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2021年07月26日 06時45分 JST | 更新 2021年07月26日 12時58分 JST

相模原事件から5年

なぜ、あのような事件が起きたのか。ここに来て新たな事実が浮上している。ノンフィクションライターの渡辺一史氏の取材によって、裁判でも触れられなかったことが明らかになっているのだ。

NurPhoto via Getty Images
「津久井やまゆり園」の前に設けられた祭壇

7月26日━━。

5年前のこの日、相模原の障害者施設に男が押し入り、19人を殺害。26人が重軽傷を負った。逮捕されたのは施設の元職員の植松聖。当時26歳。「今、やまゆり園で起きた事件の犯人は私です」と津久井署に自首した植松は、「どうしてこういうことをしたのか」と問われ、「世界平和のためにやりました」と答えている。 

あの事件から、5年。先月、建て替え工事中のやまゆり園を訪れた。事件の時とは様変わりした建物で、7月はじめには完成したようだが、この国の人の多くはすでにあの事件を忘れてしまったような気がするのは私だけではないだろう。

昨年1月に始まった裁判はわずか16回の公判で終了し、昨年3月、植松は確定死刑囚となった。

なぜ、あのような事件が起きたのか。その解明がなされたとは決して言えないのに、あっという間に終わってしまった裁判と、確定した死刑。植松は第一回目の緊急事態宣言が出た昨年4月7日、横浜拘置支所から東京拘置所に移送され、今は死刑執行を待つ身だ。

しかし、ここに来て新たな事実が浮上している。ノンフィクションライターの渡辺一史氏の取材によって、裁判でも触れられなかったことが明らかになっているのだ。

まず注目したいのは『創』8月号。

ここには、渡辺氏が「かながわ共同会」(やまゆり園を運営している)の元職員・T氏から極秘に入手した内部資料が紹介されている。植松が在職中に書いた「ヒヤリハット」だ。現場でヒヤリとしたりハッとした事例を記録し、職員で共有するための報告書だが、これを読み、私の中の「植松像」は大きく変わった。

なぜなら、裁判を傍聴するなどしてできた私の中の植松像は、やる気がなく、一般常識にも欠ける職員というものだったからだ。実際、判決が出た日、やまゆり園の入倉園長は記者会見で、植松について「足が悪い利用者を誘導する時ポケットに手を突っ込んでいた」「退勤時間ではないのに勝手に帰ってしまった」など、「素行の悪さ」を強調していた。

しかし、植松が2015年3月に書いた報告書は、非常にしっかりした内容なのだ。利用者が入浴中にてんかん発作を起こし、湯船に沈みかけた時のものである。植松はすぐに救助。以下、『創』からの引用である。

「14:53 浴槽内にて発作を確認し、溺れている状況だったので直ぐに担ぎあげる。硬直痙攣20秒程みられる。脱力後脱衣場に移動し、14:55 ダイアップ(発作どめの座薬)を挿入する。15:00 バイタルチェックを実施。Kt(体温)37・5、BP(血圧)125/68、P(脈拍)110、その後、居室で横になって過ごしていただく。看護課に連絡し18:00に検温の指示がある」(カッコ内は渡辺氏の補足)

この報告書の内容は、T氏によると「ほぼ百点満点」(文藝春秋2021年6月号)とのこと。「原因および問題点」の欄には「発作をもっている利用者様はシャワー浴のみ実施する。しかし、入浴は楽しみの一つの為、見守りの徹底を行う」ともある。これも「彼なりに利用者さんのことを真剣に考えている証拠だと思います」とT氏は述べている。

問題は、この報告書に対する上司のコメントだ。

「溺れるとは、広辞苑第三版によると“水中で泳げないで沈む、または死にそうになる”となります。今回の件を確認しましたが、浴槽内に頭部は浸かりましたが、直ぐに気付けたので水を飲むまでには至っておりませんでした。対応は迅速で称賛すべき内容なのに、報告に“溺れている”との記載があるため重大な結果を招いてしまった、と思われてしまいました。今後は、対応はそのままで、報告する際の記述に注意してください」

これを読んで、私は思わず植松が気の毒になってしまった。間一髪のところ利用者の命を助け、適切に対応したのに「溺れたなんて大げさに書くな」と言いがかりのようなコメントをつけられているのだ。

この「利用者が溺れた」エピソード、以前から耳にしていた。これまで植松が自ら語っていたからだ。しかし、その内容は「せっかく助けたのに、親御さんから感謝もされず、やはり障害者は不要な存在なんだと感じた」というもの。上司や職場への怒りが植松から吐露されたことは、私が知る限り一度もない。

が、『創』の渡辺氏との対談で、内部資料を提供したT氏は言う。

「植松をよく知る同僚の話によると、彼は『バカ植松』と呼ばれて、職場内ですごく陰口を叩かれていたっていうんです。『あれだけ職場でバカにされたら、そら頭だっておかしくなるよ』と言っている人もいました」

冷遇されるようになった理由を、渡辺氏は「植松の刺青発覚」にあるのではと推察する。14年12月、入浴介助中、植松の背中に刺青があることが職場に発覚するのだ。以来、植松を見る目が変わった可能性は高い。

「まわりの職員も、上司の態度に影響を受けるでしょうからね、村八分のような感じだった可能性は十分あると思います」(T氏)

それまで障害者を「かわいい」と言っていた植松が変わっていくのは事件から約一年前と言われている。報告書が書かれたのは、彼が変わったとされる数ヶ月前だ。職場での冷遇に対する怒りがもっとも弱い立場の弱い利用者に向かったのだとしたらやりきれない思いだが、真偽のほどは闇の中だ。すでに死刑が確定した植松とは、手紙などをやりとりすることも、ごく限られたケースをのぞいてできないからだ。

対談では、やまゆり園での「虐待」にも触れられている。裁判にて、植松は、やまゆり園で見聞きした利用者への命令口調や暴力について語っている。その際、「暴力はよくない」と先輩職員に言ったものの、「2、3年経てばわかるよ」と言われたという。この言葉が植松に与えた影響は大きいと思われる。

そんな対談で、T氏は衝撃的な事実を語る。なぜ、やまゆり園の職員が実情を語らないかという質問に対する答えだ。

「植松の発言を聞いて、大なり小なり自分の“痛い腹”を探られる部分があるからではないかと思います。

実は、『障害者なんていなくなればいい』と言っていたのは植松ひとりじゃないですし、先輩職員の中には、『彼らが生かされていること自体が、血税の無駄遣いだ』とはっきり言い切るような人もいました。そういう環境で、植松がああした思想に染まっていったという可能性が、誰しもの頭によぎったのではないかと思います。だからこそ、この件は心の中にそっと閉じ込めておこうと……」

渡辺氏は、『文藝春秋』6月号にも原稿を書いている。こちらは友人たちの証言などが盛り込まれているので、『創』と合わせてぜひ読んでほしい。

もう一冊、相模原事件を考えるために紹介したいのは、あの事件から5年というタイミングで出版される『〈反延命〉主義の時代 安楽死・透析中止・トリアージ』だ。

本書で、私はれいわ新選組の木村英子氏と、東大大学院総合文化研究科教授の市野川容孝氏と「分ける社会がもたらす命の選別 相模原事件、公立福生病院事件、ナチス安楽死計画」というタイトルで鼎談をしている。その中で、市野川氏から興味深い話を聞いた。

それは、これまでヨーロッパやアメリカでも起きてきた事件。ケアにあたる看護職や介護士が、入所している人を5人、10人殺してしまうという事件だ。

ドイツの州立病院でも、90年代、男性看護師が高齢者を10人殺す事件が起きたという。そこで再発防止のため、オープンな議論が持たれたそうだ。

「そこで問題になったのは、犯人の男性看護師が、高齢者の末期の病棟にずっと張り付けられるような形で配置されていたことです。再発を防ぐためには、看護職の人を、特定のセクションに長期間にわたって配置するのをやめて、重い人、軽い人、それから外来、いろんなところを回れるように、システムや看護や介護の仕組みを変えていかないと駄目だというのが」結論となったそうだ。

確かに、「末期」と言われる死に近い場所で働き続けることは大きな負担となるだろう。時には「殺してあげた方がいいのでは」という思いに取り憑かれることもあるかもしれない。

この鼎談で市野川氏は、スペイン風邪で多くの人が亡くなった第一次世界大戦中、ドイツ国内の精神病院で餓死した人の数は七万人とも言われていることを紹介し、続ける。

「そしてこの数字は、ナチスが始めた安楽死計画の一つ、T4計画で殺された精神病者の数とほぼ同じだと言われています。つまり、為す術もなく、ただ人が死んでいくのを見ているしかなかった第一次世界大戦の光景を知っている人たちが、第二次世帯大戦が始まった一九三九年九月一日の福祉や医療の現場に少なからずいたはずなんです。

戦争が始まったら、きっと同じことが繰り返される。だけど、今度は黙って見ているのではなく、積極的に殺してあげたほうが本人のためだと。まさにドゥルナーさんの言う『死に至る憐れみ』ですよね。

でもその背後には、飢餓やスペイン風邪という、ある種の禍があった。それに対してほとんど何もできずに、死んでいくのをただ黙って見ているしかないという状況に置かれながら、人間はそこにある種の合理性を見出していくんです。『助けられなかった命は、もともと生きるに値しなかったんじゃないか』と。そういうことが、ヒトラー、あるいはナチスの安楽死計画に深く関係してると思うんです」

「死なせてあげたほうがいい」

最近、多くその言葉を聞いたのは、ALS女性への嘱託殺人事件の際だ。

が、果たしてそれでいいのだろうか? その発想は、ものすごく危ういことではないのだろうか? そんな問いが、私の中にずっとある。

というようなことを、いろんなところで言ったり書いたりしていると、時に「あなたは全然現実がわかっていない」という意見を頂くこともある。高齢者が見るに耐えないようなひどい状態で放置されていることもある、などの意見だ。が、本当に悲惨に状況であれば、病院に申し入れをするとか外部の団体に頼るとかメディアに告発するとか、その状態を改善する方法はある。植松も、障害者を「かわいそう」としきりに口にしていた。「1日中、車椅子に縛られている」「食事もどろどろ」と。

しかし、かわいそうと思うのであれば、植松は施設を運営するかながわ共同会に連絡することもできた。内部告発だってできた。マスコミに垂れ込むことも、障害者団体に知らせることだってできた。しかし、彼のやったことはそのどれでもなく、大量殺人だった。

今、思い出すのは、昨年夏に訪れたある施設だ。

それは、植松が事件を起こしたやまゆり園から事件後に入所者数名が移った施設。やまゆり園では「暴れて手がつけられない」と言われていたという強度行動障害の若者たちは、作業場でカッター片手にリサイクルの仕事に熱心に取り組んでいた。本当に「暴れて手がつけられない」のであればカッターを持たせるなんてありえない話だが、問題なく作業していた。

一方、この日会うことはできなかったのだが、やまゆり園で「1日中車椅子に縛り付けられていた」という女性は、この施設に移って拘束をとかれ、リハビリを受けることで歩けるようになり、今は資源回収の仕事ができるまで回復しているのだという。

支援の仕方で、障害の重さは変わる。「かわいそう」に見えていた人たちが、生き生きと日々を過ごす人たちとなる。

やまゆり園から移った人たちの姿は、そのことを証明していた。

事件から5年。 

5年前より「命の選別」がリアリティを帯びたコロナ禍だからこそ、考え続けたいと思っている。

(2021年7月21日の雨宮処凛がゆく!掲載記事『第564回:相模原事件から5年。の巻(雨宮処凛)』より転載)