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2021年09月22日 07時15分 JST | 更新 2021年09月22日 10時50分 JST

「勝つ物語」より「負けた時の物語」が必要だ。臨床心理士・東畑開人さんと考える、小さな希望の見つけかた

「心が失われているのは、実はここ20年進行してきたこと。コロナはその事態を表面化させたに過ぎない」。社会に大きな希望がない今、いかに生きることを支える小さな希望を見つけるか。これが令和を生きる僕らの課題ではないか、臨床心理士の東畑開人さんはそう話します。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
東畑開人(とうはた・かいと)さん。臨床心理士・公認心理師

心が見失われている。    

8月17日に悔しい事態が起きた。新型コロナウイルスに感染した妊婦が陣痛を訴えたが、受け入れ先の病院が見つからず、自宅で出産。新生児は病院に搬送されたが、亡くなった。心からお悔やみ申し上げたい。

テレビのアナウンサーがこのニュースを伝えながら涙を流したのは、彼のパートナーが妊娠していたからかもしれない。私はその姿を見て、泣いた。私の妻も妊娠しているからだ。苦しかったんだ、と、あとになって自分の心の痛みに気がついた。

感染者、1。死亡者、1。

感染者や死亡者が私たちに「数」として伝えられるとき、1人ひとりの心はどこか霧消してしまう。「東京都の1日の感染者数が、過去最多の○○○○人となりました」━━。あまりにも「大きなもの」に麻痺していき、心が置き去りになる。

例えば、世界中から各種競技のアスリートを集め、オリンピック・パラリンピックを開催するか否か。観客を入れるか否か。ひとりには負えないほど問いは大きく、心を置く場所がない。

臨床心理士の東畑開人さんは新刊『心はどこへ消えた?』(文藝春秋)で、心のありかを探る。カウンセリングルームでクライエント(相談者)から語られる「命がけの社交、過酷な働き方、綺麗すぎる部屋、巧妙な仮病」といった小さな物語たちと向き合い続けることで、週刊誌に連載してきた「心はつらいよ」を書籍化したものだ。

これまでも、著書で心とそれを取り巻く社会を描写してきた東畑さんに、現代の「心」とそれをめぐる状況について話を聞いた。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
東畑開人さん。著書『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)で第19回大佛次郎論壇賞受賞

日本はこんなことになっちゃったんだ

「パニックだったんですよね。特に去年(2020年)の春は、社会もパニックだし、僕もパニックになって、未知の状況のなかでいろんなことを考えていました。

新型コロナの感染拡大によってみんなの生活が大きく変化する時期に、『心理士として心について何か書くべきだろう、それが仕事ではないだろうか』と熱い思いが芽生えて、連載を前倒しして急遽始めました。ただ、1、2カ月くらいでもうコロナ関連で心について書けるネタが尽きたんです(笑)。

昨年5月の終わりに、緊急事態なのに緊急事態宣言が解ける(※5月25日に東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道の5都道県で解除)といったことも起きて、緊急事態が日常化しました。さらに、ニュースもものすごく大きくてグローバルな話ばかりになっていて、小さな心の話がどこを探しても見つからなかった」(東畑さん)

『週刊文春』での連載「心はつらいよ」は、2020年5月から異例の前倒しで始まり、当初は新型コロナウイルスと心について書き始めたが、すぐに「ネタ切れ」した。そこから東畑さんは考え始める。

心が失われているのは、実はここ20年進行してきたことであって、コロナはその事態を表面化させたに過ぎないのではないか、と。

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
東畑開人さん

「僕たちは今、とても脆弱な存在です。個人は弱い。組織に属していても、いつ組織がなくなるかわからないし、組織に押しつぶされて、組織にいることそのものが苦しくなったりもする。かといって1人で生きていこうとすると、もっと弱い立場に置かれる上に、自己責任を問われます。小舟で航路が見えないままに、大きな海を渡っているような状態です。

歴史学者の與那覇潤(よなは・じゅん)さんは『平成史―昨日の世界のすべて』のなかで、裏切られて喪失していく物語として平成を描いています。“護送船団方式”で約束されたものもなかったし、“護送船団方式”の外にあると言われていた個人の自由が輝く世界もなかった。この20年、希望を持って何かをやろうとした若い人がことごとくがっかりしていく。

オリンピックの開会式でみんな鬱になってましたよね。『日本はこんなことになっちゃったんだ』みたいに。社会に大きな希望がないんですね。

そういう希望が貧しくなった社会で、いかに生きることを支える小さな希望を見つけるか、これが令和を生きる僕らの課題なのではないか」(東畑さん)

東畑さんが触れた『平成史』では、映画『ダークナイト』のセリフ“You choose.(お前らが選ぶんだ)”を引用したうえで、こんな記述がある。

“近代とはいわずもがな、宗教の戒律や伝統的な慣習に従うのではなく、人間が自分自身の判断で「選ぶ」ことをよしとし、そうできる範囲を拡大し続けた時代です”

選べる自由は大切だ。しかし、少しでもその結果が「自己責任」となる社会では、その選択が個人に委ねられるのは過酷な側面もある。心の負荷が大きい時代に、心について考える機会が減っているのは危うい。

 

私たちの内側には、いろんな「私」がいる

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
東畑開人さん

コロナ禍でも、東畑さんは自身のカウンセリングルームでカウンセリングを続けた。

『心はどこに消えた?』には、以下のようなケースが掲載されている。

幸せな老後を過ごす上品な老婦人がカウンセリングにやってきて、「うまく眠れないのね」と言う。東畑さんはなぜ彼女がカウンセリングを必要としているのか、いまいちわからない。だけど様子を見ることにして、しばらく会い続けた。すると彼女は眠れるようになった。それでも、彼女はカウンセリングに通うことをやめなかった。夫は優しく、経済的にも頼りがいがある。彼女はときどき孫を預かるのを楽しみにし、「自分は幸福だ」と言いながら、カウンセリングに来る。「何をしに来ているのだろう?」。東畑さんは「なんとも居心地が悪かった」と回想する。

あるとき、東畑さんは「なんのために、私たちはここに居るのでしょうね」と投げかけた。その言葉に彼女は傷ついたと訴え、一方でこうも話した。

「私は夫が嫌いです」━━。

「個人の中の多様性の問題だと思うんです。つまり僕らの内側には複数の声があって、いろんな『私』がいる。大きな声の『私』もいれば、小さすぎる声で自分にも聞こえない『私』もいるわけですよね。

『なんで夫と一緒に生きていかなきゃいけないんだろう』という問いが、複数の心のなかの1つとして小さく存在していたわけです。だけど、社会的に適応するための声のほうが大きいから、彼女は自分でも幸せだと思い込んでいる。でもやっぱり、『そうじゃないのかもしれない』と思っている彼女もいる。

ただ1人で考えていても、小さなほうの声はあらわにならないんですね。誰かと時間をかけて話をしているなかで、突如として自分の内に小さな声が響いていたことに気づいて、自分でもびっくりする。それは当然、自分のこれまでの人生を脅かすような危険な声だから、聞いてしまうと心身ともに不安で不快になることもあるわけです。

それでもその声を聞き取ることが、その人の心を『フルレンジで生きていくこと』につながる、と僕は思う」(東畑さん)

ときに不快な部分にも耳を傾けて、心をフルレンジで生きていくことは億劫だ。しかし、“心の回復には時間が止まるフェイズがある”。そして、次のステージに行ける。

“暴風が収まると、凪の時間が訪れる。風がやみ、時間が止まる。そのとき、私たちはふと我に返り、ぽつんと一人になる。するとようやく、内省が可能になる。落ち着いて、自分のことを考えることができるようになるのだ”(『心はどこに消えた?』より)

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
『心はどこへ消えた?』(文藝春秋)

この連載の執筆中、東畑さんは改めて心とは何かを辞書で引いたそうだ。そこに書かれていた定義は「体・物の反対」。

「『こんなバカな辞書の書き方ある?』と最初は爆笑したんですね。でも、あとから考えるほどに、鋭いのではないかと思い始めました。

つまり、心は最後にやってくるもの。何か問題が起こった時、まずは環境を調整すべきです。いじめがあるなら、まずはいじめを止めて、そういうことが起きる環境を見直すべきです。

あるいは、体の不調であれば病院に行って検査をし、必要であれば手術をしたり、薬を飲んだりする。環境や体の問題が先です。それでもどうにもならなかった時に初めて、その原因が心にあるのではないかと考え始める。心は最後に現れる。

カウンセリングの仕事をしていると、この社会の最後の仕事をしている感じがするんですね。色々なことをやり終わった後に、最後に残っている仕事です。ですから、「○○でない」という否定形で書かれた心の定義は、意外に深淵なことを言っているのではないかと思いました」(東畑さん)

 

自分が孤独だと気づくには、誰かの存在が必要

「コロナ禍に入ってからもカウンセリングルームでは、実はコロナの話が中心になることはほとんどありませんでした。遠景にはコロナもあって、それは様々な影響を与えているにせよ、直近でクライエントが悩んだり考えたりしているのはとても身近で小さな人間関係や仕事、家庭の話なんです。

そういう意味でも、僕がやっているのは、コロナのようなすごく大きなことをどうこうする仕事ではない。言わばコロナの反対。そうした“最後の場所”があることが重要ではないでしょうか。危機だからこそ、みんなが一致団結すべき部分もありますが、一方ではそれぞれが小さな人生を生きていることの価値を、連載の1年でよく考えていました」(東畑さん)

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
東畑開人さん

日々のニュースに流され「心」について考えるのは難しくなっているが、「心」に触れられる時間と空間を、私たちは必要としている。

「僕が描きたかったのは、暗い話。

物語というと、最後は“勝つ”物語をみんな考えるわけですよね。勝ち抜いたり、大逆転したり、個人化した世界で勇ましい言葉ばかりが語られてきたのだけど、そうではなくて何かを失ったり、夢破れたり、負けたりしたときの物語が必要なんです。そんな物語こそが、茫然自失としたところに新しい羅針盤を作ってくれるのだと思う」(東畑さん)

“心はもう一つの心の中でのみ存在することができる”と東畑さんは同書に記した。

「自分が孤独だと気づくには、誰かに孤独だとわかってもらわないといけないという逆説があると思うんです。赤ちゃんはつらいときに素直に泣きますが、大人になると泣かない。涙が流れるのって、孤独の最中ではなく、『孤独だったんだね』と他者にわかってもらえたときですよね。

けれど、他者がいるからといって、心の問題がズバッと解決するわけではない。時間がかかります。辛いことや見苦しいこともいっぱい起きる。

それでも、誰かが心を一度預かってくれることは、その苦しい時間を持ちこたえるための役に立つ。ネガティブケイパビリティとはそういうことだと思います。

すると、『こういうこともあったね』と言い合えることもあるかもしれません。人生の道行きが言葉になり、個人的な歴史が浮き上がります。俺の人生はこういうものなんだ、ってね。それこそが生きることを支えてくれる物語だと思います」(東畑さん)

世の中を覆う「大きな物語」は強力で、個人が頑張って食らいついていくうちに「心」が置き去りになってしまうことがある。ポジティブストーリーの荒波に飲み込まれて、「小さな物語」や「暗い話」は二の次になってしまう。

でも、「大きな物語」のために「暗さ」を見捨てなくていいのだ。暗い話を紡いでいく。自分の中の多様な声に耳を傾ける。とりわけ小さくて聞こえづらい声に。信頼できる誰かに心を預けることができたなら、そういう声が少し聞こえやすくなる。

大変なときだからこそ、いま「心」に手を伸ばしたい。 

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
東畑開人さん

(取材・文:遠藤光太 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)