「悩めることはチャンス」。保健室で過ごすことが多かった中学生の僕を救ってくれた言葉

「大人になれば、悩むことすらできなくなることもある」。過密スケジュールの学校生活の中で、「立ち止まってもいい」ということを教えてくれたのは、保健室のおばちゃん先生だった。
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僕は小学生の頃から胃腸が弱く、悩み事があるとすぐにお腹が痛くなっていた。

中学に進級してからもその体質はひどくなる一方で、よく保健室に行っていた。そのため、保健室の先生にはすぐ顔と名前を覚えられた。メガネをかけた、穏やかな口調の、優しいおばちゃん先生だった。

お腹が痛くなる悩みのタネは、学校だった。

部活の朝練に始まり、それが終わればすぐに授業。あいだに10分の休憩時間はあるものの、それは教室移動の時間に変わってしまう。そして夕方までみっちりと授業を受けたあとに部活の本練習がある。

帰宅後は課題を解き、翌朝にはまた、ほとんど使わないテキストや資料集を入れた重たいカバンを持って登校する。

部活はソフトテニス部だったので、通学カバンとは別にラケットと練習着とシューズを入れるバッグも必要だった。きっと、部活が楽しければどんなに荷物が多くても苦にならなかった。勉強が得意だったら、開くはずのないテキストも持っている意味があった。

そうやって、学校の中で何かひとつでも自分がいる意味のある場所があれば、この生活はなんら苦にならなかっただろう。

しかし僕にとっては生活サイクルのすべてが学校に乗っ取られたような感じで、それが胃腸の調子を狂わせる原因だった。

「大人になれば、悩むことすらできなくなることもある」

登校しても授業や部活を休むようになり、保健室に行く回数が増えた。

最初の頃はベッドで横になって休んでいたけれど、それは単なる気休めでしかなくて、胃腸が回復するわけではないことはわかっていた。

1時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、「さすがに2時間も続けて授業を休むのはいけないか」と思って保健室を出ると、案の定また胃が痛くなった。保健室登校という選択肢もあったけれど、友だちになにを言われるか分からなくて、そしてそれを考えたらまた胃が痛くなって出来なかった。

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そうやって保健室で休む日が続いていたある日、おばちゃん先生が「今日は、ちょっと世間話でもしよう」と言って、コーヒーとお菓子を出してくれた日があった。

僕は「休めば休むほど授業に遅れるんだから、教室に戻りなさい」みたいなお説教をされるのかなと思って身構えていたら、おばちゃん先生の口から出たのは「悩めるのはチャンスよ」という言葉だった。

「大人になって家庭を持ったり、仕事で責任ある立場になると、悩むことすらできないこともあるの。立ち止まって考える時間すらないこともある。でも今のあなたには、悩んだ分、立ち止まって考えられる時間がたくさんある。

今こうして悩んだこと、その悩みについて考えたことは、大人になったときのあなたを救う財産になる。いまは立ち止まってもいいから、しっかり悩みなさい」

おばちゃん先生に、直接「学校がつらい」と言ったことはなかったけれど、僕の気持ちはわかっていたと思う。

悩んで立ち止まる隙をあたえないほどに過密な学校のスケジュールにただ流されていく中で、「立ち止まってもいい」と先生が教えてくれた。

人によっては、この言葉が「お説教」と感じるかもしれない。僕だって小学生の頃に言われていたらその言葉の意味にピンとこなかったかもしれないし、高校生になっていたら「でも休んだら単位が取れないじゃん」と、さらに立ち止まれないまま悩んでいたかもしれない。

しかし中学生だったからこそ、そしてどんなに保健室で休む回数が増えても許してくれたおばちゃん先生だったから、自分の中にスッと入ってきた言葉だった。

立ち止まるということは、それまでの歩みを止めることではなく、これからの歩みを考えることなんだと思った。

「休み」とか「不登校」とか、世間ではなにかと聞こえが悪い。しかしそれらは全て、立ち止まって悩むことのできるチャンスの時間だと思う。

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