『元女子高生、パパになる』。トランスジェンダー男性の杉山文野さんが、家族をつくった今だからこそ伝えたいこと

出生時の性別と自認する性別の不一致に悩んだ経験を綴った初のエッセイ『ダブルハッピネス』から約15年。社会の変化は、杉山さんの目にはどう映るのか。

トランスジェンダー男性で、LGBTQへの理解を進めるイベント「東京レインボープライド」や、同性カップルを結婚に相当する関係と認める渋谷区の「パートナーシップ条例」制定などに携わってきた杉山文野さん。

パートナーの女性との間に子どもを持ったことをきっかけに、2020年11月、2冊目のエッセイ『元女子高生、パパになる』(文藝春秋)を出版した。出生時の性別と自認する性別の不一致に悩んだ経験を綴った初のエッセイ『ダブルハッピネス』から約15年。社会の変化は、杉山さんの目にはどう映るのか。

「元女子高生、パパになる」杉山文野著 文藝春秋より

――『ダブルハッピネス』を上梓したのは2006年でした。15年が経った今、改めて本を書こうと思ったきっかけについて教えてください。

『ダブルハッピネス』を書いた頃は、「LGBTQ」という言葉自体、ほとんど知られていませんでした。執筆にあたって「世の中を変えてやる」というような強い意気込みを持っていたわけでもない。「こんな風に生きている僕がいます」ということを素直に書いたら、予想以上の反響がありました。

その後、「東京レインボープライド」に関わったり、渋谷区の「同性パートナーシップ条例」制定に力を注いだり……。とてもめまぐるしかったけれど、声を上げれば社会を変えられるんだ、という実感を得た約15年間でした。

2冊目を執筆するきっかけとして大きかったのは、ライフステージの変化です。僕はトランスジェンダー男性で、いまはパートナーの女性と一緒に、2歳の娘を育てています。ゲイの親友から精子提供を受け、体外受精でパートナーが出産。親友も子育てに参加しているので、「1人の娘に3人の親」という、一般的にみれば少しユニークな家族のかたちです。

「元女子高生、パパになる」杉山文野著
「元女子高生、パパになる」杉山文野著
文藝春秋

「女の子だから」「親がトランスジェンダーだから」などという言葉で、娘が将来、差別を受けることがありませんように――子育てをする中でそんな思いを一層強くしています。ただ、社会はそんなに急には変わってくれない。壁にぶつかることもきっとあるでしょう。

この15年間の「変化」の歩みを記録に残しておけば、それがいつか娘の支えになることもあるのではないか。LGBTQの当事者や支援者に限らず、この社会で、さまざまな理由で生きづらさを感じている人たちのヒントになるような言葉を、今の自分ならば紡ぎだせるのではないか。そんな思いで書きました。

――本書ではLGBTQをめぐる社会の動きと共に、杉山さんがパートナーと出会い、家族をつくっていくまでのプロセスが丁寧に描かれています。

実生活の中で僕は「父親」的存在ですが、(制度の壁によって)戸籍上の性別変更ができていません。なので僕の家族は、現在の法律上は「シングルマザーと、同居する女性」になります。もう一人の「父親」である親友は、自宅から週に1~2度、僕らの家にやってきて、育児を分担してくれています。

実態と今の法制度が噛み合っていないから、「子どもを持つ」という選択をするに当たっては、いろいろ調べて準備したり、法律の専門家にも知恵を借りながら話し合いを重ねたりする必要がありました。労力はかかっても、子どもを持ちたいという希望をかなえるには、そうするよりほかなかった。

でも、同時に「ハッピーな僕らの姿」もしっかり届けたいと思っているんです。普段の生活は、ほかの多くの家庭と変わらないんですよ。朝起きたら大急ぎで食事の支度をして、娘を保育園へ連れて行って、仕事をしながら今度は夕飯の献立を考えて……。しかも娘は最近「イヤイヤ期」に突入して、服を着させるのにも、歯を磨くのにも一苦労。ワイワイ格闘しながら、日々を楽しく過ごしています。

子どもは本当に手がかかるので、「親が3人」というのは心強い! 先日は動物園に出かけたのですが、3人いれば、交代制で1人は休憩できる。親が多いことをマイナスに感じたことはありません。そんな僕らの等身大の姿をまるごと知ってもらいたい。これが正解というつもりは全くありませんが、ロールモデルのひとつになれたらいいなと思います。

――ロールモデルになりたい。なぜそう思うのでしょうか。

この社会でLGBTQの当事者が自分の意志や希望を手放さずに生きていこうと思うと、圧倒的にロールモデルが足りない。僕自身、常に手探りで、目の前の困難や障害一つひとつと向き合ってきました。LGBTQの人たちの自己肯定感が低かったり、自殺率が高かったりする背景には、「あるがままの自分で、幸せに生きていけるイメージ」を持ちにくいことがある。

僕自身、不安や苦しみを感じないわけではないです。でも、格好つけた言い方に響いてしまうかもしれませんが、できることなら生きづらさを抱えている人たちの希望になれたら、と思うんです。

インタビューで語る杉山さん
インタビューで語る杉山さん
Yuriko Izutani / HuffPost Japan

――この15年間で、LGBTQをめぐる状況が大きく変わったという実感はありますか。

LGBTQという言葉自体の認知度は飛躍的に向上しました。昔は「サンドイッチの名前(BLT)ですか」なんて言われそうな感じでしたが……ほぼ一般常識になりつつある。

そして、個人的には渋谷区の「パートナーシップ条例」制定へとこぎつけられたことは大きな節目でした。きちんと声を上げれば、社会って変わるんだと確信できた。

こんな例え話を知っていますか。箱の中にミノムシを入れて蓋を閉めておくと、しきりにピョンピョン跳ぶのだけれど、何度跳んでも蓋にぶつかってしまう。そうするとその感覚に慣れてしまって、蓋を開けても、それ以上に高くは跳べなくなってしまう。

僕たちLGBTQの当事者は、まさにそのミノムシのようなもの。「何をしたって無駄じゃん」「声なんか上げたって変わりっこないよ」と思わされる。条例制定で「社会の箱の蓋」が開いたとまでは到底いえないけれど、「開けるのは無理じゃない」と信じられるくらいの成功体験にはなったのではないでしょうか。

――当事者が声を上げ、認知度は上がった。支援者も増えた。一方、最近でも足立区議会議員の無理解な発言などが問題になりました。15年かけても変わらなかった、あるいは変えるのが難しい、と感じているところは。

当事者ではない人に、いかに「自分事」化してもらうのか、というのは悩みどころです。変わらなければいけないのはマイノリティではなくマジョリティのほうなのに、なかなか声が届かない。

今回の本にも書きましたが、僕は主催するNPO法人の共同代表として、「東京レインボープライド」の見え方を「当事者によるデモ行進」から、「非当事者も気軽に参加できるフェスティバル」に変えました。今でこそ、理解は少しずつ広がってきましたが、当初は特に、当事者の側から「フェスティバルだなんて現実がまるでわかっていない!」という批判も受けました。

その気持ちは分かる。命を削られるような痛みや苦しみを感じている当事者たちがいるのは確かで、僕自身、そういう思いもしてきたから。

そんな中で「フェスティバル」をやることが正しいのか。正しいかどうかは分からないけれど、「社会を変える」という目的を達成するために、非当事者にアプローチすることは必要な手段だと僕は考えた。初めは分からなくてもいいから、「これから知ってみよう」と思ってくれる人を一人でも増やすきっかけづくりをすることを選択したんです。

――ただ、そこで「LGBTQ」という言葉を認知したとしても、さらに情報を集めたり考えたりして、杉山さんの言う「自分事として捉えられる」段階に行くまでの間には大きな隔たりがあると感じます。どうすればいいでしょうか。

難しい課題です。マジョリティがマイノリティを理解しようとしないのは、端的に「マイノリティとしての経験がないから共感しづらい」という問題が大きい。
特に年配の男性にLGBTQを拒絶する人が多いのは、何かの属性を理由に虐げられた経験が少ないからだと思います。

先日の「同性愛を認めると足立区が滅びる」などと発言してしまった足立区議会議員のケースが代表しているのではないでしょうか。もちろん、年配の男性の中にも理解のある人はいます。僕の経験上、例えば海外へ行って人種差別を受けたことがあるなど、何らかのマイノリティ経験を持っている人が多い。

差別はもちろん許されないこと。でも、僕は一人の人間同士として相手と向き合ったとき、「つらい経験をしたことがないのは本人のせいではないよな」と思うことがあります。

例えば、僕のパートナーの母親はすごくいい人なんです。でも、僕が彼女とパートナーとして一緒に生きていきたいと伝えると、強硬に反対されました。ひどい言葉をぶつけられることもありました。でも僕は、大切なパートナーが大切にしている母親に、受け入れてもらうことをあきらめたくなかった。だから、何度でも思いを伝えた。

並行線のまま終わってしまうケースもあるでしょう。だけど僕らの場合は、ある日ふっと、一緒に食卓を囲めるようになったんです。隔たりを一気に解消するような特別なやり取りがあったわけではないし、「今日から受け入れるね」なんて宣言されたわけでもない。でも今は、あんなに拒絶されていたのが嘘だったみたいに笑い合っている。

「経験したことがない、よく分からないこと」を頭で理解して、さらにまるごと受け入れるのには、きっと時間が必要だったのだと思います。

――そういう希望を持てる変化を、社会の色々なところで起こしていくために、今何か取り組んでいることはありますか。

実は、僕が本を書くのは、その試みの一つでもあるんです。「物語」は、「自分事」化して考えるきっかけをつくれる可能性を秘めていると思うから。

10月に、僕が関わったもう一冊の本が出版されました。乙武洋匡さんが、僕をモデルにして書いた小説『ヒゲとナプキン』(小学館)です。

『ヒゲとナプキン』は、実話を基にしたフィクション。『元女子高生、パパになる』は僕をはじめとした実在する人々の姿を具体的にイメージできるエッセイ。どちらがなじみやすいかは読者によっても異なりますが、物語を読み進める中で、登場人物の中に「自分と似ている人」「考え方に共感できる人」を見つけられる瞬間がきっとあると思うんです。

「この人はトランスジェンダーだから」などと枠にはめて理解した気になるのではなくて、「同じ状況にいたら自分もこうするかもしれないな」とか、「そういえば過去に似たような出来事があったけど、相手はこういう気持ちでいたのかな」とか、考えを巡らせてみる。すぐに分かり合えるわけではないけれど、物語を楽しみながら思いを馳せる時間を増やしていくことで、少しずつ歩み寄れる可能性はある。

僕はこれからもあきらめずに、お互いが分かり合える糸口を見つけていきたいと思っています。

(取材・文:加藤藍子@aikowork521 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko

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