外見にとらわれるこの世界で、私たちは外見で良し悪しを決めてしまいがちだ。私自身も長い間、典型的な美の基準を当たり前のものとして受け入れてきた。
それが突然変わったのは2019年。25歳で、脳腫瘍を取り除く手術を受けた後だった。私は手術中に脳卒中を起こし、人生が一夜にして一変した。歩くことも書くこともできなくなり、常に世界が動いているように感じた。
神経を損傷したことが原因で、顔の右側が麻痺し、目を覚ました時にはすべてが変わっていた。
一番変化したのは、私の世界に対する考えと、世界が私を見る目、そして私を扱う態度だった。これから先の不確かな人生と、長く苦しい道のりを考えて、私はぼう然とした。

イギリス初の笑顔再建手術を受ける
私は2020年に、イギリス初となる「笑顔再建手術」を受けた。
右ふくらはぎの神経と血管を上唇に移植して、麻痺した顔の片側を動かせるようにするという先駆的な医療技術だったが、結果はすぐには出なかった。
笑顔を作り咬筋を動かせるようになるまで、3年の理学療法が必要だったが、徐々に顔の右側に一部の表情が戻ってきた。
顔が麻痺した直後、私はありのままの自分を受け入れるのが難しくなっていた。
SNSに溢れる非現実的な美の基準の中で葛藤し、世の中の基準から外れた外見は隠すべきだ、違いをできるだけ小さく見せるべきだという暗黙のプレッシャーを感じていた。
だから笑顔再建手術で「違い」が消えてほしいと願っていた。
しかし違いが完全には消えることはなく、顔に麻痺の跡が残った。
ただ、今になって考えてみると、私はその違いをプラスに捉えることができたと思う。
そうできたのは、周りとの違いを、経験から得た「強さ」や「レジリエンス(困難から回復する力)」、「自分を受け入れたこと」の証だと考えられるようになったからだ。

変化した外見と世間の反応
手術前の私の外見は、社会から受け入れられるものだった。自分の外見の価値を疑ったことはなかった。
しかし25歳で周りと見た目が違うようになってから、すべてが変わった。
突然、好奇の視線にさらされ、陰でこそこそ外見について言われるようになった。私は伝統的な美の基準の定義から外れてしまった現実に直面した。
街を歩くだけでじろじろ見られ、なんで口が歪んでいるのと聞かれるようになった。この社会で外見がどれほど重視されているかを痛感した。
以前は当たり前だった人との交流や、新しい人との出会いが、外見が変わってからは難しくなった。
周囲の人たちが、私の外見について何と言っていいのかわからずに居心地悪く感じているのもわかった。避けられているなとよく感じた。
新しい外見と自分の意識が一致しないことにも苦しんだ。
内面はこれまでと変わらない自分なのに、見たことのない檻に閉じ込められているような感覚を覚えた。
昔の自分の姿を失ったことを嘆き、その外見に感謝していなかったことに気づき、不安と闘い、自信を喪失した。
自分が「インスタ世代」だったことも、不安や不幸に拍車をかけた。SNSの非現実的な美の基準に合わせなければならないという大きなプレッシャーを感じた。
インスタグラムには常に、完璧な顔や人生の画像が流れてきた。同世代が旅行を楽しみ、婚約し、家を購入しているのを見て、当時の私には叶えられないことだと感じた。写真を見るたびに自信を失い、自分を受け入れるのが難しくなった。
あの頃は、SNSで目にする幸せな人生は外見次第だと思い込み、自分には手に届かない夢だと感じていた。
画面をスクロールするたび、SNSの完璧な姿と自分との違いを思い知らされた。
他人と自分を比べて、周りと違うのはよくないことだと決めつけていた。一人ひとりの人生は違うものだと考えることができなかった。
自分は劣っているんだと思い込み、人生を諦めていた。
人生で見つけた希望
人生を諦めていた私が、数年かけて見つけた小さな希望がある。それは不完全さの中に宿る美しさだ。
手術後の最初の2年間は、歩いたり、字を書いたり、バランスを取ったりする練習に集中して、周りとの「違い」についてじっくり考える余裕がなかった。
私は、違いを隠そうとしていた。コロナ禍のマスクも、違いを隠す助けになった。
しかし、自分を責め、うつ状態になり、外見や運命は自分で変えられないと思い続けた後、私は「自分がどう反応するかは、100%自分で決められるんだ」と気づいた。
起きた出来事は変えられない。だけど自分の価値を定義し、人生をどんな物語にするかは選べる。その力があるのは私自身だけなんだ。そう考えるようになった。
外見が変わったことで、幸せな人生を送れなくなったわけではなかった。自分自身が、諦めることを選択していたのだ。
外見に人生を支配させない。そう決めた瞬間、私は解放された。

とはいえ、自分を受け入れるのには時間がかかった。
まず、考え方を変える必要があった。他の人からの承認を求めるのをやめ、自分の「違い」を受け入れなければならなかった。
昔の姿を懐かしむのではなく、違いの中にある美しさを祝うことにした。
自分の価値を決めるのは社会の基準ではなく、人柄や他者への優しさ、レジリエンスなんだ、と自分に言い聞かせた。
誰かの言葉に傷ついたときは、自分の見た目は、命を救ってくれた手術の結果だと思い出すようにした。
一番力になったのは、否定的な言葉に振り回されるのをやめるという決断だった。
周りにどう思われているのかをやめ、他者のネガティブな言葉を事実ではないと捉えられるようになると、安堵感を得られた。
否定的な言葉は「見た目が違うから興味本位で言っている」もしくは「その人の不安や劣等感の裏返し」であって、自分の価値を反映するものではないと考えるようになった。
その一方で、ありのままの自分を受け入れるというのは波のようなもので、外見に苦しむ日があってもいいということも学んだ。
違いに苦しんだ後に手に入れたもの
多く人は、失ったものや他者の持っているものを手に入れたいと思うものだ。
容姿を加工するフィルターやAIツールを使うのが当たり前の社会では、完璧でなければ美しくないという有害な考えが蔓延している。だけど、私たちがSNSで見ているほとんどは、生活のハイライトの一部だ。実際には困難を抱えていても、それを知ることはほとんどない。
その結果、自分が劣っていると感じ、修正されたSNSの画像にどれだけ似ているかで、自分の価値が決まってしまうかのように感じてしまう。
自分と誰かを比較する時、私たちは自分に欠けているものに注目してしまいがちだ。
だから私は、自分の外見とは関係のない、強みや功績のリストを作ることにした。
この先、どんな生活が待ち受けているのか、恋人はできるだろうか。そんな将来についてのネガティブな考え方に立ち向かい、自分の価値を決めるのは見た目ではないと考えるようにした。
そうすることで、外見の評価よりも内面がはるかに重要だと気づいた。見た目の違いが、自分の可能性を決めるわけではないと感じられるようになった。
自信がつくにつれて、人生を受け入れられるようになった。不安の陰に隠れて生きるのをやめ、一人旅を再開し、新たなチャレンジをして、安全地帯から踏み出すようになった。
歩けなかった私が10キロのレースに挑戦し、立てなかった私がパドルボードを始めた。視覚に障害が生じたためにキャリアを転向せざるをえなかった経験をもとに、逆境を乗り越えるのを助けるビジネスを立ち上げた。
手術の後の新しい出会いから、生涯の友ができた。ボランティアで小さな子どもたちと接したり、学校で講演したりするような、外見について色々言われやすいことにも積極的に取り組むようになった。
その一つ一つの達成が私の自尊心を高め、新たな冒険を通して、やると決めたことは何でも成し遂げられると学んだ。
再び他者に心を開く中で、人とのつながりの素晴らしさに気づいた。誰もが、自分の物語や欠点と受け止められているもの、不安を抱えていると知った。

「違い」を受け入れるという人生の旅は、挑戦や勝利、果てしない自己発見に満ちていた。その旅を通して、私は自由を感じた。
苦しい時は一瞬一瞬が耐えられず、早く終わってほしいと願うものだ。しかし、人間は困難を通じて形作られるということを知った。痛みは、その意味を理解した時に無駄にはならない。
私は、自分を受け入れ、自信をつけることで、違いを祝う方法を学び、ネガティブなコメントで自分を定義するのをやめられた。
自分を躊躇なく受け入れ、人生で何が起きようと立ち向かう覚悟を持つことができた。
手術から目覚めて未来が見通せなかったあの時だって、 人生が終わったわけではなかったのだ――ただ、新しい生き方を見つければよかった。
見た目や欠点と捉えられるものが何であれ、あなたの「違い」は強さになる。私たち一人一人は、そのままで愛され、受け入れられる価値がある。
フィルターや修正ツールで、本当の姿が隠されがちな世界だからこそ、社会が作った基準に挑戦し、自分の基準で美しさを決めることがこれまで以上に重要だと思う。
私の場合は、本当の美しさというのは見た目ではなく、強さやレジリエンス、誠実さに宿るのだと気づいた。それを気づかせてくれたのは外見の違いだった。
他の誰かに、あなたの輝きを曇らせたり、光を弱めたりさせないでほしい。あなたは、あなたのままで十分だから。
筆者:サミー・テイラー。ライター、スピーカー。ウェブサイト www.beautybrainuk.comの設立者。困難を乗り越える人に、レジリエンス(回復力)や自信、自己受容のためのツールを提供し、サポートすることをミッションに活動している。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。
