アートとカルチャー
2021年01月07日 11時47分 JST

藤子不二雄Ⓐ『まんが道』。戦友と「神様」と2つの青春

多くの漫画家にとってバイブルともいえる『まんが道』。本作は若い人たちにこそ、読んでほしい。世代が違うからこそ感じる発見や新鮮な読書体験が待っているはずだ。

Amazon.co.jpより
藤子不二雄A『まんが道 1 』小学館

当コラムを2018年の夏に始めたとき、「いつか必ず書こう」と決めた作品がいくつかあった。

その筆頭格が、藤子不二雄Ⓐの『まんが道』だ。

 

漫画家のバイブル

私の手元にあるのは2012~13年にかけて刊行された全10巻の「決定版」だ。

小畑健、ハロルド作石、江口寿史、あらゐけいいち、島本和彦、秋本治、荒木飛呂彦……。帯や文末の寄稿文に並ぶ漫画家の名前を見るだけで、この作品の偉大さが分かる。どの言葉も熱量が高い。

「いつも書棚の一番取りだしやすいところ」に置いているという江口は、「信仰を持たない僕にとっての、ある種、聖書のようなもの」と綴る。『まんが道』は特別な、多くの漫画家にとってバイブルともいえる作品だ。

若い読者のために概要を記しておく。

富山県高岡市の小学校で出会った2人の少年は意気投合し、漫画家コンビ・足塚茂道として「まんが道」に足を踏み入れる。語り手の満賀道雄(まが・みちお)は作者・藤子不二雄Ⓐであり、相棒の才野茂は藤子・F・不二雄だ。足塚茂道はすなわち藤子不二雄である。

『ドラえもん』『オバケのQ太郎』『パーマン』『キテレツ大百科』『怪物くん』『忍者ハットリくん』。数々の名作を生んだ希代のコンビは、やがて東京豊島区の木造アパート「トキワ荘」に入居する。かつて手塚治虫が住み、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが作品作りに打ち込んだ伝説的な「聖地」だ。

巨匠たちの若き日の姿、成功や挫折、友情をエピソード豊かにたどる群像劇は、抜群に面白いだけでなく、史料価値も高い。

 

不便ゆえの濃い人間関係

これだけ語りつくされた傑作に解説を加えるのは屋上屋を架す感が否めず、巨大な作品について短い文章で魅力を伝えるのには限界もある。

それでもやはりこの機会に、私なりの言葉で『まんが道』を推したい。「死ぬまでに傑作を読み損ねるリスクを軽減する」という本コラムの趣旨にこれほど合致する作品はない。

昭和生まれの世代(とくに男性)は、未読なら全巻買ってしまえばよいし、「若い頃に読んだきり」という方に大人買いを強く勧める。私自身、学生時代に「立志編」の途中まで読み、「決定版」でのめりこんだ。

そうした「鉄板でストライク」の世代だけでなく、本作は若い人たちにこそ、読んでほしい。世代が違うからこそ感じる発見や新鮮な読書体験が待っているはずだ。

一例を挙げれば、今の世代にとって当時のコミュニケーションのあり方は興味深いものだろう。

若手の漫画家たちはスマホどころか固定電話すら持っておらず、緊急の知らせは電報で届く。急ぎでないなら、やり取りは手紙が中心だ。

なんとも不便そうで、実際すれ違いは多いのだが、人と人の距離はむしろ今より近い。すぐ連絡がつかないからこそ、人々は「ふいに訪ねる」という選択を気軽にとる。そのゆったりした時間の流れとフットワークの軽さが、奇縁や親交につながる。

たとえば満賀と才野が手塚の仕事場「並木ハウス」を訪れるシーン。同じ日の昼と夜に訪ねるものの、たまたま両方とも留守で会えない。夜道を「また来よう」と引き揚げるところで編集者を連れた手塚とばったり出会い、そこから物語が展開する。

他のトキワ荘の面々や編集者なども、特に用はなくとも、頻繁に行き来する。子どもですら「アポなし」で誰かの家を訪ねることなどほとんどなくなっている現代からは想像しにくいかもしれない。

だが、「会いたくなった友を、ふらりと訪ねる」という形こそ、古来、人間が続けてきた姿であって、偶然や衝動を排除した現状の方が特殊なあり様なのだ。わずか半世紀ほどで、後戻りができない形で人間同士の繋がり方は変わってしまった。

人と人の繋がりの濃さも、現代とは全く違う。

トキワ荘のメンバーは、今ならプライバシーの侵害とみなされるほど、踏み込んだ形で相互の人生に関与する。象徴的存在がトキワ荘の兄貴分「テラさん」こと寺田ヒロオ。満賀・才野のコンビだけでなく、他の後輩たちの苦境を、幾度となく「テラさん」が精神的な支えとして救う。

漫画家としての知名度は必ずしも高くないが、「テラさん」がいなければトキワ荘メンバーの歩んだ道は違ったものになったに違いない、漫画史の影の立役者だ。

 

ともに笑ってともに泣く

そうした「濃い繋がり」の究極形が満賀・才野の関係であり、互いを気遣い、励まし、時には嫉妬もし、ともに笑ってともに泣く2人の姿は、何度読んでも胸に迫る。読者は、どちらかひとりでは、好機をつかむことも、難局を乗り越えることもできなかっただろうと強く感じるだろう。

我々は主人公2人ののちの栄光を知っている。だからこそ、小さな、つつましいエピソードが温かい気持ちを引き起こす。

初の書籍『UTOPIA 最後の世界大戦』の原稿料に、

「あんなリッパな単行本にしてもらっただけでありがたいのにその上こんな稿料をもらうなんて!」

と感謝する場面や、二畳間の下宿から四畳半のトキワ荘に移って「広さ」に感動するシーンなど、読むたびに頬が緩み、涙腺が刺激される。

時あたかも漫画がテレビと並ぶ子どもの娯楽の王様に駆け上がる青春期。

その只中に身を置き、少年時代から志を同じくする戦友とひたむきに夢を追うまぶしい青春物語を、外連味なしに真っすぐに描く筆致。

今や世界的な表現手段にまで昇華した「MANGA」と、それを作り上げた偉大なクリエーターたちという、「2つの青春」を最高の描き手が活写する。まさに奇跡的な作品だ。

 

「まんが家になるために!」

満賀・才野の成長物語を駆動させ、作品に「聖典」の色彩をもたらしているのが、手塚治虫だ。

ファン時代の憧れから、初めての出会い、手伝いに呼ばれた満賀が、手塚の生原稿の美しさに金縛りにあうシーンまで、手塚は文字通り「神様」として描かれる。手塚は、目標といったレベルではなく、超越的存在であり続ける。

鴻上尚史は2巻の巻末に寄せた「夢を持つ、ということ」というエッセイで、

「『夢を持ち、それを実現させること』は、もちろん素敵なのですが、そもそも、『人生をかけた夢を持てた』ことが素晴らしいと気づくのです」

と記している。

その夢は、先駆者として漫画の可能性を広げ、身近な存在となってからも常に崇拝の対象であり続けた手塚の存在ぬきでは成り立ちえないものだった。

現実の手塚は対抗心むき出しでライバルに辛辣な批評を口にした逸話などが伝わっており、『まんが道』の作中のような聖人君子ではなく、もっと人間臭い作家だったのだろう。

だが、その残した作品群が天才としか表現しようのない量と質をもっていることは疑いようがない。

自らが生涯を賭ける道に仰ぎ見るような存在がいて、その「神様」と同じ時代を生きられる。

この作品には、そんな人生を生きた者の幸福感が満ち溢れている。

手塚を「神様」として描くのも、単なる美化ではなく、その僥倖の本質をすくいとった作者にとっての真実なのだと私は考えている。

最後に、そうした「信仰心」がもっとも鮮烈に描かれている「立志編」のワンシーンを引こう。

『UTOPIA』の売り込みのために上京した2人は、縁あって原稿を手塚に託す。トキワ荘を出ると、2階には徹夜必至の仕事を抱えた手塚の部屋が煌々と光っている。2人はしばらくそれを見上げ、東京見物は取りやめて、すぐに高岡に帰って新作に取り掛かろうと決心する。

「あの手塚先生の窓の明かりに誓おう!」

「手塚先生! ぼくたちはまた きっと東京へきますから!」

「まんが家になるために!

漫画に限らず、何か夢をみつけて、その「道」を進もうとしているすべての人に、この作品を手に取ってみてほしい。

高井浩章 

1972年生まれ。経済記者・デスクとして20年超の経験があり、金融市場や国際ニュースなどお堅い分野が専門だが、実は自宅の本棚14本の約半分をマンガが占める。インプレス・ミシマ社の共同レーベル「しごとのわ」から出した経済青春小説『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』がヒット中。 noteの連載はこちら ツイッターアカウントはこちら

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(2021年1月5日フォーサイトより転載)