「メルケル首相」厳戒ロックダウンの成否。拳振り上げ感情爆発

「人々と接触し続けることで、今年が祖父母との最後のクリスマスになったとしたら、我々は重大な間違いを犯すことになるでしょう」
12月9日、連邦議会でのアンゲラ・メルケル首相
12月9日、連邦議会でのアンゲラ・メルケル首相
時事通信社

ドイツのアンゲラ・メルケル首相が12月9日に連邦議会で行った演説は、歴史に残るだろう。普段は冷静沈着なメルケル首相が、珍しく感情を露わにして国民に対しコロナ対策への協力を求めたからだ。普段のポーカーフェースを脱ぎ捨てた、彼女らしからぬ演説は、今日のドイツの事態の異常さを際立たせた。

「努力は不十分だった」

この演説のテーマは、2021年の予算案だった。メルケル政権はパンデミックによって経済界が受けつつある打撃を緩和するために、あえて巨額の借金を行って市民や企業を支援している。例外的に財政赤字が急増するが、その必要性を国民に説明するのが狙いだった。

だが演説の後半で、メルケル首相はドイツがパンデミック第2波で苦戦している現状について、苦言を呈した。まず、

「我々がこの予算案を最初に議会で審議した9月29日には、1日あたりの新規感染者数は1827人、集中治療室(ICU)で治療を受けていた重症者は352人、この日の死者は12人でした。しかし12月8日には、新規感染者数が2万815人に達しました。ICUで治療されている重症者は4257人。1日で590人が亡くなりました」

と具体的な数字によって、パンデミックによる被害が、約2カ月半でいかに深刻化しているかを示した。そして、

「これらの数字は、市民の間の接触が多すぎることを示しています。これまで我々が行ってきた、市民の接触を減らそうとする努力は不十分だったのです」

と結論付けた。この時メルケル首相は、元科学者らしい一面をのぞかせた。

「私は科学による啓蒙(Aufklarung)の力を信じています。啓蒙主義は、今日のヨーロッパ文明の基礎です。私は社会主義時代の東ドイツで物理学を専攻しました。その理由は、社会主義政権がいくら政治的な出来事や歴史上の事実を捻じ曲げることができても、重力や光の速度などに関する事実や法則を歪曲できないと思ったからです」

つまり、感染拡大の防止策について懐疑的な市民たちに対し、「新規感染者数や死者数の激増を示す数字を直視しなさい」と訴えたのだ。

新規感染者数が2万人を突破

ドイツでは10月下旬から新規感染者数が急増し、毎日1万人を超える陽性者が見つかるようになった。このため、メルケル政権は11月2日に「部分的ロックダウン」を発令し、レストラン、喫茶店、劇場、映画館、フィットネスジムなどの営業を禁止するとともに、出張以外の国内旅行を禁じた。

「部分的」と呼ばれた理由は、政府が学校や託児所、商店については閉鎖を命じなかったからだ。特に政権が重視したのは、学校での授業の継続だった。今年3月から5月までのロックダウンでは、学校を休校させたために勉強が大幅に遅れ、両親が子どもたちの自習を助けられない家庭では、一部の生徒たちの学力が低下したからだ。

しかし、新型コロナウイルスの感染は政府の努力を嘲笑うかのように拡大し続け、11月上旬には初めて新規感染者数が2万人を突破。その数は減る傾向を示さなかった。

特に深刻なのは、医療資源が逼迫し始めたことだ。今年5月22日には全国の病院のICU約3万2000床の内62%が使用され、38%が空いていたが、12月8日には、空いている比率は18%に減っていた。1日に500人を超える市民が命を落としていた。

メルケル首相は、

「これらの数字から、連邦政府と州政府が力を合わせて、より抜本的な対策を取らなくてはならないことは明らかです」

と語った。ドイツ政府の諮問機関「レオポルディーナ」の科学者たちは、12月8日に発表した提言の中で、

「12月14日から学校を休校にし、企業には原則としてテレワークを行うよう要請するとともに、12月24日以降は食料品店や薬局などを除く全ての商店を閉鎖するべきだ」

と訴えていた。

クリスマスまでわずか2週間

例年のベルリンでのクリスマス・マーケットの様子
例年のベルリンでのクリスマス・マーケットの様子
picture alliance via Getty Images

クリスマスは、ドイツ人にとって1年で最も重要な祭日で、日本人にとっての正月並みの重要性を持っている。12月25日から26日が公式の祭日だが、大半の企業は24日から社員を休ませる。コロナ禍が起きるまでは、家族・親類が集まってプレゼントを交換したり、食卓を囲んだりするのが普通だった。

だが、ウイルス学者たちからは、

「クリスマスに家族や親類が集まることによって、新規感染者数がさらに増える危険がある」

という指摘が出ていた。

新型コロナに感染しても、直ちに症状が出るとは限らない。しかも、症状が出る2~3日前から感染力があることがわかっている。特に若者や子どもの間では、無症状の感染者がしばしば見られる。米国のメディアは、

「11月26日のサンクスギビング(収穫感謝祭)の祝日で人々が会食をしたり旅行したりした後に、各地で感染者が急増した」

と報じている。

メルケル首相は、

「私はレオポルディーナの提言に賛成です。クリスマスに家族が集えるようにするには、その前から接触を大幅に減らさなくてはなりません。我々は、直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数を、50人未満に抑える必要があります」

と述べた。12月8日の直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は、147人に達していた。彼女は、この数を50人未満に減らさない限り、保健所が感染経路を突き止めることは不可能だと見ている。制御不能に陥っているウイルスの拡大を、再びコントロールすることを目指しているのだ。

そして演説の終盤に、突然メルケル首相が感情的になった。

「私が非常に心配しているのは、ドイツの1日あたりの新規感染者数が1週間ごとに約3500人ずつ増えていることです。以前は感染者数が少なかったザクセン州など旧東ドイツの州でも、数が急激に増えています。しかもクリスマスまであと2週間しかありません。わずか2週間です! 我々は感染者数の爆発的な増加を防ぐためには、あらゆる手段を取らなくてはなりません」

「レオポルディーナの科学者たちは、クリスマスの休暇に、市民の接触を必要最小限のレベルまで減らすべきだと提言しています。私はこれがいかに難しいかを知っています。クリスマスの風物詩であるホットワインやワッフルの露店が町の広場で準備されていた時に、政府から『食べ物を屋外で食べてはならず、家に持ち帰らなくてはならない』と命じられることが、人々にとっていかにつらく不愉快であるか、私は理解できます。申し訳ありません。私は心から申し訳なく思います。しかし接触が減らない場合、我々は毎日590人の命が失われるという代償を払わなくてはなりません。これは、私の考えでは絶対に受け入れられません。したがって、我々は今行動しなくてはならないのです」

「科学者たちは、クリスマス直前の時期を、市民の接触を大幅に減らすために使うべきだと訴えています。子どもたちの就学義務を一時的に廃止して、冬休みを早めることを批判する人もいるでしょう。しかし我々はパンデミックという100年に1度の災厄に襲われている今、オンライン授業など緊急的な解決手段を見つけるべきです。もしも我々がクリスマス前にロックダウンを始めず、人々と接触し続けることで、今年が祖父母との最後のクリスマスになったとしたら、我々は重大な間違いを犯すことになるでしょう。そうした事態は絶対に避けなくてはなりません」

メルケル首相は、無症状感染者がクリスマスを祝う晩餐会に参加して、高齢者にウイルスを感染させ、クリスマス後に重症者や死者が増えることを懸念しているのだ。

もどかしさと焦り

12月9日、連邦議会でのアンゲラ・メルケル首相
12月9日、連邦議会でのアンゲラ・メルケル首相
時事通信社

メルケル首相はこれらの言葉を語る際に、拳を振り上げ、声を高ぶらせた。時には、身体の前で手を合わせて、懇願するような素振りもあった。表情をゆがめて、今にも泣き出しそうな表情すら見せた。

ときおり拳で演壇を叩いたので、マイクに「ドンドンドン」という雑音が入った。しかし首相は用意した原稿に視線を落とさず、議員たちを鋭い視線で見つめ、自分の言葉で訴えていた。メルケル首相の真剣さ、真摯さが、ひしひしと伝わってきた。

私は彼女が2005年に首相に就任して以来、幾たびも演説を聞いてきたが、これほど感情を露わにしたのを見たことは1度もなかった。

元科学者であるメルケル首相は、これまで感情を表に出さない政治家として知られてきた。前向きに言えば沈着冷静、悪く言えば鉄面皮である。英国のマーガレット・サッチャー元首相になぞらえて「欧州の新たな鉄の女」と呼ばれたこともある。

そのため演説のトーンは、しばしば一本調子で感情を含まないので、「機械の取扱説明書でも読んでいるかのようだ」と、メディアから指摘されることもあった。

だがメルケル首相は、コロナ禍をめぐる戦況が日に日に悪化する中、ポーカーフェースの仮面をかなぐり捨てた。私の知人の中には、この演説を聞いて「えッ、これがメルケル首相?」と驚いた人もいた。ドイツのメディアも「突然首相が極めて感情的になった」と評した。

私はこの演説を聞いて、首相の危機感がいかに強まっているかを感じた。

メルケル首相はこれまでもウイルス学者たちの意見を重視し、厳しい感染防止策に賛成してきたが、16の州政府の首相の中には、経済への悪影響に対する懸念から、5月以降感染対策の緩和を求める者もいた。

新型コロナによって重症に陥る人の中には高齢者や基礎疾患を持つ人が多く、若年層では感染しても軽症で終わる場合が多い。このため、若者の間には公共交通機関や商店でのマスク着用や、1.5メートルの最低限の距離に関する義務をおろそかにする者も少なくなかった。

感情をむき出しにしたメルケル首相の演説には、科学的な知見に基づく政府の指示を軽視する市民への強い苛立ちと失望感も感じられた。「自分のメッセージが十分に州政府や国民たちに伝わっていない、私は人々に理解されていない」というもどかしさと焦りが、言葉の端々に滲み出ていた。

連邦議会選挙が行われる2021年の秋には、メルケル首相は政界を引退する。16年にわたる任期の幕切れに、「パンデミック対策でしくじり、国民の間に多数の犠牲者を出した政治家」という烙印を押されるのを恐れているのだろう。すでにドイツのメディアからは、

「3~5月には他の欧州諸国に比べて死者数を少なく抑えることに成功したのに、秋から冬にかけて本格的なロックダウンを実施するのが遅れて、死者数を増やした。ドイツ政府は、2020年春に『欧州のコロナ対策優等生』だった優位性を十分に生かすことに失敗した」

という批判の声が出始めている。

12月13日、メルケル首相は州政府首相たちとのオンライン会議の後、

「今年3月から5月まで行われたのと同じ、厳しいロックダウンに踏み切る」

と宣言した。具体的には、12月16日から1月10日まで、現在すでに営業を禁じられているレストランや喫茶店に加えて、生活必需品を売る店を除く商店や理髪店などの営業も禁止する。

この時期には学校も休校となり、託児所や幼稚園も閉鎖される。自宅でクリスマスを祝う会食は禁止されないが、政府は参加者の数を、14歳以下の子どもを除いて最高5人に制限するよう要請する方針だ。

今年秋には、「ロックダウンは経済的な打撃が大きいので、メルケル政権は第1波で行ったような厳しいロックダウンを繰り返さないだろう」という楽観論が強かった。特にドイツ政府は、前述したように学校の授業を平常通りに行い、学力低下を防ぐことを最も重視していたからだ。だがメルケル政権は、今や大きく方向転換をして、医療崩壊を食い止めることを最優先の政策目標とし、再び厳しいロックダウンに踏み切らざるを得なかった。

ドイツの苦悩は、コロナ・パンデミックという自然の猛威の前には、人間の叡智にも限界があることを如実に示している。

熊谷徹 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人』(SB新書)、『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)。

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(2020年12月15日フォーサイトより転載)

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