、いえ」

「うちのアマビエ、日中、うるさくないですか?」

「いえ、全然大丈夫です」

答えた途端、恥ずかしくなった。

誰かに ”生”で見られるのも久しぶりだ。

今の私は、すっぴんにボサボサの髪。

Zoomのメイクアップフィルタに頼りすぎだ。

「僕、介護職なんで、日中いないんですよ。こんな時でも、出勤しないといけないんでね」

「そうなんですか。大変ですね」

「お仕事、ご自宅っすか」

ご自宅も何も、ワークがないからご自宅にいるのだ。

そう言おうかどうか迷ったけど、距離感詰めすぎかなあと思って、はは、まあと言った。

「自粛自粛って言うけど、変な言葉ですよね。“自粛を要請”って。みんながいっぺんに協力し合わないといけなくなった中で、政府が国民に“自分たちで勝手に慮りあって、行動の線引きを決めてください”って、変な話ですよね」

「そう、そうです」私は思わず身を乗り出した。

つい昨日、日本に住むスウェーデン人の友人から「自粛ってどういう意味?」とメールがきた。私は「正確に表現できる言葉はない」と答えた。日本人独特のメンタリティだよ、って。

「自粛って『自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと』なのに、“自粛を要請” って変ですよね。あとからこっちが勝手にやったこと、みたいにされそう」

「どうするのが正解かわからない中で、互いに忖度しあって監視し合ってるみたいで、疲れちゃいますよね。補償するから休め、って決めてくれたほうがずっと国民の負担は減るのに」

初めて話す相手なのに、意見が合ってしまった。嬉しい。この1カ月間のうちに忘れていた、同じ空気を吸いながら人と話す喜びが、肺いっぱいに満ち溢れる。

太陽の日差しがキラリ、と輝いた。

男の人は眩しそうに空を眺めながら、 「こんな状況ですけど、お日様が出てるとやっぱ、嬉しくなりますね」と言った。

私も空を見上げる。

向かいのベランダで、アマビエも空を見上げている。

コロナで分断された世界の中で、生きる歓びが輝いている。

「そちらのアマビエ、働き者でいいですね」 私は言った。

「うちのなんか、全然」

男の人はあっけに取られた顔をした。きっと彼も、自分ちだけだと思っていたのだろう。

いつのまにか、うちのアマビエが私の隣にきて、窓から身を乗り出して口笛を吹いている。

小さなくちばしで、器用にブルースを吹き、向かいのアマビエの気を引こうとしている。相手は一瞥もしない。

ふられてるな、アマビエ。

不安に彩られながら、それぞれの場所で、それぞれの立場で、私たちは全員、立派に春を奏でている。

コロナなんて、早く収束すればいい。

けど、1カ月前に突然うちにやってきた、アマビエが窓から眺める空気の色を教えてくれたのも事実なのだ。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

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(文:小野美由紀/編集:毛谷村真木

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