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2020年12月10日 11時38分 JST | 更新 2020年12月10日 11時38分 JST

家族という名の足かせ。虐待を受けた者は、将来、加害者になってしまうか?

父親からの暴力に怯えていた子ども時代。私もあんな風に、誰かを絶望の淵に立たせてしまうのかもしれない。

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突然、家に帰ってこなくなった父

離婚や一人親という言葉には、一般的には負のイメージが付きまとう。「両親の離婚は子どもがかわいそう」「一人親ではちゃんとした子に育たない」。それが、私が思春期を過ごした時代の、ごく普通のありふれた感覚だった。離婚なんて、あり得ない。親それぞれの我慢が足りないだけ。お互い、きちんと話し合いをすればわかる。それも、よくある感覚のひとつだ。

あの頃の私だって、似たような考え方を持ち合わせていた。両親が離婚して苗字が変わった同級生に対して、「可哀想だな」と純粋に思っていた。

 

しかし、私の両親も離婚した。「妹の義務教育が終わるまで」という約束も待たずに。

私が高校3年生の頃、ほとんど口も利かず、顔を合わせることのなかった父親が家に帰って来なくなった。しばらくしてから「そういえば、離婚したから」と、食器を洗う母親にあっさりと告げられたのだった。

 

実際にその言葉を聞いたときの私は、不幸でも可哀想でもなんでもなかった。予想ができたにも関わらず、安心したのだ。心から。もうこれで、父の存在に怯えながら生活する日々が終わると思った。母の泣く姿も、「殴られるかもしれない」という選択肢が頭の中に浮かぶことも、なんとなく気まずいリビングの雰囲気も、すべて過去になる。そう思うと、ほっとした。あのときの気持ちや両親が離婚してからの生活は、決してかわいそうなんかではない。

きっと、今後の人生であれ以上の不幸を経験することも、辛い気持ちや惨めな思いをすることもないだろうと思う。

 

暴力の被害にあった人が加害者側になってしまうのが、わかる自分

「虐待された子ども、家庭内暴力を受けた子どもは、自分が親になったときに子どもに暴力を振るってしまう可能性が高い」という調査結果をどこかで見たことがある。この事実を知ったとき、私はなぜだろうと思っていた。もし私が母親になったら、絶対に暴力を振るったりしない。同じような惨めな思いは絶対にさせない。それは、私が実際に両親から日常的に暴力を受けていたからこそ抱く思いだった。

前提として、自分より弱い存在である女性や子どもに手を上げるなんてあり得ないことではあるが、なぜ自分が経験した辛い出来事を繰り返してしまうのか。とにかく、不思議だった。

 

しかし、大人になった今、暴力の被害にあった人が加害者側になってしまうのも、なんとなくわかる自分がいる。

私はいつも、後になってから気が付く。例えば、家に帰るまでの電車のなかや、シャワーを浴びているとき、ふと頭のなかに空白ができたとき、飲み会の席やさりげないコミュニケーションのなかで、誰かを傷つけてしまったことがはっきりとわかる瞬間がある。もしかしたら、取り返しのつかないことを言ってしまったのかもしれない。そう気が付いたときは大抵遅くて、身動きが取れない。実際に、疎遠になってしまった人だっている。私は、大事なタイミングをいつも見逃しているのだ。

 

自分の他者への攻撃性が怖い

自分のうちに潜む暴力性や加害性と家庭内暴力は、つながっているのだと思う。誰だって、初めから配偶者や子どもに暴力を振るいたいわけではない。やっとの思いで作った家族や家庭を壊したいと思う人なんていないはずだ。

気を許し、心を開き、精神的な距離も近づく。そして、お互いに何の遠慮もなくなると、私は、誰かを深く傷つけてしまうのではないか。そして、その延長上に暴力が存在していて、いつの日かを起点にし、両親が私に対して日常的に手を上げていたように、私も誰かに暴力を振るうことに何も思わなくなってしまうのではないか。

 

私には、結婚願望がない。できるなんて思っていない。やっと辛かった日々から這い上がれたのに、結婚したいとか、特定の誰かに好かれたいとか、そういう気持ちを持つこと自体が贅沢なんじゃないかと思うときすらある。きっと自分もどこかに存在する相手も、私の持つ暴力性や加害性、私が両親から暴力を受けたという過去の被害者にしてしまう。

幸せな家族や家庭をいまいち想像できないというのもあるが、心の奥底に眠っているかもしれない自分でも気が付けないであろう他者に対する攻撃的な態度が怖い。距離が近くなり、心を許し、少しでも気を抜くと、坂を転がっていくように私の加害性も速度を上げていってしまうような気がして。

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過去は消せないし、消えない

やっと、抜け出せたと思っていた。両親が離婚さえすれば、何か大きな存在に怯えることもなくなり、普通の日々を取り戻せると思っていた。その延長で、私も普通の人間になれると思っていたのかもしれない。けれど、当然私を構成する要素のどこかには家族がいて、家族のなかで培った記憶や思い出もある。普通の、真っ当な人間として見られる努力はすることはできるが、過去は消えないし絶対に消せない。

家族や家庭が、人生のすべてを決めるとは思っていない。人とまともなコミュニケーションを取れないのも、きちんと友達を作ることができないのも、私の努力不足である点が明らかに大きい。けれど、誰かを傷つけてしまったと思うとき、ふと自分の育った家族や家庭が頭に浮かぶ。あんな風に、私の力によって誰かを絶望の淵に立たせてしまうのかもしれない。

何があっても、私と家族という存在は、切り離すことができない。実際に暴力を受けることからは逃れられたかもしれないが、暴力そのものから自分を遠ざけることは不可能なのかもしれない。暴力が怖い。受けるのも、私が誰かに対して振るってしまう可能性が少しでもあることも。家族という存在が、私の足かせになっている。

(文:あたそ 編集:榊原すずみ/ハフポスト日本版)