「元アイドルって請求書も書けないんだ」と言われたあの日、私の魂は死んだ

「たとえ悪気はなかったとしても、これから私は心が死ぬサービスはしない」。「元アイドル」という経歴をもち、現在、フリーで作家・ライターとして活躍する大木亜希子さんが、覚悟をもってそう決めた理由とは?
著者近影
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MADOKA SANO/佐野円香

「元アイドルって、請求書もマトモに書けないんだ。可哀想www」

SDN48というアイドルグループ卒業後、一般企業に転職して2年が経ったある日の出来事である。

私が作成した請求書に不備があり、得意先の男性からメールで指摘を貰ったのだが、その際こんな言葉が添えられていた。

もちろん、彼は軽いジョークのつもりで言ったのだろう。

しかし、私は突然の言葉に打ちひしがれた。

これまでの人生が走馬灯のように蘇り、すべて否定された気持ちになる。

私の前職がアイドルであることと、請求書にミスがあることは、はたして関係あるのだろうか。

おそらく彼にとって私は、「書類作成を間違えた27歳の取引先社員」ではない。

「書類作成さえ満足にできない27歳の元アイドル」という、好奇の目でみることのできるサンプルなのだ。

思わず異議を唱えたい気持ちになるが、黙って謝罪する。

その夜、私は実家の母に電話をかけた。

愚痴を聞いてもらいたかったのである。

「もしもし。今日、取引先の人に、アイドルだったことを馬鹿にされてさ」

落ち込む私の話を聞いた彼女は、

「どんな仕事でも、どんな年齢でも、その時々で誇りを持って役割を全うしたなら、そこから先、何を言われたとしても恥じることはないでしょう」

と言って慰めてくれた。ごもっともである。

父の亡き後、48歳にして初めて学童保育で働き始めた母の言葉は重い。

その言葉に救われる形で、私はなんとか気持ちを立て直した。

幸い、当時勤めていた会社の上司たちは、常に私を温かく見守ってくれた。

そのため社内では、いつも伸び伸び「個」として働くことができた。

しかし、いつからか私は「本当の自分はどこにいるのだろう」と疲弊するようになる。

キラキラとした自分を演じることが億劫になり、心療内科を受診するほど心は憔悴した。

結局、約3年で会社員生活には終止符を打ってしまった。

母親からの「2千円」が命綱だった

無職になった私のもとに、2枚の千円札が届いたのはそこから2週間後の出来事である。

「少ないけど、夕飯代の足しにでもしてね」

現金書留に同封された手紙には、達筆な母の文字が添えられていた。

他にも彼女は私の体調を案じ、食材や生活用品をどっさりと送ってきてくれた。

母が私の体調を心配する気持ちがヒシヒシと伝わり、申し訳なさでいっぱいになる。

これまで実家に仕送りをしていた自分が、今度は実家から仕送りをしてもらう立場になってしまった。

その差は大きい。

しかし、定職を辞めて貯金が底を尽いた私は、もはや背に腹はかえられなかった。

狭いアパートの一室で財布に2千円をしまいながら、惨めな気持ちで涙が出る。

その時、ふと「元アイドルは請求書さえ書けない」という言葉がフラッシュバックした。

なぜ私は、あの時「過去のキャリアではなく、今の私を見て下さい」と強く言い返せなかったのだろう。

理由は、なんとなく分かった。

私自身も中途半端な将来を漠然と描く自分に対して、自信が持てなかったのだ。

だからこそ相手に揶揄された時、毅然と言い返すことができなかったのだと思う。

「元アイドル」という十字架が、時にはセカンドキャリアを歩むうえで耐え難い色眼鏡になること。

その事実に辟易としながら、一方では自分自身に過度な期待もあって処理しきれていない。

そして、そんな時に自分のキャリアを揶揄されたことで、ますます言葉の呪縛に囚われたのかもしれない。

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あれは「元アイドル差別」だったのか?

「今の私には、文章を書くことしか残っていない」

瞬時にそう考えた私は、覚悟を決めてフリーランスライターと名乗ることにした。

しかし、実際は仕事ゼロであり、ライターとして追求していきたい分野など無い。

プータロー、という状況に近かった気がする。

世間というものから押し出されて、どのように働いていくべきかわからなかった。

しかし、食っていかなければならない。

考えた末、私は新米フリーランスライターとして死にものぐるいで営業を始めることにした。

具体的にどのようなアプローチかというと、あらゆるメディアの「問い合わせフォーム」から自分で先方にコンタクトを取るのだ。

「どのような仕事でも全力を尽くすので、御社のメディアで一本記事を書かせて下さい」

すると、稀ではあるが、編集部の人間が返信をくれることが判明した。

もちろん、その道のりは甘くない。

多くのメディアは返事さえくれず、アポイントを結んでも面談当日にドタキャンされることもしばしばあった。

男性編集者から私的な誘いがLINEでくることもあり、こちらが誘いを断ると態度が一気に硬化したこともある。

しかし、それでも立ち止まらず、なりふり構わず目の前の仕事に集中した。

すると、こうした体当たりの戦略がじょじょに功を奏するようになっていく。

ようやく仕事が軌道に乗ったのは、フリーランスになって半年が過ぎた頃である。

その時期、出版社に提案していた企画が通り、作家としても本が出せるようになった。

さらにその半年後、2冊目の出版も決まる。

私はアルバイトせずとも文筆業だけで暮らしていけるようになり、以前よりも少しは自分に自信が持てるようになった。

いま思い返せば、すべて「元アイドル差別」とも呼べる、あの忌々しい言葉の呪縛を見返したい一心だったように思う。

独立から2年が経った現在は、ありがたいことに仕事は順調だ。

しかし先日、またもや前向きな気持ちが搾取される事件が起こった。

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MADOKA SANO/佐野円香

脳内に鳴り響いた“一発退場”の笛の音

それは、ある企業との打ち合わせでの出来事だった。

その企業に勤める男性から、こんなことを言われた。

「今度、ウチの会社でライターとして講演会してくれない?そのあと重役を呼ぶからさ、ビールでもお酌してあげてよ」

絶句する私に向かって、彼は続ける。

「元アイドルの女の子にお酌してもらったら、うちのお偉いさんも喜ぶから。ニコニコ、サービスしてあげてね」

カムバックアゲイン、あの時の解せない気持ち。

首筋に戦慄が走り、“一発退場の笛の音”が脳内に鳴り響く。

しかし、その時、母の言葉が脳裏をよぎった。

「その時々で誇りを持って仕事を全うしていたのなら、恥じることは何もない」

私はその信念を胸に、男性に対して反撃に出てみることにした。

「仕事の現場でお酌は一切いたしません。講演会も実施していただかなくて結構です」

我ながら、毅然とした態度で突き放したつもりである。

ところが彼は、最後までキョトンとした表情を崩さなかった。

自分の発言の何が逆鱗に触れたのか、理解さえしていない様子である。

私は、意思疎通さえ困難な相手だということに気がついて拍子抜けした。

私は「お酌」しないし、心が死ぬサービスはしない

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こうして幾度か分かり合えない悔しさを重ねるうち、ひとつの説に辿り着いた。

それは、会社員時代の得意先も、お酌を要求してきた男性も、総じて「悪気はなかったのではないか」という仮説である。

おそらく、そこにあったのは本人たちさえ気づいていない“一抹の優越感”だけではないか。

「元アイドルは書類ひとつ作れない」とか「自分の職場でお酌してほしい」という都合の良い願望を叶えるため、彼らにとって私という人間は存在していたのかもしれない。

その無邪気さに弄ばれるかたちで、心は疲弊してしまった。

もはや、私がお酌したかったのはビールではない。

ジェンダーバイアス、そしてアンコンシャスバイアスについて考えてもらうため、氷水でも良ければ喜んで注ぐから目を覚まして欲しかった。

このような出来事が、新しい時代にまだあるということ。

それを知ることが出来ただけで、私は書き手として収穫があったように思う。

古い価値観と偏見が、抜本的に変わっていくことを切に祈る。

そして、この場を借りて「私を変えてくれた」2人の男性にはむしろ礼が言いたい。

自分に自信が持てるように、試練を与えてくれてありがとうございます、と。

(文:大木亜希子 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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