マイクロアグレッションとは何か?様々な立場の人が「日々」積み重なるように体験している【解説】

『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』(明石書店)を翻訳した「マイクロアグレッション研究会」のメンバーに“4つの視点”で話を聞きました。「考えすぎじゃないの?」「僕は君の人種など見てないよ」「性別なんてないよ!」こういった言葉の背景にあるものとは。

「マイクロアグレッション」という言葉をご存知でしょうか。

「Black Lives Matter」運動が起きた背景が物語るように、現代社会には今なお根深い差別が存在しています。

差別は時に、あからさまな形ではなく、無意識的に見えにくい形で行われ、それが重大な結果をもたらしているーー。マイクロアグレッションは、そういった差別をさした用語です。

日本では用語への馴染みがまだ薄い中、アメリカの研究者デラルド・ウィン・スー氏の本が翻訳され、2020年末、日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション 人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別明石書店)が出版されました。

翻訳した「マイクロアグレッション研究会」は京都を拠点に、メンタルヘルスに関わる専門職、その友人、社会的差別に関心をもつ教員らが集まり、差別問題について対話を続けてきたグループです。

翻訳メンバーの中から、パクリミョンさん、Shizukuさん、在日コリアンカウンセリング&コミュニティセンター(ZAC)代表丸一俊介さんの3人に、主に下記の4つの視点で話を聞きました。

・マイクロアグレッションとは?

・日本でのマイクロアグレッションの特徴

・マイクロアグレッションの個人への影響

・個人、社会が変わっていくために

マイクロアグレッションとは何か?

ーー日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッションでは、会話事例などを交えながら、マイクロアグレッションを詳しく解説していますが、この用語について改めて説明していただけますか。

Shizukuさん 簡潔に言うとしたら、特定の個人に対して、その人が属する集団を理由に、おとしめるメッセージを発する日々のやりとりのことです。障害者、高齢者、女性、セクシュアルマイノリティ、人種・民族的少数者などが日常的に経験していることです。

著者のスー氏コロンビア大学ティーチャーズカレッジ教授)が拠点とする現代アメリカでは、露骨な差別は許容されないことが社会の前提となっています。しかし、人々の中にある差別心が無くなっているわけではなく、無意識的な差別は曖昧な形で日常にあります。そういったことを背景に注目されている概念で、「現代的な差別」とも言われています。

「小ささ」を意味する「マイクロ」がついていますが、被害者側が「毎日・日々」積み重なるように体験しているという意味でとらえて下さい。日常的に侮辱や侮蔑にさらされているものの、差別だとはっきりと認識・指摘しづらい部分があり、心理的な不安にさいなまれています。

尚、この用語は元々、1970年代にアメリカの精神科医チェスター・ピアースが、日常的にアフリカ系アメリカ人に向けられる、「分かりにくい、けなしや侮辱の言動」を言い表すために使用したものです。現在では、人種や民族だけでなく様々な立場の人が経験していることが分かっています。

「日本で特徴的に起きているマイクロアグレッション」とは

ーースー氏の本では、マイクロアグレッションを、マイクロアサルト(assault 攻撃)、マイクロインサルト(insult 侮辱)、マイクロインバリデーション(invalidation 無価値化)の3つに分けて解説しています。

『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション 人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』(明石書店)より抜粋、編集
『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション 人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』(明石書店)より抜粋、編集
Yuki Takada /HuffPost Japan

丸一俊介さん どれも受け手には負担になるものですが、特にダメージが大きくなる可能性があるのが、マイクロインバリデーションだと言えます。特定のグループの感情や経験的なリアリティを無視したり、無価値なものとして扱ったりする事をさします。

この「相手の差別体験のリアリティを否定する」というのは、日本で特徴的に起きているマイクロアグレッションだと研究会では分析しています。

例えば、マイクロアグレッションを受けたという訴えに対して、「考えすぎじゃないの?」「あなたの感じ方の問題じゃない?」「今、差別ってあるのかな?」といった反応が向けられてしまう。

また人種やジェンダー、性的指向の違いなどに目を向けようとしない、という現象もあります。人種や民族を例にとると、「君を見る時に、僕は君の人種など見てないよ」「日本人と変わらないから大丈夫」などといった言葉ですね。

「日本社会には差別はない」という考え方は根強く、差別が表面化しそうになると、否認する方向に動いてしまう。問題がないことにしてしまうのが、日本のマイクロアグレッションの特徴だと思っています。

パクリミョンさん 「差別が存在することの否定」は、私個人としても感じてきました。私は在日コリアン3世ですが、「差別なんて直接されたことあるの?」と聞かれることがあります。「差別なんてないでしょ」という含みを感じる質問で、自分の経験が否定されるようで、えぐられるような辛さがあります。そして、こちらが聞かれた方なのに、相手が納得する説明をする「責任」まで求められてしまう。

また、日本の特徴で言うと、人の訴えに対して、「思いやり」などの話にすり替えてしまう問題もあると思っています。

例えば、街の構造の不便さを訴えた身体的な障害がある方に対して、「手助けしてくれる人への感謝の言葉はないのか」みたいな議論が出てきてしまう。それは別の話ですよね。そういった発言は、対等に見ていないから出て来るのだと思いますし、「障害者の生活は、権利ではなくて恩恵だ」という差別的メッセージが隠れていると感じます。

マイクロアグレッションが個人に与える影響を、被害者側と加害者側に分けて考えることができる

ーー本の中では、マイクロアグレッションによる、受け手側のストレス・健康問題などだけではなく、差別する側・マジョリティ側を取り巻く環境、心理、さらには「学ぶ機会を失っている」などの指摘をしていることが興味深かったです。

Shizukuさん なぜマイクロアグレッションへの認知が広まり、解決につなげて行くべきかは、被害者側と加害者側に分けて考えることができます。

まず被害者側は、日常的にマイクロアグレッションにさらされ続けることで、ストレスや不安を感じ、心と身体に悪影響があると指摘されています。

また、マイノリティは「適応努力」を求められ続けています。

男性上司が、女性部下を「ちゃん」、男性部下を「さん」と呼ぶ職場で働く女性は、「なぜ私は『ちゃん』なの」と違和感を覚えますよね。しかし、それを問題提起したら、「なに怒ってるの?」「女性差別なんてないよね」などと言われてしまう可能性があるから、黙っている。

女性側が、上司の言動の問題点に自覚的ではない場合でも、言葉にしにくい「もやもや」を感じていることは多い。結果的に、「気にしている自分がおかしいのかな」「私が、考えないようにすべきなんだ」などと自分に疑問を向けてしまう。

「起こった事」の意味を、自分の中で考えたり、処理したりすることですり減っていき、仕事や勉強などに向けたいエネルギーを奪われ、持っている力を発揮できないということが起きてしまいます。

パクリミョンさん 本では、マイクロアグレッションは加害者側にとってもノーコストでは済まないということを指摘しています。

よく、ハラスメント加害を指摘された方が、「そんなこと言われたら、何も発言できないよ!」と反論する現象がありますが、自分の差別心を認めることが怖いのでしょう。「人種なんてないよね」「性別なんてないよ!」といった、一見「前向き風な言葉」も含めてですが、そういった言葉や態度で自分の中にある差別意識にフタをしているわけです。

しかし、男性が性差別を訴える女性を避けたり、異性愛者が同性愛者を避けたりするなど、マジョリティが意識的・無意識的にマイノリティを避けることは、新しい考えに触れ、成長する機会を自分から奪っていくことなんです。それが結果として、現実に対する認知能力を低くしてしまい、共感性を下げてしまうことを本では指摘しています。

また、多様な人が集まる組織やチームにおいて、無自覚な偏見やマイクロアグレッションは、コミュニケーションと信頼関係の形成を阻害するため、チームワークやチームの生産性、パフォーマンスの低下を招くことも指摘されています。

個人・社会が気づき、変わっていくためには?

ーー無意識的にしている行動も含めれば、誰もが差別をした経験があると、私は思っています。日本は「男性優位」「異性愛主義」「単一民族意識」などが強く、同調圧力もあいまって、この社会で暮らしている中では気づけないことも多い。個人・社会が気づき、変わっていくためには、どういったことが必要でしょうか?

パクリミョンさん マイクロアグレッションをした人が、それを指摘された時に、「そういうつもりはなかった」と釈明することがありますが、意図があったら悪人ですよね。意図がなくても失敗するものなんです。

なので大事なのは、マジョリティは、マイノリティのリアリティを経験できないと自覚することなんです。互いにベターになっていくために、この社会はすでに多様な人が暮らしていると気づき、「私には想像できていない部分がある」と認めることが一歩だと思います。

丸一俊介さん 一方で、個人の意識というものは、社会の文化・教育・構造などから自由になることは難しく、個人的に解決することは困難な面もあります。

だから、練習とか教育が大事なんですよね。「人間性を良くしていく」と考えるのではなく、自分の差別心に気づくトレーニング、その差別心をコントロールするトレーニングが必要なんです。

「不平等はない」という“前提”が強い日本ですが、もっと差別や不平等がある前提で、社会を設計しないといけないんです。私は、子どもの頃から、差別心に気づくための練習・教育を国がすべきだと考えています。

あとは、現実的な力を分配するのも大切です。年配男性だけがポジションについている組織が変化するのは、どうしても難しいですよ。多様な人を重要なポジションにつけ、構造・仕組みの部分を変えていくのもすごく大切です。

Shizukuさん やはり多様性が必要なんですよね。様々な立場の人が入って、お互いに「現実感覚を磨いていく」みたいなことはすごく大事です。個人の努力で磨いていくことだけじゃなくて、グループとして社会として取り組んでいくことだと思っています。

<翻訳者有志では、2021年11月から、「日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション」のオンライン講座を予定している。日本の状況や本の要約を紹介するほか、ゲストスピーカーを招くことも予定している>

(文・湊彬子 @minato_a1 グラフィック・高田ゆき/ハフポスト日本版)

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