障害者手帳をもつ私は「死んでもいい命」?「働かざる者、食うべからず」の日本は生きにくい。

他者との意思疎通が難しいとされている人、働けずにいる人は本当に不要な存在なのだろうか?不安な日本を襲う、「優生思想」について少し考えていこうと思う。
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ここ数年、「優生思想」の言説をSNSで見かけるようになった。4年前に起こった県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」での障害者連続殺傷事件、先日起きたALS(筋萎縮性側索硬化症)患者への医師による嘱託殺人事件。他者との意思疎通が難しいとされている人、働けずにいる人は本当に不要な存在なのだろうか?

不安な日本を襲う、この思想について少し考えていこうと思う。

日本は「障害者のいらない」国なのか

日本に存在していた旧優生保護法という法律をご存知だろうか?

旧優生保護法とは1948〜1996年にかけて国で施行されていた政策であり、優生学上の見地から、不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命・健康を保護することを目的として障害者の強制不妊手術を行なっていたものである。

当時、精神科に通院していた私にとって障害者の問題は他人事ではなかった。しかし、当時はネットもなく、情報をあまり見つけることができないし、文献も何を読んでいいかわからない。ただ自分の中に「自分は子供を産むべきではない存在、または生まれてこない方がいい人間」という意識だけが植え付けられた。

成人してから引きこもりになり、障害者手帳を取得してからは、一層その気持ちが強くなった。現在、旧優生保護法自体は無くなっているけれど、自分の住んでいる国が「障害者はいらない者」として、堂々と障害者の不妊手術を行うことができたという事実はあまりにも衝撃的だった。ナチス・ドイツでもされていたような行いががつい最近まで、この国で行われていたことが怖かった。

旧優生保護法に基づく強制不妊手術が行われた件数はわかっているだけでも、およそ1万6500件に上り、その対象は遺伝性疾患だけでなく、ハンセン病や、精神疾患、精神薄弱とされた。本人の同意を得て行われた手術もあるけれど、同意を得ていないものもある。

働きたくても働けない現実

障害者や治らない重い病気を持っている人は、この社会ではいらない人間なのだろうか。私はこの問いを長いこと持ち続けている。

なぜなら、20代を精神科のデイケアで過ごし、入退院を繰り返していた私は、「生産性」がなく、社会から見たら「お荷物」だった。自分でお金を稼ぐことができず、実家で母と暮らし、障害者年金を受給し、そのお金でフラフラと買い物をし、遊びに行っているだけの存在だった。側から見れば「楽そうでいいね」などと言われそうだが、就職活動をしても受からず、バイトの面接を受けても落ち続けていて、働きたくても働けないというのが現実だった。

思い出すと、90年代終わり頃から、日本は急激に変化していった。高度経済成長が終わり、派遣労働者が増え、昔のような安定した雇用から多くの人が弾き出されていった。

正社員のイスに座れたものはいいが、座れなかったものは憎しみと悲しみを腹の底に貯めるしかない。自分の置かれた環境は彼らのせいではないのだが、自分たちの月収よりも高い年金で暮らしているお年寄りに嫉妬し、生活保護を憎む人もいる。差別という感情は、自分の内面が危うくなっているときに起こるものだ。「自分は生きる価値がないのではないか?」という考えをなくすため、自分より劣っていると感じられるものを見つけて差別することにより精神の安定を保つのだ。

しかし、自分を守るために社会的弱者である高齢者や生活保護、障害者などに怒りが向くということは、この国では健康で働ける世代でありながら、彼らよりも生活水準が低い人たちが多いという証なのだろう。そういった人たちがネットで怒りを吐き出すのだと思う。

「ナマポ(生活保護)は俺たちの税金で飯を食うな!」「在日特権を廃止せよ!」

生活保護を受けている人も在日韓国・朝鮮人も、恵まれた環境で生きているわけではない。彼らが本当に怒りを向けるべき相手は国であると私は思うが、彼らはそうは考えない。なぜなのだろうか。

私は「死んでもいい命」だと思われる側の人間

相模原市の津久井やまゆり園で起きた障害者連続殺傷事件の植松聖死刑囚は「障害者は周りに迷惑をかける存在だから」という理由で殺した。障害者や福祉にかかる税金が多額で、日本はたくさんの借金を抱えている。そのためには障害者を殺した方がいい、というのが彼の言い分のひとつだった。彼の中には「死んでもいい命」と「死ななくていい命」があり、前者が障害者にあたる。

4年前の2016年、私はこのニュースを知った時、とんでもない事件が起こったと恐怖したが、もっと怖かったのは、それに賛同する人がネット上にいたことだ。

そして、私は精神疾患をもつ自分が、植松に「死んでもいい命」だと思われる側の人間だということが恐ろしかったし、自分自身、仕事をせず引きこもっている時、自分のことを「死んでもいい命」だと思っていた。社会に出ることができず、お金を稼ぐことができない自分は生きていても仕方がないと考えていた。そして、私は何度か自分で自分の命を断とうとした。

植松の考えと、国が行った旧優生保護法と、私が自殺を試みたことは、一本の糸でつながっている。それは「生産性」というものだ。社会の役に立つ、お金を生み出す、それがないものはこの世界に存在してはいけないという考えだ。

しかし、お金を生み出せない障害者本人が悪いのだろうか?私はそうは思わない。この社会が障害者にとって生きづらい社会なのが問題なのだと思う。問題は社会の側にあるのだ。

街中でもっと障害者の姿を

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今、多くの駅にはエレベーターが設置されていて、ベビーカーの人やお年寄り、普通のサラリーマンや若い人も利用している。しかし、昔は駅に設置されていなかった。設置された経緯は車椅子を使う障害者たちが抗議活動を続けた結果、ようやく設置されたのだ。同じようにさまざまな活動の結果、2016年に障害者差別解消法も施行されてバリアフリーの環境も整備され、車椅子の人たちがやっと街に出て移動しやすくなった。そして、障害者らの努力によって設置されたエレベーターを健常者たちが使用しているのを見ると、障害者が生きやすい社会は健常者も生きやすい社会なのだと感じる。弱いものに歩幅を合わせた社会こそがすべての人間にとって生きやすい社会なのではないだろうか。

街中にエレベーターやスロープが設置されるようになり、歩道には視覚障害者用のブロックがあるけれど、街中で障害者を見かける頻度は少ないと感じる。それを思うと、いまだにこの日本の社会は障害者が生きにくい社会なのだと感じる。

私は街中でもっと障害者の姿を見かけても良いと思っている。学校、職場、コンビニ、デパート。障害を持っている人が街中で生き生きと暮らしている姿をたくさんの人が目にすれば、「障害者は死んだ方がいい」という考えは生まれないと思う。

仕事をしていない人間に対する風当たりが強い

植松は障害者施設で働いていても、彼らに対して「生き生きと生きている」という感覚を持つことができなかったのだろう。今回の事件についての本を何冊か読んだのだが、植松は控訴を取り下げて死刑が確定してしまい裁判が終わってしまったので、この事件の真相究明はこれ以上行われなくなってしまった。彼の目に社会がどう写っていたのかはとても気になる。

障害や重度の病気を持っている人にとって、この社会は生きにくい。日本には「働かざるもの食うべからず」ということわざがあるくらいで、仕事をしていない人間に対する風当たりはいまだに強い。

それでは、はるか昔の時代、障害者はどうやって生きていたのか。『母よ、殺すな!』の著者で、脳性マヒ者で障害者運動を牽引した故・横塚晃一氏によると、祭りなどに登場する「ひょっとこ」は脳性麻痺者を表すそうだ。かつて古代人が、火を守るという大切な仕事を、身体を自由に動かせない身体障害者や高齢者に任せていたことに由来するという。彼らの名前は最初「火を守る男」だったが「火男」となり「ひょっとこ」と呼ばれるようになった。ひょっとこは今ではお祭りのお面として親しまれている。昔の人たちは誰がどこで働くのが一番良いのかということを知っていたのだ。

障害当事者にとっては迷惑で、耐えられない

仕事のことばかり書いてしまったが、全ての人間が働かなければいけないとは思わない。働けないもの、働かないものを包摂するのが社会である。

そもそも、命は生きているというそれだけで意味があるのだ。それは誰にも脅かされないものでなければならない。他者が誰かの命を選別するということはあまりにも傲慢である。

1970年、横浜で障害児二人を育てる母親が2歳の女児をエプロンの紐で締め殺すという事件が起こった。それに対して、減刑せよという運動が起こったことがある。「母親の苦労もわかるから、多めにみて欲しい」という言い分なのだが、それでは殺される当人の言い分はどうなるのか。当人は殺して欲しいと願うわけはなく、社会や家庭環境によって母親に勝手に「この子の将来は不幸」だと決めつけられたのだと私は思う。

横塚氏も関わった「青い芝の会」という脳性麻痺の当事者団体があり、彼らのスローガンは「われらは愛と正義を否定する」である。植松の正義の思想も、子を殺す親の愛も、当事者である彼らは否定しなければならない。彼らの正義や愛は、彼らにとってのもので、障害当事者からすれば迷惑なものであり、耐えられないものとも考えられるからだ。

社会に殺される人々

そして、もし、障害や重い病気を持っていて、自分は死んだ方がいいと考えている人がいるならば、それは社会によってそう考えさせられているのだと知って欲しい。死を望んだALS患者の彼女は社会の重圧に殺されたのだと私は思っているし、もし彼女がもう少し生きていたら、違った未来が見えていたと思いたい。

そして、私たちは想像力を身につけなければならない。明日、交通事故に遭い、片足を失うかもしれない。突然、難病にかかるかもしれない。その時に自分が「死んだほうがマシだ」と思う社会より「生きていてよかった」と思える社会であって欲しい。何より、私たちは歳を取り、最終的に高齢者という弱者になる。安心して障害者になることができ、安心して難病と共に生き、安心して車椅子になれる社会であって欲しい。

弱者にとって生きやすい社会こそが、すべての人間にとって生きやすい社会なのだ。

(編集:榊原すずみ

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