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2020年12月28日 11時52分 JST | 更新 2020年12月28日 11時52分 JST

ピンクが好き=かわいい? だから私はずっと「ピンクが好き」と言えなかった

これはなんてことはない、色と「かわいい」にまつわるわたしの小中学生回顧録だ。

えにさん

色という視覚的要素はそのまま本人の印象・本人らしさに繋がることも多い。だから好きな色は何?という質問の答えは結構重たいのだ。でも、いやだからこそ、好きな色なんてものが本当に自分自身の感情なのかはいつだって怪しい。純度100%でそれだけということはきっと、絶対、ないだろう。

わたしには「ピンクが好き」と思うために「かわいい」という言葉が必要で、「ピンクが好き」と言うために自分は「かわいい」と思うことが必要だった。水色が好き緑が好きピンクが好き、その時それぞれどの答えも本心だったけど、それだけではなかった。そしてそれは今も。

これはなんてことはない、色と「かわいい」にまつわるわたしの小中学生回顧録だ。

 

自分が「かわいい」のか「かわいくないのか」考えたこともなかった

今ならわかることがたくさんある。誰かや何かに一ミリも影響を受けていない意見なんて現実的に不可能だし、それらも込みでの自分の感情だというのも、今はちゃんとわかっている。だから、単に「純度」の話をしているわけではない。問題なのは、わたしがそれらをちゃんと認識出来ていなかったこと、純度100%なんて無理だと客観的に理解やあきらめを知らないまま、自分らしさを考えようとしていたことなんだと思う。

今はその点に自覚的であるという事も含めて、振り返りの回顧録だから後付けの部分も交じっているのだろう、と最初に注釈をつけておく。

 

わたしはおそらく恵まれていた。小さい頃容姿について少なくともわたしがわかるように露骨に「かわいくない」と言われたことはなかったし、だから自分のことを「かわいくないんだ」と思ったことはなかった。というよりは、自分がどっちなのかなんて考えたことなかった、が正しいと思う。逆に、自分のことを「かわいい(かもしれない)」とも、思ったことはなかったから。

たぶん、自分は「かわいい」のか「かわいくないのか」、という視点を持ち始めたときから、好きな色はなに?という質問の答えは不純物を含み始めるのだ。

つまりは「かわいい」というのが、当たり前かもしれないけどいかに視覚的要素の影響の多いものであるのか、そしてそのうち色というパッと見の印象に関わるものの影響が特に大きいのか、ということだと思う。そしてこれはなにも「かわいい」だけに限ったことではない。

「好きな色は?」という問いに対する答えで、その答えに伴って自然と自分の身の回りに集まってくるその色で、外から見た自分をコントロールしようとすることがある、それができる、という話でもあるのだ。またそれは、時には逆に、その答えで、周りに与えられた役割を果たそうとすることもあるだろう、ということでもある。

 

「緑が好き」と答えていたシンガポール在住時代

小学校低学年の女の子が「ピンクより水色!」と言うのがおねえさんぽい!という風潮は日本では割と多くあることらしい。幼稚園まではピンクが大好きだったわたしも、小学校一年生になって例に違わずそうなったし、そんな自分に満足していた。

一人で電車とバスを乗り継いで一時間以上かけて通学もできるし「わたしはもう小学生なんだから!」と真剣に思っていた。きっと「正しい成長」だったのだと思う。

 

小学校二年生でシンガポールに移り住んだ。小学校になった時なんて比じゃないくらい自分のまわりの世界が根底から変わった。7歳ながらにわかりつつあった、自分の外にある世界に対する理解、常識や当たり前が、「わたしはもうお姉さんだもん!」という自信とともに見事に崩れおちた。

客観と主観というものも世界という概念に対する知識も何もないうえでの常識の崩壊は、視野が広がるとか成長とかステップアップなんかにはなりえず、単純な退化だった。赤ちゃんからやりなおし。異世界転生と同義だった。

この期間、わたしは好きな色を緑と答えていた。実際に好きだったと思う。けれど今から振り返って考えれば、単に日本の小学校での「水色」が向こうでは(わたしがいた国なのか学校なのかその辺はわからないが少なくとも当時わたしがいた環境では)「緑」だったというだけの話だろうと思う。

わたしはどこの世界でもいつもドジというかまぬけというか、お姉さんタイプにくっついてなんとか立ち位置を守るような子だった。かっこいい彼女たちに憧れていた。英語のできない意見の言えない日本人がなめられないために、必死だった部分もあっただろう。「緑が好き」がかっこいいと思っていた。

そういうことが異世界転生したその世界を「わかっている」証拠だとも思っていた。上手に世渡りしたくて、また帰国直前には、実際うまくできているとも思っていた。

お気づきかもしれないが、この辺まではまだ色の話だけで「かわいい」という概念はそこに絡みついた形で登場しない。それは最初に言ったように、自分は「かわいい」のか「かわいくないのか」という視点を、まだ少なくともあまりしっかりとは持っていなかったから、なのだと思う。 

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かわいくないもので武装し自分を守っていた

帰国後、元いた小学校に戻ったわたしは当たり前に昔とは変わっていて、みんなからすれば一挙一動が「変人」で、周りよりできることと周りよりできないことそれぞれのその度合いがあまりに大きく、とにかく浮いていた。単独行動は苦じゃ無かったからそれほどつらくはなかったけど、周りからのいろんな種類の暗い感情に理不尽に晒されて、気づかないふりをしたりしつつのらりくらり漂うしかなかった。

昨日までもっと自分の意見を持てと言われるインターナショナルスクールにいたのに、急に、突飛なことばかり言って輪を乱す協調性のない子扱いされても…と、わたしからしたら何もかも理不尽だった。せっかく適合したこの前までの多数派が、ゼロから獲得した当たり前が、今度は圧倒的少数派、なんならオンリーワンだった。ここには「緑が好きと言う子」なんて、いなかった。

せっかくシンガポールに適合したのに、適合できた途端また元の世界に急に戻されても、人格形成期に身につけたものはもう今度こそ消せないし、変人上等、浮いてていいや、と思っていた。学校に馴染みたくなかったわけではないと思うけど、知っている世界があまりに違く狭いみんなに、どうしても馴染めないのも馴染む努力をする気になれなかったのも事実だった。

だから当時わたしは、眼鏡と歯列矯正という「かわいくないもの」で武装し自分を守っていた。持ち物も服も、「変人らしく」「かわいいに興味なさそうに」緑ばかり選んでいた。

変人を、かわいくないを、自分のアイデンティティとして自分から身に纏ってキャラにしたのだ。どうせ一人浮くなら、せめて自主的に一人を選んだような「一匹狼」というかっこいい言葉に言い換えたくて、半分苦し紛れではあったけど、誰とも違う「緑」という答えを、あえてかわいくないモチーフを身に着けることを、選んでいた。

そしてこのころはそのことに、だいぶ自覚的だったと思う。「かわいい」ということと色の関係性もわかり始めていたからこその行動だった。「好きな色は緑」で、わたしは自分の立ち位置を確立させていた。

 

「かわいい」に、意識的に近づいていてみて

そのまま付属の中学にあがったが、ごたごたした末の内部進学だったので、環境も変わらないどころかむしろマイナスからスタートで、かなり厳しかった。自分に合った環境がどこかにあるのではないか、別の中学にいけばきっと自然と、と期待していたのが見事に崩れて、でも楽しい中高生活へのあこがれは捨てきれていなかった。

また帰国子女受験がある中学だったので、唯一の帰国子女じゃなくなることで「帰国子女だから変人」という言い訳が通用しなくなった、というのも大きな理由としてあって、なんとか普通になろう、この学校に馴染もうと、頑張ってみることを始めた。その努力の一環で、誰かがかわいいというものや事や人に、同調してかわいいと言うようになった。

時には話や価値観を合わせたり取り入れたりしてみる事も必要だ、という社会性を遅ればせながら学び始めた。かわいいとカースト上位と多数派とには強い相関関係があるということに、小学校の時よりもはっきりと気づいたのだ。

周りの可愛い子を真似して、眼鏡をやめ前髪も作った。いわゆるかわいいに、意識的に近づいていった。そしてその日はやってきた。『え、それかわいいね』『にちこ(わたしのあだ名)かわいい~』

 

メンバーが変わらないなかでキャラ変するというのはなかなか難しい。ついこの前までかわいくないを自分から武装していた子が急に「かわいくなろうとする」といういわゆる中学デビューの恥ずかしさを乗り超えられたのは、部活のためだから・役だからという言い訳があったからだと思う。

わたしが入ったのは英語でミュージカルをする部活で、他の学校で言うところのいわゆるダンス部のポジションに当たるような、華やかで陽キャでカースト上位の、先輩も同期もかわいい子ばかりのところだった(もとからミュージカルが好きで入ったので、別にカースト上位に入るために選んだわけではなく、その辺はたまたまだけど)。

舞台に立つので、メイクや衣装を気にしたり身なりに気を遣うようになるきっかけも十分。さらに、女子校でありながら、部活柄男役と女役があるので、男性性と女性性の存在する環境でもあったのも大きかった。

わたしは入部してすぐの新人公演で、「オズの魔法使い」のドロシー、つまり、女役をやった。実はあの演目のドロシーはかかしとブリキ男とライオン(ライオンを男と言えるのかは諸説あるが)を引き連れ3人に守られ、逆ハーレムなのだ。だから公演の練習でもそれに引きずられた普段の生活でも、わたしは紅一点として「男の子たち」に囲まれ扱われる日々を送っていた。

中1で、垢ぬけ「かわいく」「女の子らしく」なれたのには、逆張りをすんなり辞め、自然とキャラ変していけたのには、部活が大きく影響していると思う。

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今の私が、「好きな色は?」と尋ねられたら…

そうして、わたしは中1、2のころ、好きな色はマゼンタや紫と答えるようになった。いや、たぶん答えられるようになったのだ。

周りに華やかな集団の一部と認識されたから。わたしは「女の子らしく」いてもいいのだと思えたから。かわいいねと言われたから。かわいいあの子とかわいいみんなと同じ色をこたえて良いと許可されたような、一種の自信を手に入れたから。わたしかわいいかもしれないと、思えたから。

「ピンク」を選べるようになってピンクの持ち物が増えた。ピンクの物をもらうようになった。中学生のわたしはピンクが好きだった。


わたしが今突然、好きな色はなんですか?と聞かれたら、何と答えるだろう。

プロフィール帳交換のような戯れのある年齢でもないし、もうなかなかそんな質問に遭遇する機会はない。それはその答えが人それぞれの印象に与えるインパクトが小さくなったということでもあるだろう

好きな色だけではなく、もっといろんな要素を鑑みて、わたしもみんなも人のことを判断できるようになった。でも、じゃあ大人になればその質問はいろんなしがらみから解きはなたれ、純度の高い答えを言えるのかと言われたら、やはりそんなことはないだろう。

むしろあの時より計算することばかり経験豊富になって、より無無難な選択をする気さえ、する。急ピッチで頭を働かせるのだ、あの時の「水色」「緑」にあたるのは、今だとなんだろう、と。

そしてその結果、わたしは「好きな色はピンク」と答える。答え自体は中学生以降ずっとそう大きくは変わっていない。でもそれを導き出すまでの思考過程は中1と今では確実に違う。あの時は解放された末の答えられる、だったのに対して、今はどちらかと言えばがんじがらめの結果の無難だから答えておこう、だ。

でも結局、特権階級のピンクと同調の緑と、強がりの緑と無難のピンクと、どれを答えたときもそれらの根底にあるのは「かわいい」という概念であることは違いないと思う。中1と今の、わたしがかわいいもの纏ってもいいんだのピンクか、かわいく思われておきたいのピンクか、の違いは些細なことなのかもしれない。

どちらもちゃんと本心で、間違いでも悪い答えでもないと思う。だから細かい理由や経緯は置いておいて、わたしは今胸を張って「ピンクが好きだ」と言えるし、言いたい。その上でやはり一つ思う、今のわたしには、嘘でも本心でも、「緑」と答えるほうがきっとハードルが高い。

(文:えに 編集:榊原すずみ/ハフポスト日本版)