天空の「薫る野牧場」の壮大なエコシステム。365日、自然放牧の山地酪農が目指すサステナブルとは

島崎さんが見つめるのは、より壮大な自然のエコシステムだ。牛を支えるもの、人間を支えるもの、それは大地であり、ひいては地球に目を向ける。
薫る野牧場の牧場主島崎薫さん。後ろには富士山がのぞく。今日の格好は作業もしやすく涼しいモンペだ=2020年7月
薫る野牧場の牧場主島崎薫さん。後ろには富士山がのぞく。今日の格好は作業もしやすく涼しいモンペだ=2020年7月
Miyuki Inoue / HuffPost Japan

美しい山辺に牛が草をはむバリバリという音が風に流れる。仔牛が母牛にまとわり甘える。
自由に動き回れる平原がどこまでも広がり、牛の大きな瞳には遠くの富士山が映り込む。吹き渡る風が清々しい。

神奈川県山北町の大野山の山頂近くで、仔牛2頭を含むジャージー牛5頭が約8.8ヘクタールの山の斜面に放牧されている。牛たちは自由に動き回る。「牛の力を借りて山作りをする」ことをモットーにする「薫る野牧場」だ。

ほっとする景色だ。なんて美しいーー。そう言葉がつく。
牛の乳は、透き通った味だ。「幸せな牛の健康ミルク」と地元でも評判だ。

これを物語として美しく伝えるのは簡単だ。だが、牧場主の島崎薫さん(31)は、優しい面持ちながらも、鋭い言葉を放った。「牛にストレスがかからない“幸せ”な飼育。皆さん、そこだけを伝えますが、それだけを目的としているわけではないのです。牛たちは山を一緒に作る仲間です」

薫る野牧場の仔牛れおんとあられ=2020年7月
薫る野牧場の仔牛れおんとあられ=2020年7月
Miyuki Inoue / HuffPost Japan

島崎さんが見つめるのは、より壮大な自然のエコシステムだ。
牛を支えるもの、人間を支えるもの、それは大地であり、ひいては地球に目を向ける。

実は、この酪農場では、日本でも数少ない「山地(やまち)酪農」を実践している。「山崩れを防ぐことを牛にやってもらっているのです。牛の幸せのためにやっているというより、山を守り、人を守るためです」。

山に牛を入れると、背の高い草や下草は牛が食べたり踏みつけて消える。牛の糞で土壌は豊かになり、その後に生えてくる草をまた食べる。なかでも生命力の強い野芝は、牧草と違って匍匐茎(ほふくけい)で根を下に30~40センチほど張る。マットのようになって、土壌が流れるのを防ぎ「崩れにくい強い山」を作る。

山の恵みを生かす、輸入穀物にも頼らない循環農業だ。ジャージー牛はもともと乳脂肪分の高い品種だが、穀物ではなく生えている草を食べるため、濃厚な味の中にも爽やかさが感じられるようになる。1日10キロほどの乳がとれるが、穀物に頼らない分、一般的な酪農の3〜5分の1に限られる。

牛は、日に朝夕2回の搾乳の時間以外は、山に一年中放牧されている。暑ければ、日陰に、風雨が強ければ森の中へ入る。仔牛は飲みたいときに母牛のもとへ行き、母牛の乳首を吸う。斜面で足腰が鍛えられた牛は、病気にも強いという。

薫る野牧場のジャージー牛の親子=2020年7月
薫る野牧場のジャージー牛の親子=2020年7月
Miyuki Inoue / HuffPost Japan

生後3ヶ月のあられと1ヶ月のれおん、母牛のあやめ、れもん、そしてお姉さん格のすみれ.... 今いる5頭を島崎さんは名前で呼ぶ。
島崎さんが来ると牛は適度な距離を取りながら近づく。島崎さんは牛たちに注ぐ視線は優しく、額をなでる。

名前があるのはいいですね、そう島崎さんに問うと「だからと言って可愛がり方が変わるのではないです」と返ってきた。

人間の食のための生産をする酪農家の顔と、自然との関係を探り続ける顔が共存する。

薫る野牧場の島崎薫さん=2020年7月
薫る野牧場の島崎薫さん=2020年7月
Miyuki Inoue / Huffpost Japan

「お肉を食べる。命をいただいているので、他のものと同じように接します」

平原の中に目がくりくりしたジャージー牛。そこに愛情が芽生えるが、人間は命をもらってつなげている。数々の可愛らしい写真が続くサイトの中に、島崎さんはこの営みの循環を静かに伝える。

2019年10月、生後10ヵ月のたらぞう、8ヵ月のれもじろうを出荷され、お肉になった。

「たらぞう、れもじろうの成長をSNS上で見てくださっていた皆さまの中には、かわいそうだというご意見もあるかもしれません。ただ、一番近くで同じ時間を過ごしてきた私が、この子たちの命をいただき、また、美味しく食べていただける方のもとへお届けしたいという気持ちであることは、ご理解いただけると幸いです」とブログにしたためた。

平塚のフレンチレストランで、レストランが呼びかけをし、子牛たちの写真を見ながら支援者が食べる会もあった。「たらぞうくんのお肉を食べる会」と島崎さんは語るこの会で、大地が育んだ味をかみしめた。

「人間が全く入っていないことが究極の自然かもしれませんが、日本にある山の多くで人が手を入れています。いったん手を入れた場所は、人が手を入れ続けないと荒れる。枝打ちをして間伐をしなければ光は入らない、地面に草木が生えず、土砂崩れが起きやすい。自然に向き合う方法として、山地酪農は一つの方法なのです」

「牛から乳をもらいながら、持続可能な形で山を管理する方法として当たり前になっていくといいのですが」と話す。

生後3ヶ月のあられと1ヶ月れおん。首のベルが丘に響く=2020年7月、薫る野牧場
生後3ヶ月のあられと1ヶ月れおん。首のベルが丘に響く=2020年7月、薫る野牧場
Miyuki Inoue / HufPost Japan

島崎さんは、酪農とは縁のない神奈川県相模原市の家で育った。県立相模原高校を経て、東京農大生物産業学部に進学。食品科学科で勉強し、乳製品作りに興味があった。岩手県岩泉町で山地酪農を営む中洞(なかほら)牧場を知り、研修を経て就職した。県営育成牧場跡地の使い道を模索している地域から中洞牧場に相談があり、島崎さんは2016年10月に山北町へ移住。土地を借りられるように、地元全体の理解を求める活動を支援者とともに開始。2018年6月、中洞牧場から5頭のジャージー牛を迎えて、29歳で牧場主になった。当初は地元の協力を得ながら、一人で準備を進めてきた。

これまでの道は平坦ではない。5頭のうち3頭は死んでしまった。朝、農場に来たら既に冷たくなっていたことも。獣医の診断では原因不明だった。谷に落ち込んで命を落とした牛もいる。お産で助けられなかったこともある。「私が酪農主でなかったら...」苦しそうに言葉を繋いだ。

シカやイノシシが運んでくるダニが蔓延してしまうと牛が血を吸われ貧血で死を招くこともあり獣除けも必要だ。また、新型コロナ感染拡大は、販路に影を落とした。ミルクの販路を補うため現在、クラウドファンディングをしている。

未知なる険しい道は続くのかもしれない。だが、手伝いに来てくれるようになった地元の若者の笑顔は明るい。

島崎さんは急な斜面にしっかりと足を広げて立ち、牛を遠目に見つめる眼差しは優しい。「牛とはパートナー」。尊敬しあいながら向かいあっている。 そんな農場に立つ島崎さんの姿は、決して大柄でないが、なぜか大きく見える。(ハフポスト日本版・井上未雪)

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