10年で「忘れられる」被災地。復興支援のプロが語る、今必要なもの。【東日本大震災】

「行政は『区切り』をつけたがりますが、基本的に『区切り』はつかない。世代が変わるまではかかると思います」藤沢烈さん語る

「心の復興は、まだまだこれから。行政は『区切り』をつけたがりますが、基本的に『区切り』はつかない。世代が変わるまではかかると思います。だから、傷ついた被災者の気持ちに、今後も地域の支援団体が寄り添い続けることができるかどうか、それが非常に重要になってくる」

2011年4月に発足し、東日本大震災の復興に取り組んできた、一般社団法人RCF代表理事の藤沢烈氏は、今の被災地に必要なものをそう語る。RCFは復興コーディネーターとして、地域コミュニティなどの支援活動に取り組む団体だ。

藤沢烈さん
藤沢烈さん

RCFが震災後に手がけてきたのは、復興事業の「ソフト面」。それは、復旧のための建設工事など「ハード面」よりも、さらに長い時間がかかる復興だ。

東日本大震災から10年。その「節目」、それは復興にとって、負の側面も大きいものだ。

伝統的な「コミュニティ」はすでに幻に

避難で人口が減少した福島県南相馬市の中心部 撮影日:2011年10月28日
避難で人口が減少した福島県南相馬市の中心部 撮影日:2011年10月28日
時事通信社

「地方であっても市街地は、もう東京のマンションと同じと考えなくてはならない」

個人と個人の強い結びつきが地域の力となり、強力に復興を推進する…。私たちが思い描くような、伝統的なコミュニティ像は、地方でも漁村など一部地域を除けば、すでに幻になっている。藤沢さんはそう指摘する。

東日本大震災で、地域の最前線で活躍したのは消防団だった。しかし、その平均年齢は、この10年間で40代後半から50代半ばになった。RCFが復興支援に取り組んだ岩手県・釜石市でも中心市街地はすでに一人暮らしが多かったり、近所付き合いも希薄になっていたりと、東京など都心部とその様相はほとんど変わらないと藤沢さんは言う。

「これからは消防団のような従来型の『共助』の仕組みは、非常に効きにくくなる。地域だけでも十分にコミュニティ形成できていた時代は終わります。自助、共助、公助という言葉がありますが、その中ので、そこにNPOのような私たちの役割があると思っています。

RCFなどが関わったコミュニティ支援とは、被災者たちがお互いに人との繋がりを持つことのできる環境(コミュニティ)を、自治組織の設立などを通じてサポートすることだ。復興を目指すには、被災者同士、そして被災者と支援者が協力し合って地域を見守り、話し合いをし、支え合う繋がりが必須だからだ。その繋がりによって、地域は自立し「心の復興」に向かうことができる。

「災害前には弱くても町内会などが基盤になっていた地域もあります。しかし、災害後には人々がバラバラになってしまい、コミュニティはゼロから作り直さないといけない。特に福島の場合は、原発事故で人口そのものも大きく減少しました。住民の方々だけでコミュニティを再建することは非常に困難でした」

草むしり、スポーツ大会…「コミュニティ再建」

被災地の路上で青果を売る男性(左)(宮城県気仙沼市) 撮影日 2011年04月04日
被災地の路上で青果を売る男性(左)(宮城県気仙沼市) 撮影日 2011年04月04日
時事通信社

RCFが支援に入った釜石市では、支援企業の協力も得て、草むしりからスポーツ大会、地域の核となる祭「釜石よいさ」の再建などを通じて、バラバラになった住民たちが集まる機会を増やしていった。また、原発事故で全国に住民が散り散りになった福島県の大熊町・双葉町では、RCFは避難者の全国的なネットワークを作るサポートも行った。

当初藤沢さんらは、復興庁に「コミュニティ再建」施策を要望した際に、「それは行政のすることではない」と言われたという。

しかし、釜石市でRCFが手掛けたコミュニティ再建事業の成功を受けて、様々な自治体が同様の事業に取り組み始めた。それから、政府でも復興政策の柱として重要視されるようになり、現在は他の災害でもコミュニティ再建が復興事業に組み込まれるようになった。

「被災者のコミュニティ支援が、震災復興で『一丁目一番地』の一つになったことは、東日本大震災時の震災復興における最大の進化だと思います」

また、支援したい企業と被災地の自治体・地域を結ぶコーディネートも、RCFの主要な事業の一つ。2016年にAirbnb社と釜石市の協定を結ぶことにも尽力した。ラグビーW杯を機に世界に向けた観光PRをしたいと考えた釜石市と、復興支援に加えて地方で民泊事業を推進したい狙いがあるAirbnb社の事業がぴったり一致し、同社初の自治体との協定となった。

「被災地の現場と様々な世の中の資源を繋げることをしていきたいですね。現場には真実がありますが、資源が少なく、情報も少ない。現場に人を送り、そこで現場の実態、状況を掴んだ上で、外に繋げる。お互いに価値があるものを組み合わせることで、お互いにとってプラスになる」

「私たちも、もう少し役割がありそうです」

一方、まだ課題は多いと藤沢さんは話す。もちろん、新型コロナの影響も被災地も直撃している。

「『コミュニティ支援』は、やはり人と人が集まって成り立つもの。お互いの悩みや、ちょっとした愚痴をこぼし合う、そういう人間関係の中でやっていくもの。オンラインも駆使していますが、孤立化が進んでしまったという感覚がありますね」

また、震災から10年という節目がもたらす、負の影響も見過ごせない。世間の関心が薄れてしまう可能性があるからだ。

「区切り」という存在によって、気持ちを前に進められる被災者も確かにいるだろう。「忘れない」と社会全体で改めて誓うことも大切だ。しかし、10年という節目を境に報道が減り、人々の関心が薄れ、徐々に忘れられていってしまうのは、過去のあらゆる災害や事件で繰り返されてきたことだ。

それに伴って、政府の復興予算や企業の支援も少なくなっている。被災地の地域経済復興は、まだ道半ば。新型コロナによる影響も大きい。しかし、新たに支援したいという企業を見つけるのもだんだん難しくなっていると藤沢さんはいう。

「外部から支援する方は減ってきています。当然だとも思うのですが、現地には被災された方がいて、行方不明の方もまだ1000人単位でいる。まだ福島からの避難者も全国にいます。あの時から、前に進めていない方もまだ大勢いるんです。日本人全体が考えるのはもう無理かもしれません。しかし、行政や国もやらなければいけないし、民間の支援もまだ残らないといけない。私たちも、もう少し役割がありそうです」

かく言う藤沢さん自身も、当初はRCFの事業を2020年に行われる予定だった「東京オリンピックまで」にするつもりで活動を進めていた。しかし、10年が経っても、まだまだ支援を必要としている人たちがいる。だから行かなくてはいけない。

しかし、藤沢さんはインタビューの最後にこうも付け足した。

「私自身はもう、東北が大変だから手伝っているより、東北が好きだから行っているという感じになっています。金銭的に報われる訳でもないし、必ずしも被災された方にダイレクトに喜んで頂けるわけでもない。ただ、ユニークな方、復興の現場でやっている方は魅力的な方が多い、そういう方達が好きだというのが一番ですかね。温泉・お酒・食べ物はもちろん大好きですし、それだけでも全然行きますね。正義感だけだと続かない。もちろん、社会的な課題だと思う気持ちもありますが、同じくらい、好きになれないと続かない気がします」

藤沢烈さんプロフィール

一般社団法人RCF代表理事

1975年京都府生まれ。一橋大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て独立し、NPO・社会事業などに特化したコンサルティング会社を経営。東日本大震災後、RCF復興支援チーム(現・一般社団法人RCF)として活動し復興事業の立案・関係者調整を担う「復興・社会事業コーディネーター」として、30の政府機関・自治体、10の大手企業とプロジェクトを推進、復興庁政策調査官も務めた。総務省地域力創造アドバイザー、釜石市地方創生アドバイザーも兼務。主な著作に『社会のために働く』(講談社)、共著に『ニッポンのジレンマ ぼくらの日本改造論』(朝日新聞出版)、『「統治」を創造する』(春秋社)。

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(執筆:貫井光、相部匡佑、小宮山俊太郎、向山淳 編集:泉谷由梨子)

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