私は生活保護を3年間受けていた。恥の感情が体の中に染み込んでいく日々

生活保護の生活とは、どんなものなのか?参考までに、私が生活保護を受けていた体験を語らせていただきたい。
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私は生活保護を受けていたことがある

安倍首相が退陣の意を表明した。長期に渡る安倍政権は弱いものに優しくない政治だったと改めて思う。

安倍首相が最初に手をつけたのは生活保護費カットだった。2013年から生活保護基準の最大10%にも及ぶ引き下げを断行し、全国で約1000人の原告が裁判で戦うという前例のない運動が起きた

その一方で「生活保護受給者は楽してお金をもらっている」という発言がネット上で散見されるようになる。

生活保護の生活とは、どんなものなのか?私が生活保護を受けていたのは安倍政権前なのだが、参考までに、自分の体験を語らせていただきたい。

私は30代の時に生活保護を三年間受けていたのだ。

住宅扶助に収まる家は、どこもボロボロ

私は20代の時、仕事で失敗して実家で引きこもりをしていた。時代はリーマンショックのあおりを受け、健康な男性ですら職を失う時代だった。そんな社会情勢のため、私は簡単なバイトすらも受からず、実家で母と暮らしながら精神科に通院するだけの日々を送っていた。

働いて家を出たいのに、それができないのは非常にストレスで、時折自殺未遂をして精神病院に入院した。そんな中、通院しているクリニックのスタッフから「家を出たらどう?一人暮らしができるようにサポートするわよ。一人暮らしを始めたら就労支援もするから」と言われて、私は家を出る決心をした。30歳の時である。

物件探しは母とした。生活費は実家の仕送りと障害年金で賄うつもりでいたが、贅沢な生活ができる金額でもないので、家賃はなるべく抑えたい。それに、クリニックのスタッフから「家賃は念のため、生活保護費の住宅扶助に収まる金額で」「45000円以内(都道府県によって上限金額はばらつきあり)で」と言われていたので、その通りの金額で探し始めた。

予算内の物件はどこもボロボロで、狭かったり、環境が良くないところばかりだった。大きな道路に面していて、部屋の中まで轟音が響いてきたり、洗濯機が玄関の前に置いてあって、洗濯をする際に、いちいち外に出なければならなかったりした。でも、お金がないのだから、文句は言えない。私は妥協に妥協を重ね、1Kのアパートを契約した。今まで住んだ中で一番ボロボロの部屋だったけれど、実家を出られる喜びは大きかった。

生活保護受給者は差別を受けることが多い

一人暮らしを始めてからは楽しかった。今までは、成人しているにも関わらず母親と暮らしていることに負い目を感じていたけれど、立派に自立している気持ちになれた。台所で包丁を持ってキャベツを刻むと、それだけで生き返った気がした。

日中は精神科のクリニックのデイケアに通い、それ以外は何もすることがないので、本を読んだりテレビを見て過ごした。スタッフから就労の話はなかなかでない。そうこうしているうちに一年が経過し、定年退職を迎えた父から「お金がないので、送金できない」と言われた。それをクリニックのスタッフに告げると「じゃあ、生活保護を受けましょう」とあっさり言われた。恥ずかしながら、この時、私は生活保護に関する正確な知識がなかった。差別を受けることが多いものだということすら知らなかったのだ。多分、生活保護という単語が大きく話題になったのは、お笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことが発覚してからだと思う。そのニュースの前は、生活保護という単語があまり身近でなかったのではないかと記憶している。

福祉を受けることは、プライドを捨てること

クリニックのスタッフに「貯金が10万円以下になったら教えてください」と言われ、その金額になったので、そう告げると市役所に同行してくれると言った。その人はクリニックのソーシャルワーカーだったので、申請の仕方や、手続きに慣れているのだろう。それに、市役所側も、専門職の人間が一緒なので、無下に追い返したりはしなかった。

私は資産がないという証明のため、通帳を役人に渡した。その後、「財布の中身を見せてください」と言われ、戸惑いながら、札入れと小銭入れを開いた。役人は小銭の金額までチェックする。自分は精神障害者なので、障害支援課にはよく来ているし、手続きに関しても慣れているが、小銭の金額までチェックされるのは驚きだった。

「これ、読めますか?」

そういって渡された書類には生活保護に関することが書いてあるのだが、ご丁寧に全ての漢字には振り仮名が振られていた。私はこの書類すら読めない人間だとカテゴライズされているのだと悔しかった。福祉を受けるということは、プライドを捨てることなのだとようやく分かった。

今までは国民健康保険証を持っていたが、それも使えなくなるので、返納した。生活保護受給者は医療費がかからないので、保険証の必要がない。しかし、病気になった時、どうやって病院にかかればいいのかは教えてくれなかった。

なぜ、私は生きているのだろう?

生活保護を受け始めて、分かったのは、この先に明るい未来などないということだった。定期的に生活費が振り込まれるが、生活するだけで精一杯の金額だ。友達から海外のミュージシャンが来日しているからコンサートを一緒に観に行こうと誘われたけど、お金がないので断った。友達に飲みに誘われても、飲み代を捻出するのが大変だし、友達の税金で生活しているという罪悪感が湧いてしまう。

私は徐々に友達に会わなくなった。大好きだった映画館からも足が遠のいた。毎日、スーパーで底値の野菜を買い、洋服はユニクロで売られているセール品の中でもさらに安くなっているものを買った。自分が好きなものを食べ、好きな服を着ることができない。私は次第になぜ生きているのか分からなくなった。

ある冬の日、とうとう風邪を引いた。熱が出て、咳が止まらなくなり、病院に行きたいのだが、どうしたらいいか分からない。市役所に電話をすると「医療券を出すので取りに来てください」と言われた。しかし、市役所は自転車で20分近くかかり、バスも頻繁に出ていない。私が電話口で戸惑っていたら「市役所の出張所でも医療券は出せますので」と言われたので、コートを羽織って、出張所に歩いて向かった。

出張所の受付の人に「生活保護受給者なんですけど、病院にかかりたいんです」と小さな声で告げると、書類を手渡された。かかりたい病院名や診察を受けたい理由、それに名前を書く欄がある。書類を提出すると、受付の女性は電話をかけた。きっと市役所にかけているのだろう。電話が終わると書類にハンコを押して返してくれた。それを受け取って、病院まで急ぐ。病院でも「生活保護なんですけど……」と伝えなければならなくて、恥ずかしかった。

働けるなら、働きたい。でもどうやって仕事を…

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そうしたちょっとしたことの積み重ねで、生活保護を受けていると、恥の感情が自分の体の中に染み込んでいく。生活保護を受けることは国民の権利であり、相互扶助の精神で行われていることなのに、私はとても居心地が悪かった。生きているのが申し訳ないし、働けない自分が悔しかった。

生活保護を受ける生活は、ただ、生きているだけだった。朝起きて、味噌汁と納豆をかけたご飯を食べ、お昼はデイケアでお弁当を食べる。簡単なプログラムをこなした後、家に帰り1人で夕食をとる。

最初は楽しかった一人暮らしだけれど、生活保護を受けても、就労支援は行われず、生活保護のワーカーからも何も言われない。働けるなら働きたいけど、仕事のブランクが10年以上ある自分がどうやって仕事を探したらいいのか見当がつかない。

半年くらい経った頃、この生活が永遠に続く気がして怖くなった。友達にも会えず、胸を張って街を歩くこともできない。欲しいものも買えず、楽しいこともできない生活。私は早く死にたいと考えるようになった。

自殺未遂をして入院。でも生活保護だから入院費は無料

平日の昼間、河川敷まで散歩に行った。川向こうには小さなビル群が見える。あの中でたくさんの人が働いているのに、私は何もしてない。私と同じ年代の人は会社で仕事をし、仕事が終わればどこかに飲みに行き、家に帰れば家族がいる。それなのに、私には何もない。

生活保護費は本当にギリギリの額なので、家計簿をつけながら、うまくやりくりしないと生活が続かない。自転車で遠くにある激安スーパーに行くのが日課になり、人生の目的が生活費を節約することに変わっていった。私はなんのために生きているのだろうと思うと、後から後から不安が湧き上がってきて、頭の中には死の影が漂い始めた。私はとうとう死ぬことを決心した。

ネットの掲示板で自殺のスレッドを見つけて読み込むと、市販薬でも死ねるということが書いてあった。私はその薬を買うために行ける範囲内の薬局を何軒も回った。

アパートに帰ると、大きな錠剤を口に放り込み、何度も飲み干した。確実に死ねる量を飲まなければならない。未遂で終わってはいけない。大量の薬を飲んだ私は疲れて横になった。気がついた時は、救急病院に搬送されていた。鼻にはチューブがつけられ、胃洗浄を何回もされた。警察官に実家の電話番号を聞かれるが、意識が混濁している上に、薬のせいできちんとしゃべることができない。私はその後、何度も人工透析をし、一週間ほど入院をした。なんとか一命を取り留めたが、死ねなかった絶望の方が大きかった。会計の時に母が驚いていた。

「エリちゃん、生活保護だから、今回の入院費はゼロですって」

私が生活保護を受けたのは、自分の責任だと思う?

生活保護受給者の自殺率は、受けていない人の二倍以上だ。30代になると5倍を超えるという。

30代の生活保護受給者は精神疾患の人が多く、彼らの就労は依然として厳しい。そこへ生活保護バッシングが加われば、元からストレスに弱い彼らには耐えることができない。若い生活保護受給者には復職への支援が必要であるし、働くことに困難を抱える人たちへの理解は不可欠だ。

私の友人の夫は良い企業に勤めていて、とても収入がいい。そして、時々、差別的な発言をする。私は意を決して彼に聞いた。

「私が生活保護を受けたのは、自分の責任だと思う?」

彼は私から目を逸らして黙っていた。

「黙っているっていうことは、私が悪いと思うの?」

彼はさらに黙り続けた。否定しないということは、そういうことだと思っているのだろう。

私はその姿を見て、世の中のマジョリティたちは、私たちのことを少しも理解していないのだとようやく分かった。そして、自分たちが恵まれた立場にいるのは、自分が努力して勝ち取ったものだと勘違いしていることにも気がついていないのだと察した。

障害者になるのが耐えられず、障害者手帳を拒否

マジョリティである健康な人たちも、将来は歳をとって老人になる。歳をとって、身体が動かなくなった時、身体障害者手帳を取得することができるのだが、それを拒否する人が多いという話を何かの本で読んだことがある。若い時に、自分が差別していた障害者になるのが耐えられないというのが理由だそうだ。さらに、生活保護を受給している高齢者世帯は過去最多を記録している。今、健康で働いていようとも、将来自分がどうなるかは分からない。

菅首相が総裁選の出馬会見で「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」とニュース番組で述べたが、自助と共助は国が行う公助が行き届かない場合に行うものだ。自分たちでなんとかしてくれ、とはあまりにも無責任だ。

政権交代という、大きな動きの中、私たち国民も政治の動きから目を離してはならない。そして、おかしいと思った時は声を上げよう。10万円の特別定額給付金が給付されたのも、SNSで声を上げたからだ。小さな声が集まれば国に届くのだということを忘れないようにしたい。

(編集:榊原すずみ

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