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2020年10月21日 07時09分 JST | 更新 2020年10月21日 10時01分 JST

甲子園は個性を殺す、古臭いものなのか?イチローファンの監督が問い直す、私たちの社会

日本の高校野球文化、それは同調圧力なのか?それとも日本の長所を作るものなのか。そして、私たちは、どちらか決めなくてはいけないのだろうか?アメリカ在住の映画監督は「甲子園」に問う。

「オレ以外とも、普通に話したらええと思う」

スポーツ紙の記者をやっていた頃、先輩記者のエピソードとして聞いた一言だ。

あのイチローさんがまだ日本でプレーしていた当時のこと。
3年目でシーズン210安打を放って大ブレイクした大スターは、いつもたくさんの報道陣に囲まれていた。

取材攻勢に対応するのも大変だ。中には、意図が分かりにくい質問も投げかけられる。
とても自然な流れとして、イチローさんは少しずつ、心を許せる記者を選んで話したがるようになった。

ある日、そんなイチローさんに対して、「心を許せる側」の記者が雑談の中でこう言った。

「オレ以外とも、普通に話したらええと思うんやけどね」

時事通信社
200本目の安打を達成し、声援に答えるオリックス時代のイチロー選手。シーズンでは210安打の大記録を残した。(1994年9月20日撮影)

「高原さんと話す、でいいじゃないですか」

イチローさんはその記者、日刊スポーツ新聞社の高原寿夫さんに、そう答えた。
だが高原さんは「そうかなぁ」と応じつつも、他の記者とも話すことを勧めるスタンスは変えなかったそうだ。

「すべてオレだけに話した方がいい」と働きかける記者なら、たくさんいる。
そうなれば、エピソードも特ダネも他社の番記者に譲らず、ひとり占めできるからだ。

もちろん、自分にも心当たりはあった。ましてや選手から「あなただけでいい」と言われたら、きっとそれを受け入れてしまうだろうと思った。

だから、人づてに聞いたこの話は、とても強く心に残った。

2017年に僕は日刊スポーツを退社し、ニュースプラットフォーム運用の会社に移った。

その直前、最後の半年だけ、高原さんと同じ野球担当になった。そのおかげで、ご本人にあいさつをさせていただく機会に恵まれた。

甲子園球場のバックネット裏。

始めましての次に、いきなり退社報告をする後輩記者を、高原さんはあきれもせずに受け入れてくださった。

「そうか。インターネット側にいくんか。まあ、そういう時代やもんな。頑張ってや」

そう言って、僕の肩をたたいてくれた。

今年4月。その高原さんがインタビュー取材を受けているショートフィルムをみた。

ヤフージャパンのクリエイターズ・プログラムという枠で「イチローと担当記者の秘話」として公開されていた。

最愛の奥様を突然亡くされた高原さんと、その悲報を聞いて密かに通夜に訪れたイチローさんのエピソード。

さらには、その奥様が生前最後に高原さんに執筆を勧めていた子供向けの本「イチロー 努力の天才バッター」がきっかけで、ひとりの少女がイチローさんの熱烈なファンになったというストーリーも描かれていた。

その少女が、ショートフィルムを手掛けられた映画監督の山崎エマさんだった。
書き手の端くれとして「書いたものがつないだ20年越しのご縁」というのがとても印象的だった。そして「ご縁を大事に思ってたどっていく」という山崎さんのやり方を、とても好ましく思った。

その山崎さんがこの夏、日本で1本の映画を公開された。

もともとはアメリカ向けに、高校野球という文化を伝えるために制作された作品だった。コロナ禍で春夏の甲子園大会がなくなったことを受け、急きょ日本でも上映されることになったという。 

©2019 Cineric Creative/NHK/NHK Enterprises
「甲子園:フィールド・オブ・ドリームス」より

その日はこの映画「甲子園:フィールド・オブ・ドリームス」の上映後に、山崎さんがトークセッションをされることになっていた。

ご本人にお会いしてみたいと思い、足を運んでみた。

作品自体がどういうものなのかは、まったくイメージできなかった。

高校野球、そして甲子園については、描かれつくされているところもある。高校野球を重点的に取り上げるスポーツ媒体で働いてきたから、とくにそう感じる。

そんな日本で、甲子園を知らないアメリカの人に向けてつくられた作品を上映する。

入門編のような情報なら、知り尽くしている日本人は退屈してしまう。どういった切り口なら成立するのだろうか…。

上映が始まった。

モチーフとなったのは、横浜隼人高校の野球部。
全員で足並みをそろえて走る場面に、目を奪われた。

掛け声を上げながら、全員でジョギングをするというのは、どこの高校でもやっていることだ。

だが、この作品に収められていたのは、何十人もの部員が全力に近いスピードで足並みを完璧にそろえる映像だった。

歩幅もそれぞれ違うメンバーが、スピードを緩めるでもなくここまであわせられるのか…。 

©2019 Cineric Creative/NHK/NHK Enterprises
「甲子園:フィールド・オブ・ドリームス」より

「もともとは、日本が好きじゃなかったんですよね」

上映、そしてトークイベントが終わった後に、山崎エマさんご本人と話す機会に恵まれた。

山崎さんは日本で生まれ、学生時代までを国内で過ごした。
19歳で渡米。ニューヨーク大学を卒業した後もアメリカに拠点を置き、ドキュメンタリー映像作家として活動してきた。

「高校まではとにかく、個性を殺してでも集団に対する責任を果たす、みたいな感じがすごく苦手で。父がイギリス人ということもあって、望まずとも目立ってしまうところもあったので『出る杭は打たれる』みたいなものを感じてもいました。アメリカに行きたいと思ったのも、そういうあたりを窮屈に思ったからというのはあります」

だが、今作で取り上げている高校野球こそ、そうした「個性を殺してでも集団に対して責任を果たす」という考え方を象徴するものだろう。ガッツポーズをした選手が審判から強く注意されてしまうあたりなどは「出る杭は打たれる」でもある。

「そうですね。まさに、自分が高校生だったころにはあまり共感できなかったものです。ただ、日本を離れてアメリカで10年暮らすうちに、そういう考え方がプラスになる側面、みたいなものも少しずつ見えてきたんですよね」

©2019 Cineric Creative/NHK/NHK Enterprises
「甲子園:フィールド・オブ・ドリームス」より

″高速シンクロ走”の場面に続いて収められていたのは、新入部員がこのランニングを練習する光景だった。

当然、すぐにうまくいくわけはない。
自分たちの足並みの乱れ方に、思わず笑ってしまった新入部員に、教育係の上級生が言う。

「笑うな。『どうせできない』と思ってやっているんじゃないのか?」

「必ずできるようになる」と思うところが第一歩だと、上級生は説く。

仕事、あるいは人生との向き合い方を指摘されているような気がした。10代の言葉とは思えなかった。スクリーンの前にいる自分まで襟を正したくなった。

練習の様子をドローンで俯瞰した映像が差し込まれる。

横浜市保土ケ谷の練習場の向こうには、東海道新幹線が行き来している。きわめて正確に運行ダイヤが守られる「日本の象徴」と、完璧に足並みがそろったランニングの様子が重なる。

AFP・時事žŽ–
東京・新橋駅

「鉄道が時刻通りにやってくるって、日本にいると当たり前だと思っちゃいますよね」

ニューヨークに移り住んだ山崎さんは、地下鉄がいつも数分遅れで動いていることに気づいた。

日本のように、時刻表で調べて計算通りに1分前に到着、などというのは不可能だ。確実に時間に間に合うように、と思うなら、かなり余裕を持って行動しなければならない。

「時刻通り、ってすごく便利だし、かなり安心なんですよね。日本を離れて、初めて気づきました。それから、少しずつ日本の文化の価値に気づけるようになって」

苦手だった「自分を殺してでも足並みをそろえる」という考え方の中にも、「各々が自分の仕事をきちんと果たす」というプラスの面が見えてきた。

「同調圧力みたいなものをよしとしようとは、今もあまり思わないのですが…。ただ、物事は見る角度によって、マイナスのように見える側面もあれば、プラスの側面もあるのは確かで」

甲子園をモチーフにしたのは、まさにそうしたところを伝える狙いだった。
ランニングの場面に象徴されるように、日本の高校野球は「個性を殺すもの」として、アメリカの人々にはすぐには理解しにくいかもしれない。

ただ、作品の中には新幹線だけでなく、ごみひとつない路地や美しく整備された桜並木など、日本を象徴するような光景がいくつも差し込まれている。

それらと合わせてみることによって、「日本の長所」と世界から認識されているようなものの裏には、高校野球的な教育方針があるということが、おのずと伝わってくる。

「そういう教育方針が全面的にいい、とまでは私も思いません。ただ、高校野球のそういうあり方を変えると、もしかしたら20年後くらいに地下鉄が3分遅れてくるようになるかもしれない」

「物事にはいろんな側面があるし、複雑につながりあってもいるんだと思うんですよね。すべて、表裏一体だなと」

劇中ではその後も、横浜隼人高校を中心として、日本の高校野球の様々な側面が描かれていく。

 

野球部に入部するにあたり、頭を丸刈りにする新入生。

「指示した体重に達するまでは練習に参加させない」と言われ、グラウンドの横でひたすら食事をかき込む選手。

100人の部員を束ねる重圧から、思うようなプレーができなくなるキャプテン。

最後の大会で敗退した後も、地元の花火大会にチームメートみんなで向かう3年生。

©2019 Cineric Creative/NHK/NHK Enterprises
「甲子園:フィールド・オブ・ドリームス」より

これらは「どこを『到達点』と置くか」によって、見え方がまったく変わってくる。

甲子園に出場するのを目標にするのか。
あるいは優勝を目指すのか。

高校野球で成功することがゴールなのか。
あるいは高校野球の経験をその後の人生に生かす、さらには社会に還元するところがゴールなのか。

規律を守って組織を支える人間を目指すのか。
自分の判断で組織を動かす人間を目指すのか。

この作品にはナレーションがない。ゆえに「どちらが正しい」というような結論は一切示されない。

日本での上映が始まると、山崎さんの元には「結局、高校野球を持ち上げたいのか、けなしたいのか分からない」という意見も寄せられたという。
それに応える山崎さんのメッセージを、劇中から見出すとすれば、たったひとつだと思う。

終盤、ある監督が「明日から丸刈りはおしまいにしようと思う」と選手たちに伝えた上で、こう付け加える。

「高校野球には良いところもある。そして、変わっていった方がいいところもある」

©2019 Cineric Creative/NHK/NHK Enterprises
「甲子園:フィールド・オブ・ドリームス」より

この作品が日本で公開されたのは、甲子園大会がコロナ禍で中止になったということが、最大の理由だ。

大会さえ行われれば、高校野球が日本の文化に及ぼしてきたさまざまな影響、もっと言えば功罪のようなものについて議論される機会は必ず生まれる。
それは、国民みんなが日本の文化自体について考える機会、とも言えるかもしれない。

それに代わる機会、という意味で、この作品はとてもいいものだと思う。

もともとはアメリカの人々に向けてつくられた作品。つくった山崎さんも、アメリカに拠点を置いて久しい。だが、そうであるがゆえに、この作品を見ることで日本の文化を俯瞰することができる。

「コロナ禍自体が、日本の文化をいろいろな角度から見る機会になったような気もします」

山崎さんはそう付け加える。

「日本国内では、コロナまん延への対応について、批判的な意見も寄せられています。でもアメリカから見ると、日本が出せた結果は素晴らしい、となります。台湾やドイツと並んで、規律性を持ってコロナを抑え込めている国に数えられている」

「ただ、日本にもアンテナがある私は、自粛警察と呼ばれるような同調圧力が生む窮屈さも知っています。物事にはプラスもマイナスもある。矛盾にも満ちている。二元論は本当に分かりやすいけど、本質的かと言えば微妙。そういったあたりをあらためて感じています」

今、あらためて高原さんのエピソードを思い返す。

イチローさんに「オレ以外とも普通に話したらええやん」と勧めたことにも、きっといろいろな側面があったのではないか。

高原さんなら、どんな時もイチローさんについての素晴らしい記事を書けるだろう。だが、野球ファンは日刊スポーツだけに集まってくるわけではない。

野球界のことを思えば、あらゆる媒体がより良い記事を発信し、より多くの読者に野球の魅力を伝えられた方がいい。

高原さんご自身も、より広い層へ、という取り組みをされていた。

生前の奥様の後押しもあって、子ども向けの本という形で、いつもと違う層に向けて発信をされた。

それを小学生の山崎エマさんが、課題図書として読んだ。
そして彼女の人生が変わった。

イチロー選手の哲学である「継続は力なり」という言葉は、響き自体は古風なものだ。ネット、SNSの世の中になり「もっと最短距離で」「もっと合理的に」が主流になったこともある。山崎さんの世代には、より古臭く聞こえてもおかしくない。

だが、高原さんの本の力で、山崎さんはそこにひとつの真実を見出した。「努力を重ねれば、夢はかなう」。そう思い続けて大人になって、やがてイチローさんの魅力、野球文化の魅力を伝えるショートフィルムをつくるまでになった。

そして取材者として、人生を変えてくれた恩人の高原さんの前に現れた。

高原さんの取材現場でのスタンスは「翌日の紙面でどっちが上か」という新聞社同士の競争という観点から見れば、もしかしたらマイナスだったかもしれない。

だが、野球界全体という広い視野や、20年という長いスパンで見れば、とても大きな価値があると気づくことができる。

そんな高原さんだから、僕が退社の報告をした際も、笑って肩をたたいてくれたのかなと、今は思う。

「自分の会社を辞めていく」というようなシンプルにネガティブな受け止め方ではなく、もう少し俯瞰的な見方をされていたのではないか。

そう気づくことができるのは、山崎エマさんの作品やお言葉からの気づきがあったからこそだ。

それもまた、高原さんがつくってくださったご縁があったからこそ、でもある。

(取材・文:塩畑大輔 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko