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2021年01月24日 10時49分 JST | 更新 2021年01月24日 10時49分 JST

「ふつうの家族なんてないんだから、大丈夫だよ」と励ますことの暴力性

やさしい言葉をかけてもらったのにもかかわらず、どうしてこんなにモヤモヤしてしまうのか。その違和感の正体に気づいてぼくは、エッセイ本『しくじり家族』を書いた。

「ふつうではない」家族と言われて

Hiroshi Watanabe via Getty Images
(写真はイメージ)

先日、『しくじり家族』というエッセイを出版した。この本に書いたのは、「ふつうではない」と言われることが多かったぼくの家族のことだ。大嫌いだった祖父の葬儀で喪主を務めることになってしまったエピソードをフックに、一人ひとりの家族の“ややこしさ”が浮かび上がるような一冊にした。

祖父は元ヤクザの暴れん坊で、大酒飲みだった。泥酔しては近所の人たちと取っ組み合いの喧嘩をし、警察のお世話になることもあった。家庭内では暴力を振るい、実際、祖母が殴られている場面を何度も目にした。ぼく自身、包丁を突きつけられたこともある。一体なにが祖父の逆鱗に触れるかわからず、弱虫だったぼくは常にビクビクしていた。

祖母はとある宗教の熱心な信者だ。「神さまにお祈りすれば、必ず幸せになれるから」が口癖で、朝晩のお祈りを絶対に欠かさない。それだけならいいけれど、信仰を家族にも強要していたのだからたちが悪い。子どもにとって、何時間も続くお祈りの時間は苦痛でしかない。

けれど、足を崩そうとしただけで注意される。「地獄に落ちるよ!」。そう叱責されるたび、ぼくはため息を飲み込んで手を合わせ続けた。

そして両親は、耳が聴こえない聴覚障害者だった。ぼくは彼らの耳の代わりになって、さまざまな面でサポートすることが多かった。聴こえる社会で不便さと直面する彼らに対し、“通訳”として振る舞う場面がたびたびあったのだ。ときには親子関係が逆転してしまう瞬間もあったかもしれない。ぼくにとって、それは当たり前のことだった。

ぼくたち一家は、たびたび「ふつうではない」と言われてしまった。「おかしい人たち」というあからさまな嫌悪をぶつけてくる人もいたし、「可哀想な状況だ」と憐れみを寄せる人もいた。

ぼくの家族はおかしいのだろうか。そんな環境で育ったぼくは可哀想なのだろうか。少しずつ成長していくにつれて、胸の内にはそんな疑問が膨らんでいった。

 

「ふつうの家族なんていない」と言われて 

Michael H via Getty Images
(写真はイメージ)

大人になり、家族のことを打ち明けると、しばしばこう言われるようになった。

「ふつうの家族なんていないんだし、大丈夫。気にしなくてもいいんだよ」

瞬間、ぐっと息を飲み込む。言葉をかけてくれる人は、みな少し眉尻を下げ、こちらを心配するような表情を浮かべている。その言葉が、ぼくを慰めるためのやさしさから生まれたことがわかる。こちらを配慮してくれた気持ちに感謝する。

「うん、ありがとう」

でも、なんだかモヤモヤしてしまう。やさしい言葉をかけてもらったのにもかかわらず、心のなかに霧がかかるようで、一向に晴れやかな気持ちにならない。たしかに家族のカタチは多様だし、ひとつとして同じものはない。つまり「ふつうの家族なんていない」のだ。それでも――。

どうしてこんなにモヤモヤしてしまうのか。そこにひとつの答えが出せたのは、また違うときに言われた「世界に出てみれば、自分の悩みがいかにちっぽけなものだったか気づけるよ」というひとことがきっかけだった。悩んでいるぼくを励ますための言葉だ。

想像してみる。世界を旅すれば、自分以上に悩んでいる人たちや、ままならない問題に苦しんでいる人たちの姿を目の当たりにするだろう。なにか自分にできることはないのか、彼らを助けたいとも思うかもしれない。

でも、それといま自分が抱えている悩みの大きさには相関性がない。自分より苦しんでいる人を目にしたからといって、自分の悩みが小さくなるわけでもないし、ましてや解決なんてしないだろう。悩みの深さ、重さとは相対的なものではなく、どこまでいっても主体的なものだからだ。

「ふつうの家族なんていないんだし、大丈夫。気にしなくてもいいんだよ」と言われたときに覚えた違和感の正体は、まさにそれだった。他の家族を引き合いに出し、ぼくの家族の問題を矮小化されたように感じたのだ。当事者が抱える悩みを第三者が勝手に相対化するのは、ひどく暴力的でもある。もちろん、声をかけてくれた人にはそんなつもりがないことも理解しているけれど。

だからぼくは、『しくじり家族』を書いた。元ヤクザで暴力的な祖父、宗教信者の祖母、聴覚障害者の両親。彼らとの間に起きた問題を包み隠さず書くことで、家族の問題で悩んでいる当事者に伝えたいことがあったのだ。

それは、「家族のことでなにかしら悩んでいるとしたら、あなたはひとりではないよ」というメッセージ。

もしも本作を読んでくれる人がいたとしたら、自分の悩みと本作で描かれている(ぼくの)悩みとを比較するのではなく、「家族のことで悩んでいるのは、自分だけではないんだ」と気づいてもらいたい。悩みの渦中にいると、心は弱り、周囲が敵に見え、「ひとりぼっちだ」と塞ぎ込んでしまいがちだ。でも、自分は決してひとりではないことを知ると、ほんの少しだけ前を向けるのではないかと思う。

本作を読んだからといって、悩みが解決されるわけではないだろう。むしろ、見ないふりをしてきた問題と向き合わざるを得なくなってしまうかもしれない。それはきっと苦しいことだと思う。

それでも本作を読んでくれた人に言いたい。

「家族のことでなにかしら悩んでいるとしたら、あなたはひとりではないよ」

『しくじり家族』CCCメディアハウス

 

五十嵐大

フリーランスのライター・編集者。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。2020年10月、デビューエッセイ『しくじり家族』(CCCメディアハウス)を上梓。

(編集:笹川かおり