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2020年07月08日 08時03分 JST | 更新 2020年07月27日 15時24分 JST

「家族を大切に思えない」。そんな私は人として何か欠けているのだろうか

物語に出てくるような家族への愛おしさや慈しみの気持ちを私が持つことは今まで一度だってなかった。やはり私は、人が本来持っているはずの大きな感覚や感情が育たなかったのだろうかーーー。

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「家族は素晴らしい存在で、愛するべきである」。

「家族は、自分に最も近い存在であり、常に味方でいてくれる」。

「家族は何よりもかけがえのない人たちであり、ありのままの自分を受け入れてくれる」。

 

この手の、いわゆる“家族神話”を見聞きする度に、私はいつも顔を歪める。もう、うんざりだった。なぜかと言えば、自分にはまったく当てはまらないからだ。

 

「好き」とは言えず、かといって「嫌い」とも思わない

初めて、人と家族に対する感覚が違うのではないか?という違和感を覚えたのは小学2、3年生の頃だった。何をきっかけにして喧嘩になったのかは覚えていないのだが、何かしらの言い合いを発端に、母から「どうせお母さんのことは世話係としか思っていないんでしょ!」と言われたとき、ふと思ったのだ。

生まれたときから当たり前に存在し、生活を共にしてきた母。では、家事や育児といった母親としての役割を切り離し、ひとりの人間として好きか嫌いか?というと、はっきり「好き」とは言えず、かといって「嫌い」とも特に思わない自分がそこにはいた。考えたことすらなかった。母は、母だ。それ以外のなんでもなくて、本当に私は母を世話係としか認識していないのではないか?そう考えたとき、自分の家族に対する感覚がちょっと変なのではないか?と思ったのだ。

 

どうして、家族のことを大切に思えないのだろう。

大手企業と言われる会社に勤めているにもかかわらず、徐々に家に生活費を入れなくなり、母と私に日常的に暴力を振ったり借金を作ったりして、私が高3のとき母と離婚し、2カ月にも満たない短期間で不倫相手と再婚した父。

そんな父に振り回され、周囲に頼れる親族も友達もおらず徐々にヒステリックになり、子である私に「離婚をしないのは子どもがいるから」「お父さんは生活費を稼いでくれるから仕方なく一緒にいる」と話す専業主婦だった母。無口な弟と、個性のない妹。それから、私。

そうして、家族への関心を持てないまま、関心を持つきっかけがないまま、私は大人になってしまった。

 

一言で表すならば、家族は「どうでもいい」

だから、他の人の家族に対する感情と私のそれとは異なっているような気がする。「好き」「嫌い」という自分の好みの問題ですらない。世の人の言う「家族は大切にするべきである」という感覚を頭の中では理解しているが、本心でもそう考えているのか?というと、なかなか難しかったりする。

 

一言で表すならば、「どうでもいい」という言葉がもっとも近い。成人になるまで、長い時間と大金をかけて育てていただき、大学まで卒業したにも関わらず、感謝や恩返しの気持ちすら湧いてこない。「恩を仇で返す」を体現しているかのようで、いまだに反抗期が終わってないだけではないか?と、自分で自分が情けなくなる。

 

きっと、家族の誰かが病に伏せようが交通事故などで突然死を迎えようが、私が喪失感を覚えることも、悲嘆にくれることもはないように思う。日本のどこかで起きたニュースを見ているかのような、自分とは一切関係のない他人事のような気持ちで「ああ、あの人にこんなことが起きてしまったのか」という感想しか、恐らく抱かないだろう。私にとって家族とは、他人同然の、取るに足らない存在なのだ。

 

家族というより「仕方なく一緒に住んでいる人たち」

家族に対する感情がない。それは私にとって、人として大きく欠落している部分なんじゃないか、というのは最近になってからより強く思うようになった。

「親に孫の顔を見せたいから」と婚活に明け暮れる人、両親の病気がきっかけで田舎に戻って転職をした人、家族のグループLINEで毎日のようにやりとりをする人。

友人や知り合いと接するなかで、どうしても彼らの心境が自分には当てはまらない。もちろん、家族を大切にするのは素晴らしいことで、無条件に愛情を注いでくれる相手は大切にすべきだ。

けれど、そこまでする必要ってあるんだろうか。自分を犠牲にしてまで?家族に?なぜ?という疑問を払えない。その感覚は一般的ではなく、かなり少数に限られるらしい。

 

大人になった今、連絡先を知っているのは母だけで、その母とすら連絡を取るのは3カ月に1度のLINEだけだったりする。父と弟、妹がどこで何をしているのか、私は知らない。

更に言えば、どんな性格をしていて、何が趣味で、何が好きで嫌いなのかもよくわからない。家庭が崩壊していると言ってもおかしくない関係において、何の感情も生まれないのは当然といえば当然なのかもしれない。

 

元々、物心がついたときから共に食事することや話し合いなどのコミュニケーションを疎かにし、家族というよりは「仕方なく一緒に住んでいる人たち」という感覚が強くあった。更に、両親の離婚や妹との仲違い、それから子ども全員が家を出ることによって、長い時間をかけ、少しずつ、気が付かないうちに私の家族との繋がりは壊れていった。

一度壊れてしまった家族との仲が、今後劇的に改善され、今更良好になるとは到底思えない。けれど、家族をテーマにした映画を見たり小説を読んだりする度に感銘を受けては馬鹿みたいに泣いたりはするから、不思議だ。

物語に出てくるような家族への愛おしさや慈しみの気持ちを私が持つことは今まで一度だってなかったし、これからも関係ないのかと思うと、ひとりの人間が生きていく上で大切にしなければならない何かが足りていないような気がして、空しくなる。やはり私は、人が本来持っているはずの大きな感覚や感情が育たなかったのだろうか。

 

大切にする方法がわからず、いつの間にか手が離れてしまう

XiaoYun Li via Getty Images
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人が当たり前のようにもっている家族との関係や、家族に対する愛情が私にはない。結婚適齢期になった今、周囲の友人や知人は結婚し、新しい家庭・家族を築きはじめているのにも関わらず、私は人が初めてコミュニケーションを取り、関係を深めるはずの家族との付き合い方や関わり方が分からず、かなりの初期段階から躓いている。

 

だから、私は友達や身近な人を大切にできないのだろうか。人と関っていくことが苦手なのだろうか。初対面の人とも仲良くなるのは得意で、友達も多い。ひねくれている私を理解しようとし、向き合おうとしてくれる人を大切にしなければならないのはわかっているのに、なぜかうまくいかない。大切にしなければ、とかつての私は思っていたはずなのに具体的な方法がわからず、いつの間にか手が離れてしまう。

最も身近な他人であるはずの家族とのちょうどいい付き合い方を身につけてこなかったからじゃないだろうか。自分の気持ちを理解してもらう方法も、相手に近づく方法もわからないまま大人になってしまったから、私は人を大切にしながらそばにいることができないんじゃないのだろうか。

 

家族への感情がない。家族とうまく関わっていく方法がわからない。それは、私の欠点であるだけではなく、人と関わっていくうえでも大きなコンプレックスになっているのだ。

 

(編集:榊原すずみ

なんとなく受け入れてきた日常の中のできごと。本当はモヤモヤ、イライラしている…ということはありませんか?「お盆にパートナーの実家に帰る?帰らない?」「満員電車に乗ってまで出社する必要って?」「東京に住み続ける意味あるのかな?」今日の小さな気づきから、新しい明日が生まれるはず。日頃思っていたことを「#Rethinkしよう」で声に出してみませんか。