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2020年12月28日 08時25分 JST | 更新 2020年12月28日 08時25分 JST

安楽死制度に「賛成」「反対」という議論にゴールはあるのか:緩和ケア医 西智弘

2020年10月、ニュージーランドで安楽死に関連する法案が国民投票で賛成多数となり、2021年秋から施行される予定だ。12月にはスペインででも下院で可決され、上院でも可決される見込みと報道されている。では日本は?

Portra Images via Getty Images
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日本でも盛り上がる「安楽死議論」

 2020年10月、ニュージーランドにおける安楽死に関連する法案が国民投票で賛成多数となり、2021年秋から施行されることとなった。そして12月、今度はスペインでも安楽死を合法化する法案が下院で可決し、上院でも可決される見込みであることが報道された。

 2001年に国レベルでは初めてオランダにおいて積極的安楽死が法的に認められたことを機に、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、カナダ、コロンビア、そして先の2国が加わり、世界では7か国での安楽死合法化が成立することとなった。そのほか、アメリカやオーストラリアでは一部の州で安楽死が合法化されていたり、スイスのように法解釈によって「利己的な動機」以外の自殺ほう助は処罰しないとしている国もある。このように、21世紀になってから世界全体で安楽死に関する議論の高まりや、その制度化が整備されてきている。

 日本においても、作家の橋田寿賀子さんが「私は安楽死で最後を迎えたい」という趣旨の発言をされたことや、スイスに渡航して自殺ほう助を受けた女性への密着取材の様子がNHKで放送されたことなどをきっかけに、安楽死議論は少しずつ盛り上がってきている。

 

「時期尚早」。ではその時期はいつくるのか?

 しかし、日本においては安楽死について「賛成」という論者と「反対」という論者が真っ向から対立する姿勢を示すことが多い。この状況では、討論会などでもお互いがお互いの主張を一方的に言い、「議論をしたことそのものが素晴らしい」という結果に落ち着いてしまうのではないかということが懸念される。もちろん、「死」というテーマ自体がタブー視されてきた日本の社会において「公的な場において安楽死を含めた、日本人の死のかたち」を議論できること自体が画期的、という面もあるだろうが、このまま議論を続けていったところで何のゴールがあるのか、という疑問を個人的には抱く。

「時期尚早」という言葉も、安楽死議論をする上で反対派の方々が用いる常套句だ。また後で述べるが、僕自身も緩和ケア医として、現時点では安楽死制度を日本で成立させるには懸念される点が多いと考えている。その意味で「時期尚早」ということに賛成はするが、「ではその『時期』とはいつなのか?その『時期』に向けていま踏み出すべき一歩は何なのか?」ということとセットで語ることをしなければ、賛成派の望みを先送りするだけの単なる思考停止ワードのひとつと思われても仕方がない。

 

安楽死を選ばせられそうになった事例も

 では、安楽死制度を成立させるための「時期」とは何か、となると僕は第一に「患者の権利が最優先に尊重される世界か」ということを考える。反対派が懸念する点に、いわゆる「同調圧力による安楽死への緩やかな誘導」、つまり患者本人の意思ではなく周囲の医療者や家族、社会状況などの影響が優先されることで、社会全体が「生きさせる」という努力を停滞させ、死へ安易に誘導するのではないか、というものがある。では、実際の安楽死実施国でそういった問題が多発しているかと言われれば、寡聞にて知らない。少なくとも、制度に支障をきたすほど多発するような問題はなく、多くの人が死に追いやられている、ということは無いのだろう。ただ、周囲の状況によって本当は生きる道があった方が安楽死を選ばせられそうになった事例、という報告はある。それはもちろんまれな例に過ぎないのかもしれないが、個人主義が強い海外においてもそのような事例があるということは、それがまだ成熟していない日本において「死への同調圧力」が問題となる懸念を抱くことは妥当であろう。しかし、それはそもそも「患者の意思が最優先として尊重されていない」ことがまるで当然のように放置されている現状そのものの問題であり、その改善に手を付けていくべきではないだろうか。現状でも、終末期医療の意思決定において、患者の意思と「並列して」医療者の常識や、家族の思いが検討される事例が散見されるのを見ていると、まだまだ日本は家族中心・共同体主義の色が強いことを感じてしまう。

患者本人・家族・医療者、それぞれの思いは「混ぜるべきもの」でもないし、折衷案を探るべきものでも本来はないはずだ。今の現状で安楽死制度があった場合には、いざという場面で医療者本人や家族の思いが「患者の思いと同等に」尊重され、本人の意思が捻じ曲げられてしまうことを懸念する。海外では精度がしっかりしているからこのようなことはほとんど起きない、だから日本でも同じように制度を整えれば大丈夫、ということには、今の医療現場のみならず社会全体の議論を睥睨している限り個人的には自信がもてない。

 

「日本にとって最適な安楽死制度とは何か」というのが大前提

 では、こういった民族特性を考慮したうえでも問題が発生する確率を最小にできるか、を考えていくというのがいま僕らに課せられている課題だろうと思う。時期尚早、日本では無理、と議論を停止するでもなく、「安楽死制度を手に入れられるようになるためには、何が不足していて、何を解決していくべきなのか」という議論である。緩和ケアの充実や、「誰しもが生きていたいと思える社会」の構築は、その議論と並行して実行することは可能である。むしろ、安楽死反対の立場をとる人にとっては、緩和ケアや社会改革などをもって「死にたくなくなる世界」を早く成立させないと、安楽死を望む人が増えるという話になるのだから、安楽死制度議論のスピードに負けないくらいの勢いで、体制を整えることに尽力すべきだ。

 いまの議論と実践は、安楽死賛成派と反対派がお互いに足を引っ張りあっている構図になっている。「日本にとって最適な安楽死制度とは何か」ということを大前提において、その成立に向けた議論と実践をしていく方が建設的であり、結果的に社会の改善にもつながるのではないかと考える。

 先日、とある安楽死に関する討論会で、ある先生が

「日本人は、ついに安楽死制度を手に入れた!それを自分たちの手でマネジメントできるほどに成熟した社会を手に入れた、と言える日がくることを期待します」

 という趣旨のことをおっしゃっていたが、僕自身もその未来を目指していくことに賛成である。

 

(文:西智弘 編集:榊原すずみ/ハフポスト日本版)