“女性器”とヤジられた。体育の授業での差別発言、気がついた「わたしも差別をしていた」

体育の授業を受けていると、クラスメートから耳を疑う言葉をかけられた。
イメージ画像:レギンスを着た女性
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Nutthaseth Vanchaichana / EyeEm via Getty Images

高校二年生の時の話だ。当時、中国・天津にあるインターナショナルスクール(以下:インター)に通っていたわたしは、体育の授業で衝撃的な体験をした。フィットネス用のレギンスにTシャツで授業を受けていると、同じクラスのアジア出身の男性生徒から耳を疑う言葉をかけられた。

Vagina Pant(ヴァギナパンツ)

日本語では女性器の膣を意味する「Vagina=ヴァギナ」という言葉の破壊力にうろたえながら、「なぜその様な事を言うのか」と聞いた。それに対し「レギンスだけ着てるなんておかしいだろ。半裸みたいなもんだからヴァギナパンツだ」と言う彼に同調し、周りの男性も一緒になり笑い始めた。

わたしは3つのインターに通ったが、レギンスは体育の授業ではもちろん、普段着としても着られるカジュアルな服装であった。実際にその日、レギンスを着ていた女子生徒が数人いた。「なんで、わたしだけに言うの?」と更に尋ねると、「他はみんな白人だろ?君は白人じゃないんだから。アジア人なのにそんな格好するのは注目を集めたいだけだ」という答えが返ってきた。

一緒に笑っていた白人男性生徒は、「白人じゃないからレギンスは着られないね(you’re not White enough to wear that)」「アジア人にしては刺激的すぎる(that outfit is too provocative for an Asian)」などの冗談を被せてきた。

アジア人女性に対するセクハラ

この体験の衝撃はどこにあったのか?中学校からインターに通っていたわたしは、非アジア人からのステレオタイプ・フェチ化に基づいたセクハラは、嫌というほど体験してきた。

イメージ画像:高校の様子
イメージ画像:高校の様子
FangXiaNuo via Getty Images

例えば、「アジア人女性=従順、大人しい」というステレオタイプがあり、フレンドリーなアジア人女性は「軽い女」という勘違いをよくされた。また、一人の人間としてではなく「アジア人の女性と付き合いたい」と堂々と言われたこともあった。非アジア人の男性からアプローチを受けると、周りからは「彼はイエローフィーバーだね」と笑いのネタにされることもセットで付いてきた(イエロフィーバー:恋愛対象としてアジア人女性に好意を寄せる、非アジア人のこと)。この様な環境で過ごしていくうちに、クラスメートや知り合いの非アジア人からの性差別に、わたしは違和感を感じることがなくなっていたのである。

ヴァギナパンツの衝撃は、アジア人男性が、アジア人女性に性差別を行ったことにある。わたしはそれまで、インターというコミュニティで、アジア人同士は助け合うものだと思っていた。多くの白人男性がアジア人女性を「fuck material(ヤリ捨て要員)」として扱う傾向があるコミュニティで、普段は口に出さなくても、アジア人男性はそれを「間違ったもの」として認識していると期待していた。

ヴァギナパンツの発言でアジア人・白人関係なく大笑いする光景は、わたしの期待を大きく裏切った。言葉を放った彼が、普段から一緒に宿題をしたり、ご飯を食べに行ったりする仲が良い友達だったからこそ、悲しさや怒りは尚更だった。

「スネ夫」化したアジア人男性

なぜ彼はその様な発言をしたのか?アジア人のクラスメートしかいない場で、ヴァギナパンツ発言をした彼と話している時、その様な冗談を言われたことはなかった。そう考えると、天津のインターが白人至上主義・差別的な環境であったことが関係していることが見えてくる。

わたしが通っていた当時、天津のインターでは、アジア人生徒と白人生徒は同じテーブルに座ることはほぼなかった。多くが欧米出身だった先生たちの態度も明らかに異なった。白人生徒たちには友達の様に接する中、アジア人生徒の名前は「発音が難しい」という理由で覚えてすらいなかった。他にも、生徒の過半数がアジア人にも関わらず、学校のウェブサイトやパンフレットには白人生徒ばかりが載っていた。

白人生徒を優遇する先生たちや学校システムの影響は、人種の異なる生徒同士の関係性にも及んでいた。アジア人が常に白人よりも劣るというヘイトの感情を生み出していた。

イメージ画像
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白人男性クラスメートがアジア人男性クラスメートに接する姿もよく覚えている。体が大きく、筋肉がついている身体的な特徴が「男らしい」とされる社会で、相対的に見て身体が小さいアジア人男性に対して白人男性が「マウント」を取る光景は日常茶飯事だった。白人男性生徒は、アジア人男性たちを「男らしくない」という理由で見下し、アジア人男性のパートナーがいるアジア人女性に「アジア人男性のペニスは小さい」「セックスで満足できない」という冗談をよく言っていた。

その様な環境下で、アジア人男性は強い集団(白人男性)に疎外されない様に「スネ夫化」し、自分よりも弱い立場にいるアジア人女性を、性的な冗談のネタにする。それが「人種」という枠において強い立場と弱い立場で引き裂かれている二つのグループが仲良くなる方法だからだ。更なるマイノリティを作ることで、自分をマジョリティにしようとしていた。

「わたしは差別をしている」

アジア系差別に対するデモ(ロサンゼルス、アメリカ)
アジア系差別に対するデモ(ロサンゼルス、アメリカ)
Genaro Molina via Getty Images

わたしが、ヴァギナパンツの発言が性差別だという認識を持ち始めてすぐ、発言した彼にその旨を伝えてみた。相手からは「ただの冗談だった」「セクハラ・差別をしているつもりもなかった」という答えが返ってきた。

しばらくは、相手が自分の差別的な部分に気づいていないことに怒りしか湧かなかった。しかし、これまでの自分自身の言動を振り返ると、わたしも数え切れないほどの差別的な発言をしてきたことに気付かされた。

「〇〇人はこう」と人を国籍で一括りにした発言をしたり、テレビに出ている外国人のタレントのたどたどしい日本語を笑いのネタにしている番組で大笑いしたりもした。相手の差別を認識できる人でも、自分が差別をしている認識を持っていない人はいる。本人が気がつかないうちに、多くの人が差別を受けているし、差別をしているのだ。

自分の体験を振り返ったわたしが感じたのは、自分も加害者になりうるということである。例え無意識でも、差別を行う側にいつでもなり得るのだ。だからこそ、あえて言う。「わたしは差別をしている」。この自戒が、差別をなくす小さな一歩になることを願って。

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