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2020年10月17日 10時15分 JST | 更新 2020年10月17日 15時18分 JST

テレ朝「卒業」しました。 20年で感じたテレビの変化と報道番組のジレンマ

「埋もれそうになっている小さな声を届けたい」。そんな思いでニュースを伝えてきた20年半。テレビ朝日の報道番組を卒業した長野智子さんよりブログが届きました。

今秋、20年半お世話になったテレビ朝日の報道番組を卒業しました。あらためて番組をご覧いただいた皆様、取材でお世話になった方、そして関係者の皆様ありがとうございました。 

「サンデーステーション」最終回

テレビ朝日のアナウンサーではない私が20年半もの長い間、テレビ朝日一局だけに出演し、今回卒業という形をとったことは今どき珍しいことなのかもしれません。タレントさんが他局の番組、しかもバラエティ番組に出演しながらニュース番組のキャスターも務めるということは、今でこそ珍しいことではありませんが、20年前はまったく状況が異なっていたのです。

 

誰もが自由にニュースを発信できる時代

当時、ニュース番組のキャスターといえば、ジャーナリストや報道専門のアナウンサーが務めるいわば専門職のようなところがありました。フジテレビアナウンサーとしてバラエティ番組を担当していた私は、「報道畑の専門職」であるキャスターに憧れて、狭き門になんとか入りたいとアメリカの大学院で勉強していたわけです。バラエティをやりながらニュースの仕事も、などという空気は1ミリもない時代でした。

2000年春にテレビ朝日「ザ・スクープ」のキャスターとして夢にまでみた報道の世界に足を踏み入れたときは、テレビ朝日と契約を結び、他局の番組やCM、スポンサーがらみのイベント司会など一切しないというのは当然のことでした。宣伝をした企業がニュースになったときに、キャスターとして関係があっては公正な報道ができないという考えが当たり前にあったからです。

この20年でニュース番組を取り巻く環境もだいぶ変わりました。SNSが浸透することによって、誰もがニュースについて自由に発信することが可能になり、ニュースが専門分野のお堅い人たちによるものではなく、もっと平場で語り合われるようになってきた。バラエティ番組やドラマで人気のあるおなじみの顔がキャスターを務めることで、遠くのニュースが身近に感じられるという考えが主流になってきました。

 

世帯視聴率から個人視聴率へ

さらに番組視聴率です。ビデオリサーチが今年から視聴率調査を大幅にリニューアルしたことにともない、世帯視聴率から、個人視聴率、そしてコアターゲットへと移行したことはテレビ制作にかなりのインパクトを与えるようになりました。

かなりざっくりとした説明になりますが、世帯視聴率は各家庭のテレビにどの番組が映っているかではかります。極端な話、ある番組がテレビに映っていて、テレビの前にいるのが猫だけでも視聴率に換算されます。

それに対して、個人視聴率はその番組を実際に観ている人数がわかります。家でテレビがついていても、観ている人は一人というケースもあるため、世帯視聴率は高いのに、人数ではかる個人視聴率は高くないという番組が出てきました。スポンサーからすれば、当然より多くの人数が観ている番組にCMを出したいし、しかも個人視聴率は年齢層や性別もわかるので、より商品ターゲットを絞って番組を選ぶことができます。  

さらにここにきて各局が重要視しているのがコアターゲットです。広告収入を得るために、各企業が消費ターゲットとしてメッセージを伝えたい年齢層「13才~49才(※)」をコアとし番組づくりを意識するようになっています。

デバイスの多様化もあり、若い人たちがテレビを観なくなっている中、その少ないパイをなんとかしてとりに行かねばならないのがテレビの現状なのです。テレビを長い時間観てくださる層は高齢者が多いのですが、コアターゲットが主流の今、堅いニュースや健康、医療といった番組は徐々に姿を消し、バラエティ、お笑い、やわらかい情報番組が増える傾向にあります。

※編集部注…テレビ局によって異なります。  

 

「とっつきやすさ」求められる報道番組

この「やわらかい」とか「わかりやすい」というのが、現在の報道番組が抱えるジレンマかもしれません。

現場で取材をしていて強く感じてきたのは、ニュースは大概「わかりにくい」ということです。白や黒ではなく「グレー」であることがほとんど。アメリカの正義が中東の一部の国・地域の正義とは限らないように、誰かにとっての正解や正義は、ほかの人にとって異なることも多い。そういった「グレー」な事象を、丹念な取材によって導き出される「根拠」で肉付けしながら視聴者に提供していくことが本来の「わかりやすく」という作業です。

しかし、こうした丁寧に時間をかけた報道検証は人手もお金もかかります。できあがった作品も「飽きないように」「短く」「テンポよく」といった今の風潮にそぐわず、視聴者にも集中力や忍耐を求めるもので、結果かかった予算に比較して視聴率がとれないケースも多い。それでも報道機関としてやるべきではという声も当然ありますが、広告収入が激減する環境にあって、そこに力をいれる余裕はありません。

その結果、報道がやるべき本来の「わかりやすく」はとりあえず「とっつきやすく」になります。報道側は「これを伝えるべき」という信念で番組づくりをするというよりは、丁寧な取材も長い説明も必要のない、みんなが知っていて関心を向けているテーマを優先し、様々な立場の人が意見を言うことで見方に深みを持たせようとするスタイルの番組が増えることになりました。

個人的には「それでいいのか」と思うし、同じ気持ちを共有するテレビマンもたくさんいます。しかし一方で時代とともに、社会の映し鏡のように姿を変えてきたのもテレビです。この20年という歳月はまさにテレビ報道が大きく姿を変えた時代と重なってきたように思います。

 

埋もれそうになっている小さな声を届けたい

20年半、国内、海外問わず本当に多くのニュースの現場に行かせていただきました。危機管理のコンプライアンスが今より厳格でなかったころは、紛争下のパレスチナやアメリカによる空爆時のアフガニスタン・パキスタン国境の町など今ではなかなかできない取材もさせていただきました。自然災害の被災者、冤罪被害を訴える方たちの取材や出会いも私にとってかけがえのないものです。

大きな声だけが響く社会ではなく、埋もれそうになっている小さな声を大きな声にして届けたい。その思いで伝えてきました。その一つ一つの取材を思い起こしながら、感謝の気持ちと同時に、私が憧れ、向き合い、なじんできたテレビ報道のひとつの時代の節目を感じています。

そして、なにより大好きなテレビがこれからの時代にどのように変化し、また何ができるのか、もうしばらくテレビの中にいながら考え、その先の世界を観てみたいと思っております。