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2020年08月15日 07時01分 JST

俳優・渡辺美佐子さんは忘れない。原爆が奪った初恋相手の「小麦色の笑顔」を。朗読劇を34年続けた理由【終戦の日】

「怒りと悔しさ、そして切なさが、後押ししてくれたのだと思います」。俳優の渡辺美佐子さんに、原爆の朗読劇を34年間続ける原動力を与えたのは、広島で犠牲になった同級生の存在だった。

撮影:平早勉
映画祭のトークショーで自身の戦争体験を語る渡辺美佐子さん(2020年8月9日)

「白いご飯は夢の中だけ。毎日母から渡される、一握りの炒った大豆だけが命をつないでくれました。戦争は、私たちから人間らしい日々を全て奪ったのです」

映画「ひめゆりの塔」でデビューし、井上ひさし作の一人芝居「化粧」をはじめ、数々のドラマや映画、舞台で活躍してきた俳優の渡辺美佐子さん(87)。平和や戦争を題材にした作品にも多く出演。原爆で家族を奪われた人の詩や、被爆した子どもたちが遺した手記を読む朗読劇の活動を34年間続けた。

戦後75年。戦時中の体験を証言できる人が減る今、戦争体験者の一人として、俳優として、何を思うのか。渡辺さんはハフポスト日本版の取材に書面で応じ、空襲の記憶、戦争放棄を謳う憲法への思い、朗読劇を続けた理由などを明かした。

 

家族はバラバラに

渡辺さんは1932年、東京・麻布で帽子問屋を営む父母のもとで、5人きょうだいの末っ子として生まれた。

「終戦までの最後の2年間は特に最悪でした。いつもぺしゃんこのおなかをなだめながら、毎晩きっちり深夜0時の空襲警報に起こされ、父の掘った防空壕にうずくまって、いつ頭上に落ちてくるかもしれない爆弾や焼夷弾の音におびえていました」

「兄3人は軍隊にとられ、家を守る父一人残して、母と姉と3人で信州に疎開し、家族はバラバラに。戦争は私たちから人間らしい日々を全て奪ったのです」

ASSOCIATED PRESS
原爆が投下された日の広島の街(1945年8月6日)

心に残り続けた少年の最期

戦争末期の12歳の頃、通学路で虫捕りをする姿をよく見かけ、気になっていた男の子がいた。ある日突然その男の子を見かけなくなったが、戦後も渡辺さんの記憶から消えることはなかった。

1980年に出演したテレビ番組で、彼の父母と対面した。高齢の2人から、初めて初恋相手の最期を聞かされる。 

「水永龍男(みずなが・たつお)」という名の少年は、空襲が激しくなった東京を離れ、祖母の家がある広島に疎開した。1945年8月6日、中学校での作業中に原爆が投下され、亡くなった。

渡辺さんは、水永さんの父母から「遺体、遺品、目撃者もない。龍男が死んでしまった証拠が何もないので、35年たった今もお墓が作れない」と聞かされた。

この時の思いについて、渡辺さんは主演映画「誰がために憲法はある」(2019年公開、井上淳一監督)の中で、「犠牲者の数の大きさで知っていた『原爆』が、あの男の子が亡くなった中の一人だと分かり、ものすごく近くになってしまった」と語っている。「今でも小麦色の彼の笑顔を忘れることはありません」

5年後の1985年から、木村光一さんが演出・構成を手掛けた原爆の朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」に参加。渡辺さんは初演以来、毎年夏になると公演で日本各地を回った。

2007年に母体が解散すると、翌08年からは、渡辺さんを含む戦争を体験した有志の俳優らで作る「夏の会」が朗読劇の公演を継続。俳優の高齢化を理由に、2019年に会は解散した。

「34年間朗読劇を続けられたのは、(原爆で亡くした)彼のことを知った時の怒りと悔しさ、そして切なさが後押ししてくれたのだと思います。高齢になった私たちは、活動を断念せざるをえませんでした。戦後75年の今、戦争の残酷さ、愚かさを誰が伝えてくれるのでしょうか」

提供:城田美樹さん
朗読劇「夏の雲は忘れない」を上演する「夏の会」の俳優たち

「憲法」役を演じた理由

長崎に原爆が投下されてから75年となる2020年8月9日、東京都内であった「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」(一般社団法人「昭和文化アーカイブス」主催)のトークショーで、渡辺さんは幼少期の戦争体験や、「誰がために憲法はある」への出演時のエピソードを語った。映画では、渡辺さんが演じた日本国憲法である「憲法くん」が

「私はこの70年間、戦争という名前の下で、一人も人を殺していません。一人も、殺されていません。そのことを、私は誇りに思います」

と語りかけるシーンがある。映画のオファーを受けた時、渡辺さんは「このセリフを言ってみたい」と強く感じたという。

「戦争で本当にひどい目にあって、人間らしさを全て無くした生活を強いられて、それが当たり前だと思わされてきたんですね。そこで『戦争を絶対しないよ』っていう憲法が生まれた時のうれしさ、純粋に人間らしく生きられるんだという気持ちを忘れないで持っていたいという思いと、最近(憲法の存在が)危なっかしくなってきたかな、という思いがありました」と振り返る。

俳優として、戦争体験者として、人の日常を奪う戦争のリアルを伝え続ける渡辺さん。「『人を殺すのも、殺されるのも嫌だ。戦争になんか絶対に行かないよ』。こういう子どもたちでいっぱいの日本を、私は夢見ています」

演出家「言葉たちが、伝えられたがっている」

戦争を肌で知らない世代は、後世に戦争体験をどうつないでいけば良いのか。

夏の会による朗読劇「夏の雲は忘れない」で、2008年の初演から2019年に幕を閉じるまで演出を担った城田美樹さん(51)は、ハフポスト日本版の取材に、演出の依頼を受けた当時の思いを「戦争について乏しい知識しかなく、私でいいのだろうかと何度も自問した」と明かす。

「俳優たちが『ここで終わらせてはいけない』という熱意で集めた膨大な量の被爆者の手記や詩を読むにつれ、『未熟だからできない』なんて言っていられない、断る選択肢はないと決意しました」

朗読劇に出演する俳優や、公演を観た戦争体験者から「戦争を知らないあなたには分からない」「(描き方が)きれいすぎる」など厳しい言葉を向けられたこともあったという。「ショックだったし、どうしたらいいんだろうと悩みました」

撮影:國崎万智
演出家の城田美樹さん

城田さんは資料を読みあさり、被爆地の遺構を訪ね、被爆者の話を聞いた。「体験していない自分には分からないという事実は変わりません。それでも、想像することはできます。何より『あの日を語る言葉たち』が伝えられたがっている、永遠に訴え続けていると感じたのです。当事者の話を聞き、手記や詩の言葉を体に浸透させることで、どこかでつながることができると思いました」 

 

終わらない夏

公演を続ける中で、希望も見えた。

「公演終了後の交流会では、朗読したり、観劇したりした子どもたちが『戦争は遠い過去のものではなく、自分たちの日常と地続きにある。当たり前に生きていることは尊いんだ』という気づきを話してくれました。他人ごとではない、という思いを共有できたのがうれしかったです」

夏の会が2019年に解散してからも、朗読劇の演出依頼を受けている城田さん。原爆体験を継承することへの特別な「使命感」があるわけではない、と語る。

「原爆に家族を奪われた人々の言葉を俳優たちが蘇らせ、明かりを灯した。私にできることは、その灯を消さないこと。想像を絶する痛みを想像することをやめず、できる限り誠実に伝えていくことだけです」

城田さんは2020年の夏も、長崎の原爆資料館で、渡辺美佐子さんや地元の子どもたちと新たな舞台の幕を上げるつもりだ。

提供:大月書店
原爆の朗読劇の台本から手記や詩を再録し、写真や被爆者の絵などを集めた「夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ一九四五」(夏の会編)