「ロールモデルはいない、誰かみたいにならなくていい」。テレ朝アナから国連職員になった青山愛さん、影響を受けた上司の言葉

東京パラリンピックでは難民選手団をサポート。「求められている姿に一生懸命なろうとしている自分」がいたと過去を振り返る彼女が、新たな道に進んだ理由【インタビュー後編】
現在はUNHCR本部のあるスイス・ジュネーブのオフィスで働く青山愛さん
現在はUNHCR本部のあるスイス・ジュネーブのオフィスで働く青山愛さん
Provided by UNHCR

元テレビ朝日アナウンサーで現在は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の渉外担当官として働く青山愛さん。2021年夏に開催された東京パラリンピックでは難民選手団とともに選手村に滞在し、大会に出場する選手のサポートに勤しんだ。

青山さんは放送局のアナウンサーから大学院への進学などを経て2020年に国連職員になった。UNHCR本部のあるスイスで新たなキャリアを歩んでいる彼女は「ロールモデルはいない。誰かみたいになる必要はないから」と話す。テレビ朝日を退職して4年以上が経った今、自身のこれまでの経験やキャリアチェンジの経緯、1人の女性としての働き方について話を聞いた。

「求められている姿に一生懸命なろうとしている自分」がいた

テレビ朝日アナウンサー時代はスポーツや報道、バラエティ番組など様々なジャンルを担当していた青山さん。当時の仕事を「大好きだった」と振り返る彼女はなぜ、新たな世界に飛び込んだのか。

何か一つというよりは、多くの理由が重なっていました。ただ、絶対的に言えるのは、幼い頃に海外で過ごした経験があり、中学生の時から「いつかは国際機関で働いてみたい、国際公益のために働きたい」という憧れはずっと抱いていました。そこにチャレンジするために、30歳手前で大学院で学び、修士の学位を取ろうと考えました。

アナウンサーだった頃のある日、テレビ局の近くの本屋に立ち寄ったんです。その時にたまたま手に取った雑誌の特集が「世界で活躍する50人の女性」というもので、国連の事務次長を務めている中満泉さんのインタビューが載っていました。読んだ後に胸がドキドキするような感覚があって、「あーかっこいいな」と純粋に感じたんです。「私も昔はこういうことに憧れていたな」と思い出し、挑戦してみたいと思うようになりました。

もしかするとこの頃から、国連の組織に縁があったのかもしれない。さらに青山さんは新たなキャリアに挑戦したきっかけをこのように振り返る。

もう一つあるとすれば、アナウンサーや放送局での仕事はやはり「マスメディア」なので、多くの視聴者、「マス」が求めているものにプロとして応えないといけない。アナウンサーで言えば、番組制作を担うディレクターやプロデューサーが求めていることに応えていくのが仕事です。まったくそれは正しいことなんですが、一方で「人に求められてる姿に一生懸命なろうとしている自分」がいました。

私の場合、アナウンサーとして仕事をしていた7年ほどの間、自分らしさや個性、自らの意志を少しずつ削ぎ落としていたという感覚があって。いったん、そんな自分をリセットしたいという気持ちもありました。自分が本当にやりたいことは何か、一度テレビの世界を離れて勉強して見つけたいという気持ちがあったんです。

青山さんがかつて務めていたテレビ朝日の社屋
青山さんがかつて務めていたテレビ朝日の社屋
時事通信社

迷っていた自分に響いた、友人の“ある言葉”

キャリアチェンジに向けて踏み出したものの、決して迷いがなかったわけではない。しかしそんな時、友人の“ある言葉”が背中を押してくれたという。

放送局を離れてからもう4年以上経つので、当時を振り返える機会もそう多くないですが、もちろん迷いはありました。院試の準備をしていた時も、試験を受けるかどうかすごく悩んでいて。でもその時、友人に言われたんです。「何で受かってもいないのに悩んでるの?オプションを手にもしていないのに。選択肢を手にしてから悩みなよ」って。その言葉にハッとして。

いざ勉強して院試に受かったら、新たな道に挑戦する方向に自然と気持ちが向きました。初めの一歩を踏み出すまでは悩みましたが、新たな道を進み始めた今は、過去をあまり振り返らないようにしています。

UNHCRで渉外担当官として働く青山愛さん
UNHCRで渉外担当官として働く青山愛さん
Provided by UNHCR

「ロールモデルはいない」

キャリアを築く上で目標にしている存在はいるのだろうか。気になって聞いてみると、意外な言葉が返ってきた。

ロールモデルにしている人はいないです。憧れる人は沢山居て良いんじゃないかな思っていて、でも、必ずしも絶対にその人のようになる必要もない。自分は自分だし、誰かのようになるのではなく、色んな方の良いところを見て、自分の中に取り入れていけば良いんじゃないかと思っています。

青山さん自身は国連の組織で働くようになり、キャリアに対する感覚が大きく変わったと話す。30代の働く女性の1人として伝えたい思いもある。

女性はどんどんチャレンジするべきです。私が所属している今の部署は女性が多く、3人の子どもの子育てをしながらキャリアを築いて、国を転々としながら人道支援の現場に積極的に行く人もいます。そんな同僚を見ていたら、なんだか“限界”を感じないというか...。

「女性だからこれはできない」とか「女性だから諦めなきゃいけない」とか、もしかしたら日本にいる時には考えていたかもしれないことも、今の環境にいると考えないんです。自分のキャリアの可能性に何か蓋をするようなことも全くない。だから、日本でも多くの女性の皆さんが、障壁のない形で多様なキャリアを歩めるようになってほしい。それが珍しいことではなく、当たり前な社会になってほしいです。

閉会式前の集合写真(国際パラリンピック委員会IPC提供)
閉会式前の集合写真(国際パラリンピック委員会IPC提供)
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「あなたが戦わなかったら...」上司から言われたこと

このように力強く語るには理由があった。UNHCRのある女性の上司とのやりとりが印象的だったという。あるポジションに応募するか迷っていた時のことだ。

私は今の自分のスキルと経験だとやや合格するのは難しいかなと感じていて、応募をするか迷っていたのですが、上司である彼女はこう言いました。「絶対に応募するべき。あなたが応募することで、組織の中の若い女性が仕事の幅を広げていったり、キャリアアップしていくことに繋がるんだから、躊躇せずにチャレンジしなさい」と。この言葉にはとても勇気付けられましたね。

年間の給与が提示された際、自分としては特に疑問を持つことはなかったんです。するとそこに女性の同僚が来て、「統計的には男性のほうが多くの割合で給料交渉する。あなたがここで戦わなかったら、いつまで経っても男女の給料格差は変わらないんだからちゃんと自分の価値を交渉しなよ!」と言われて。「じゃあ私も...」ということで頑張って交渉してみたら、ちょっと上がったんです!(笑)

今いる環境は、常に「私なんか」ではなく「私だって」と思わせてくれます。自分ができることの幅を広げさせてくれる環境で働けているんだなと改めて思うと同時に、自分の可能性をもっと信じてみようという気持ちになれています。「ロールモデルはいない」と言いましたけど、本当に周りが自然と自分を引き上げてくれるというか、鼓舞してくれる。ある意味、たくましく、自分らしくキャリアを築き上げている人が身近に沢山いるからこそ、あえて1人のロールモデルを意識しないのかもしれないですね。

時には通訳機を使って選手をサポートすることもあるという(本人提供)
時には通訳機を使って選手をサポートすることもあるという(本人提供)
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キャリアのヒントにしている『ふしぎの国のアリス』

最近、気づきを与えてくれた映画がある。 ディズニーの『ふしぎの国のアリス』だ。この作品の中で、自身の悩みを包み込んでくれるような“ある言葉”に出会ったという。

そもそも私、あまり長いスパンで物事を計画するタイプではなくて。大きな夢に向かって突き進んでいる人もいますが、実は自分はまだ確固たるもの、自分だけの専門性を見つけられていません。国連の仕事は1年から3年ごとに次のポジションを獲得していかなければなりませんが、そうすると、その都度、自分はどんな仕事を、どこで、どういった形でしたいのか、考え、向き合わなければなりません。どの方向に進んでいけばいいのか、まるで自分を迷子のように感じる時も多いです。

『ふしぎの国のアリス』に登場するチェシャ猫というキャラクターが劇中でこんなことを言うんです。「もし行き先がわからなかったら、どんな道でも、そこへ連れて行ってくれるよ」って。この言葉は、本当にその通りかもしれないと思っています。

人生で成し遂げたいことがはっきりと見えている人は本当に一握りだと思います。でも、大きな目標をなかなか見つけられずにいたとしても、日々気持ちが動く方に、誠実に頑張っていれば、きっと自分が思い描いていたところにいつの間にたどり着くのかもしれないと考えるようにしました。

キャリアについて悩んだり、挑戦を躊躇してしまったりする人も多いと思いますが、そんな人にこそ、このキャラクターの言葉を贈りたいですね。

パラリンピックシンボルの前で(本人提供)
パラリンピックシンボルの前で(本人提供)
Provided by UNHCR

できれば「現場」に。思い描く今後

自国開催となった東京パラリンピックで難民をサポートをすることが一つの目標だったという青山さん。任務を終えてスイスへと戻り、日々の業務に取り組んでいる。最後に、今後実現してみたいことについて聞いた。

今はUNHCR本部で仕事をしていますが、できればもっと難民支援の「現場」に出ていきたいです。難民の方々と日々直接関わり合う中で自分にできることをしたいと思っています。

難民が「生きていくための支援」というのはもちろん何よりも大切ですが、さらにその先の「人生をどのように豊かに生きるか」ということも同じように重要だと感じます。

その意味では、教育や雇用へのアクセスもそうですし、コミュニティを見つけるのも大事。彼らが豊かに生きていくために必要なものは何かをもっと考えて仕事をしていきたいですね。

現在の仕事について話す青山さんの表情は、充実感に満ちているように見えた。

(文・取材/小笠原 遥

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