せやろがいおじさんが性暴力について考える理由。僕の中にも「認知の歪み」があった

「芸人として『女性をバカにして笑いをとっていた』ことがあります」「『女性をバカにしたら面白いという感覚が自分の中にあったな』と気がついたんです」。せやろがいおじさんは、自身の“価値観”とどう向き合ってきたのか。
せやろがいおじさん
せやろがいおじさん
オリジン・コーポレーション提供

沖縄の海をバックに、社会問題などについて叫ぶ動画で知られる「せやろがいおじさん」こと、お笑いコンビ「リップサービス」の榎森耕助さん。

動画では、ユーモアを交えながら自身の意見を伝え、視聴者に一緒に考えることを呼びかけている。

榎森さんは今、性犯罪・性暴力に関する発信にも力を入れている。それは、なぜなのかーー。

芸人として「女性をバカにしたら面白いという感覚」を持っていたという自身の過去、それらの考えを更新してきた歩みを明かしながら、「性暴力被害を受けた女性が声を上げた時に、ちょっと見てられへん言葉で攻撃している人がいる。必要なのは『性暴力VS性暴力を許さない人たち』という構図を作ること」と、発信に込める思いを語る。

「男性目線の一方的な情報」をインプットしていた

オンラインインタビューに応じるせやろがいおじさん
オンラインインタビューに応じるせやろがいおじさん
HuffPost Japan

《8月5日にあったNHK「クローズアップ現代+」主催のオンライン・ディスカッション「イヤよイヤよも 好きのうち?? ~みんなで考える“誰も傷つかない”セックス~」に出演されました。性行為の前に互いの同意を確認しあう「性的同意」について、ご自身の過去も含めて真摯に語られていたのが印象的でした》

僕自身、正しい性知識をしっかり学んだ記憶はなくて、アダルト雑誌・ビデオなどの性を商業として消費しているコンテンツから知ったことが多かった。それを元に、男だけで部室で話し合うみたいなことをしていたので、「男性目線の一方的な情報」をインプットしていたと思います。

例えば、かつての僕は「二人で部屋飲みできたら、相手はセックスするのはOKと思っている」と考えていました。「OKであって欲しい」という僕の願望が混ざった歪んだ認知だなと今は思いますね。自分の願望が相手の「NOのサイン」を見えなくさせることがあると思います。過去の自分には、「お前の中でストーリーを膨らますなよ」と言いたい。

「相手がほんまに嫌がってるかもしれへん」という可能性を自分の願望によって打ち消さずに、重大に捉える。そして相手の気持ちの機微を捉えようとすることが大事ではないか。僕は、そう思うようになりました。

「認知の歪み」が生まれる理由

オンラインインタビューに応じるせやろがいおじさん
オンラインインタビューに応じるせやろがいおじさん
HuffPost Japan

《どうして「自分にとって都合のいい認知の歪み」が生まれてしまうのでしょうか?》

自分を疑う目を持てなかったり、自分を過度に守る心理が働いてしまったりするんだと思います。

例えば、性的な行為を拒否された時に、「お前にも勘違いさせるなんかあったんちゃうの?」とか、相手を責める方向に感情が向いてしまう人もいると思います。僕もそういう気持ちになった経験がありました。人間、他者から否定された時に、なんとも言えへん、いたたまれなさみたいな感情が生じることがあるじゃないですか。でもその感情の行き所を相手への攻撃としてアウトプットしてしまうのではなく、つらさを受け入れて、「あ〜間違ってたな」と自分に向けて考えることが大事だと思います。

恋愛や性的な場面に限らず、「女性は3歩後ろに下がって歩け」みたいな感覚がある人からすると、女性から拒否されたり指摘を受けたりした時に、「面子が保てん」みたいに感じて、いたたまれなさが倍加して、攻撃的になってしまう現象もあるだろうと想像できます。

こういう感覚って、小さい頃から刷り込まれていくものだと思います。「え、そんなこと?」って思うかもしれないけど、出席簿や席順が男子が先で、女子が後ろになってるとか、企業の社長は男性が多いとか。そういう風習や風景の積み重ねが、意識に影響しているのかなと思います。

「女性をバカにしたら面白いという感覚」

イメージ画像
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Trodler via Getty Images

《かつては「願望が混ざった」考えもしていたと振り返る榎森さん。何がきっかけで、意識が変わり始めたのでしょうか?》

インターネット上で発信するようになり、ご指摘を受ける中で、自分の今までの行動を振り返るようになりました。ジェンダーに関することもそうです。

かつては自分も、芸人として「女性をバカにして笑いをとっていた」ことがあります。超若手の時は、メディアに出ている芸人さんのやり方を必死で模倣していました。その中で、「女性」をひとくくりにして、「女ってそういう習性があるよね」とややバカにし、笑いの文脈で消費するやり方を真似していました。女性芸人に対する「ブスいじり」もしていました。それらが一部の人には受けて、笑いを取るという成功体験を重ねていくうちに、自分の人格にも刷り込まれていった部分があると思います。

だけどある時、僕が「女性ってSNSで、写真にフィルターかけて自分をすごい綺麗に見せるよね。会ったら、全然違う人」みたいに揶揄した発信をしたことに、「女性を見下している、女性蔑視だ」などとご指摘いただいたんです。

その時、自分の発言の背景について考えてみたんですよね。「加工した写真をSNSに上げている男性もいっぱいいる。なんで俺は、女性だけ取り上げたんだろう?」と。「女性をバカにしたら面白いという感覚が自分の中にあったな」と気がついたんです。

何かをひとくくりにして、揶揄するというのは、「高低差」をつけて笑いをとる方法。笑いの手法としては楽なんですよ。だけど僕は今、何かをひとくくりにして、高低差をつけるというお笑い自体が、時代遅れなんだろうなと思っているところです。

僕自身、芸人としてなかなか新しい手法を見つけられてはいないんですが、高低差を利用したり、誰かを下げたりしなくても、鮮やかな発想とか、愉快な動きとかで笑わせられると思うんですよ。お笑い愛があるなら、この問題から目をそらさず向き合う必要があると思います。

途方もない作業だと、正直思うこともある

オンラインインタビューに応じるせやろがいおじさん
オンラインインタビューに応じるせやろがいおじさん
HuffPost Japan

《指摘を受けた時、「認めたくない」という気持ちが働いて、受け入れるのが難しいこともあると思います。榎森さんは、人からの指摘とどう向き合ってきたのでしょうか》

RHYMESTERさんの曲に「痛みを通した学び」が大切だという趣旨の歌詞があって、すごく好きです。ネット上で誹謗中傷を受けることもあるのですが、やっぱり僕にとって一番きついのは、自分の間違いに気が付く、図星を突くコメントなんですよね。きついですけど、成長痛だと思うようにして向き合っています。

途方もない作業だなと、正直思ってしまうこともあるんですけどね。時代はどんどん変わるし、アップデートした感覚も古くなるし、「ずっと痛いんかいな」みたいに思う時もやっぱりある。その息苦しさも嫌だなと思うからこそ、自分が伝える側になった時用に、批判の作法みたいなものを身に付ける必要があると思っています。

僕のオンラインサロンのメンバーの方が言っていて、めっちゃいいなと思ったのが、指摘をする時に、「今ちょっとフィードバックしても大丈夫?」と聞く方法です。これなら受け手も、「ごめん、今、心に余裕ないから後にして貰っていい?」と言える。思考停止はよくないですけど、成長痛に耐えられないメンタルの時は無理せず、一時停止してきちんと向き合えるタイミングを待つこともありだと思っています。

ネット上の「ちょっと見てられへん言葉」

花を手にする「フラワーデモ」参加者=JR東京駅前、2019年6月11日(写真は本文と直接の関係はありません)
花を手にする「フラワーデモ」参加者=JR東京駅前、2019年6月11日(写真は本文と直接の関係はありません)
Issei Kato / reuters

《現在、榎森さんは性犯罪・性暴力に関する発信にも力を入れています。ここにもサロンメンバーの縁があったといいます。そもそもなぜ関心を持ち、積極的な発信をしているのでしょうか》

ネット上のやりとりを見ていて、性暴力被害を受けて声を上げた女性に対し、ちょっと見てられへん言葉で攻撃している人がいることが気になりました。冤罪は絶対に起こってはいけませんが、確証もなく「ハニートラップだ」という人も出てくる。

しかし、女性であれ男性であれ、性暴力はなくなるべきだと思っている人が多いはずですよね。性暴力に立ち向かうために作るべきは、「性暴力VS性暴力を許さない人たち」という構図です。女性の方が被害に遭われることが多く、現状は女性が主となって声を上げていますが、男性側ももっと「性暴力ってだめでしょ」と声を上げていくことが必要だと思います。

僕がこういった問題に関心をもった時に、サロンメンバーが、性被害の当事者らでつくる一般社団法人「Spring」代表理事の山本潤さんとつないでくださった。

性犯罪に関する刑法改正についての活動をされている山本さんにお話を聞いて、1時間の動画を作りました。強制性交等罪の成立に「暴行・脅迫」が要件になっているのは、このままでいいのか?「性行為に同意する能力がある」とみなす性交同意年齢を13歳からとしているのは、低すぎないか?こういった論点があることや、そもそも刑法改正の議論がされていることも知らない人もいると思うので、伝えたいと思ってやっています。

“安心感”が“優越感”に変わる時…

《様々な社会問題について発信する榎森さん。どういう世の中になっていって欲しいという思いを込めているのでしょうか》

人の心の中には、「マジョリティーに所属していたい」みたいな気持ちがあるんじゃないかと思っています。マジョリティーに所属しているという安心感がしばしば優越感になることもある。優越を感じているということは、そこに高低差が生じていて、声の小さい者に対して想像力が働かなかったり、排除すべき存在ととらえて攻撃へと発展してしまうこともあったりすると思う。

でも、弱い立場の人が生きづらい社会ってすごい怖いと思うんです。自分だってこの先、いつどうなるかわからない。どんな「弱い立場」になるかもわかりません。もし自分が沼に引きずりこまれて、「誰か助けて」って叫んでも、周りが「自分も一緒に引きずりこまれたらヤダし」「見て見ぬふりするのが賢い立ち振る舞いでしょ」みたいな風潮の社会だったら、すげえ怖いですよ。

小さな声とか、弱い立場の人たちの声がすくい上げられやすい世の中の方が、安心だよなと僕は思っています。

オンラインインタビューに応じるせやろがいおじさん
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