コロナ対策の司令塔「日本版CDC」創設を阻む岩盤「厚労省」の罪

感染症対策の司令塔が不明確な日本で必要な「日本版CDC」。自民党の提言に隠された、厚労省が「司令塔創設」に反対する理由。
衆院決算行政監視委員会で答弁する加藤勝信厚生労働相(右)。左は西村康稔経済再生担当相=2020年04月13日、国会内
衆院決算行政監視委員会で答弁する加藤勝信厚生労働相(右)。左は西村康稔経済再生担当相=2020年04月13日、国会内
時事通信社

「感染症対策 司令塔創設 自民、来月初旬にも提言 米CDCの教訓参考に」

6月24日付の『日本経済新聞』の朝刊は、自民党の行政改革推進本部が7月上旬にまとめる予定の提言を、そんな見出しでスクープしている。

「日本は感染症の政策実行に特化した組織がなく、(新型コロナウイルス対策で)対応に時間を要した。大規模な陣容と資金がありながらコロナの拡大を許した米疾病対策センター(CDC)の教訓も参考にする」

「検討する」は「やらない」と同義

「日本版CDC」が必要だという声は、新型コロナが深刻化し始めた2月ごろから言われ始めた。

というのも、2月には東京都医師会がCDCのような組織を日本でも創設するよう提言しており、安倍晋三首相も2月17日の衆議院予算委員会で、

「新型ウイルスへの対応を検討する中で考えていきたい」

と述べ、前向きな姿勢を示していたからだ。

上記の記事が出た後の6月30日には、公明党の石田祝稔政調会長が安倍首相を訪ね、感染症対策の司令塔として日本版CDCを創設するよう求めた。政府が7月17日に閣議決定する予定の「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる「骨太の方針」に盛り込むように要望したのだ。

これで流れができ、「日本版CDC創設」が動き出すかと思われた。ところが、である。

7月2日に官房長官に提出された自民党の提言からは、「日本版CDC」という言葉が消えたのだ。

「大規模感染症流行時の国家ガバナンス見直し」という小難しい表現に変わり、当初ワーキングチームの名称にあった「パンデミック」という言葉も姿を消した。

通常、この手の自民党の提言は、裏で官庁の担当者らが目を通し、最終版を決定する。自民党議員が主張を曲げないこともあるが、多くは役所と妥協が成立する。

自民党議員が議論を行うなかでも、役所の根回しを受けて役所の主張を代弁する「族議員」も少なくない。役所が受け入れたくない項目については、最後に「検討する」という文言を滑り込ませるのも常套手段。霞が関の修辞学では、「検討する」というのは検討すれば済む話で、「やらない」と同義だからだ。

もはやパンデミックに対処できない

なぜ、日本版CDCが必要なのか。

それは、感染症対策の「司令塔」が不明確なため、今回の新型コロナへの対応でも、後手後手に回ることにつながったからだ。

新型コロナ対策として、「新型コロナ特措法」が施行されたが、その指揮命令系統は、「国」から「都道府県」というルートになっている。この場合の「国」は内閣官房だ。

一方で、従来からの法律である「感染症法」の指揮命令系統も「国」から「都道府県・政令市」に行くルートが定められているが、この場合の「国」は厚生労働省や検疫所、国立感染症研究所などで、受け取る側は、「都道府県・政令市」とはいえ、保健所や地方衛生研究所になっている。

はっきり2系統に分かれ、しかも、保健所への指揮命令系統は、「目詰まりしている」と指摘されてきた。首相の指示ですらまともに現場まで伝わっていなかったのである。

さらに、特措法のトップは特措法担当大臣で、現在は西村康稔経済再生担当相が務める。ところが感染症法では厚労大臣で、現在の大臣は加藤勝信氏だ。ニュースを見ていて誰が司令塔なのか分からないのは、この2人のどちらが上なのかはっきりしないためだ。

一見、新型コロナ対策の総責任者は、メディアへの露出が多い西村大臣のように思えるが、実際には大臣としては各省大臣である厚労相の方が格上で、加藤氏の方が議員としても先輩格。どうみても現場を受け持つ厚労大臣の方が力を持っている。閣内の指揮命令系統も混乱をきたしているわけだ。

西村大臣は「司令塔創設」に前向きと言われるが、厚労省は大反対。その意向を受けて加藤大臣も抵抗しているという。

厚労省が「司令塔創設」に反対するのは、なぜか。その理由が自民党の提言から垣間見られる。提言にはこうある。

「明治以来120年余りの感染症対応のアンシャンレジームからの脱却を図り、世界の中で最も機能し、民間の知力、能力をも総結集できる感染症の専門的対応体制を再構築することを提案する。その際、大規模感染症流行時に国家主導で迅速かつ柔軟、確実に対処できる感染症有事下の国家ガバナンスの仕組みを改革し、以下の具体的施策を早急に取るべく、明年通常国会から関連法案を提出することを目指すことを提言する」

120年余り前というのは、明治30年(1897年)に旧「伝染病予防法」が制定されたことを指す。それ以来、営々と守り続けられてきた保健所を中心とした官僚組織では、もはやパンデミックに「迅速かつ柔軟、確実」に対処することはできない、と言っているのだ。

にもかかわらず、厚労省は、約120年続いてきた、保健所や検疫所といった自分たちの組織を侵されたくないのである。

厚労省傘下の研究所や保健所は、医師免許を持つ厚労省の技官や医師会の牙城。それを政治家である大臣の直接的な指揮命令系統に属させることに対し、猛烈に抵抗しているのだ。「素人に何が分かるか」ということだろう。

実際、感染症法での厚労大臣の権限も、都道府県知事に対する技術的指導や助言、緊急時における指示など間接的なものに留まっている。現場の「専門家」が事実上の決定権を持つという発想だ。国の司令塔機能を強化するということは、それを否定することになるわけだ。

数値目標を掲げることに抵抗

その弊害が鮮明に表れたのが、PCR検査である。

安倍首相自らが早い段階で検査数の目標を「1日2万件」と示したにもかかわらず、それがまったく実施されなかった。安倍首相自身、「指示が伝わらなかった」と振り返っている。

そのため感染が疑われる人が検査を希望し、医師が必要と判断した場合でも、保健所の判断により検査を受けられないという状況が長く続いた。

保健所の事務処理能力を超えたことを理由にしているが、必ずしもそれだけではない。

民間の病院などでも、PCR検査を行うことができるようにルールが見直されたにもかかわらず、検査が必要かどうかの判断に保健所が関与することに固執し、民間が独自に検査に動くことを妨げたと言われている。

すでに無観客ながら試合を開始したプロ野球の場合、選手全員にPCR検査を受けさせた上で、陰性が確認された選手を出場させている。取り組みとしては先行しているが、当初、保健所に相談した際には、

「健康な選手に検査をするなど論外」

だと門前払いされたという。結局、民間の機関で検査を行ったが、厚労省に了解を得るまでには相当な苦労があったと聞く。

また、大手IT企業では社員全員にPCR検査を受けさせることを希望したが、厚労省・保健所の許可はついぞ下りなかった。

検査ニーズが急増する一方で、保健所はクラスター追跡の業務なども加わったから、当然のことながら、極度の人員不足に陥った。いくら能力が足りなくなっても、自分たちの権限に固執したのである。

ちなみに、PCR検査については、経済界などから1日20万件に能力を増強すべきだ、という声が出ており、政府に要望書も出されている。

例年インフルエンザが猛威を振るうと、ピーク時には1日30万人前後の発熱者が病院を訪れる。今年の冬にインフルエンザが流行して発熱者が病院に押しかけた場合、検査体制が無ければインフルエンザなのか新型コロナなのか、判別できない。

だが、厚労省は徹底して数値目標を掲げることに抵抗している。仮に1日20万人の検査体制を取った場合、現状の保健所を中心とする体制では対応できず、民間に開放せざるを得なくなるからだろう。

厚労省などからは、感染していても陰性になってしまうケースがあるなど検査が信用できないといった意見や、検査を増やして陽性者が増加すれば症状がなくても病院に押し寄せる人が増え、医療崩壊を引き起こすといった「数値目標を掲げない理由」が並べ立てられている。だが、実際は、そうしたところに本音があるとみられている。

権限剥奪に猛反発

新型コロナの感染が拡大する状況下であっても、このように縄張り意識が高いままの厚労省の姿勢には、官邸も苛立っているようだ。

政府は「新型インフルエンザ等対策有識者会議」の下に、新たに「分科会」をスタートさせた。それまで対策などを提言してきた「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(専門家会議)」を発展的に解消した、と説明されている。

しかし、最大のポイントは、「専門家会議」の事務局は厚労省だったが、「分科会」は内閣官房に移ったという点だ。厚労相の権限を剥ぎ、内閣府の担当相の権限を強化しようとしているとされるが、これに厚労省の現場は猛反発しているとされる。

司令塔創設に政府が動くかどうかは、骨太の方針に盛り込まれるかどうかが、大きなカギを握る。

政府内の対立を横目に、東京都知事に再選された小池百合子氏は、選挙戦を通じて「東京版CDC創設」をぶち上げてきた。が、パンデミック対策の司令塔が、東京都だけで完結するはずはない。

官邸が司令塔=日本版CDCの創設を見送れば、またしても、安倍首相のリーダーシップ欠如が問われることになる。

磯山友幸 1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『2022年、「働き方」はこうなる』 (PHPビジネス新書)、『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、『破天荒弁護士クボリ伝』(日経BP社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)、『「理」と「情」の狭間――大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP社)などがある。

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(2020年7月10日フォーサイトより転載)

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