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2021年04月15日 12時44分 JST | 更新 2021年04月15日 13時35分 JST

タイタニック沈没から109年。細野晴臣さんの祖父が生還後に受けたバッシングとは?

男性乗客の細野正文氏が救命ボートに乗ったことを、新渡戸稲造氏は「マンマと一命を全うした」と非難。当時の状況を振り返ります。

『冒険世界』1912年7月号 /The Times Dispatch 1912年4月16日付
細野正文氏とタイタニック号(当時の雑誌・新聞より)

豪華客船「タイタニック」が沈没してから、2021年4月15日で109年目を迎えた。タイタニックに乗船していた唯一の日本人は、ミュージシャンの細野晴臣さんの祖父だった。しかし、帰国した彼を待っていたのは世間のバッシングだった。何が起きたのかを振り返ろう。

 

■ヨーロッパ視察中の鉄道職員だった

『冒険世界』1912年7月号
細野正文氏が生還当時、雑誌に寄稿した手記より

晴臣さんの祖父である細野正文(ほその・まさぶみ)氏は、当時、41歳。鉄道院(現在のJR)の中堅職員だった。1910年に、鉄道院の第1回海外留学生として、ロシア・ドイツ・フランスの鉄道事情を視察していた。イギリスからアメリカ経由で帰国する予定で、当時話題だった新造船「タイタニック号」の1912年4月の初航海に乗り合わせていた。

タイタニックの乗客乗員は2224人だったが救命ボートが足りず、1513人の犠牲者を出した。細野氏は10号ボートに乗って生還を果たした。当時の様子を日記に記している。

<ボートが順次に下りて最後のボートも乗せ終わりし即に下ること数尺、時に指揮員人数を数え今二人と叫ぶ其声と共に一男子飛び込む。余は最早船と運命を共にするの外なく最愛の妻子を見ることも出来ざることも覚悟しつつ凄愴の思いに耽りしに今一人飛ぶのを見て責めて此の機にてもと短銃に打たるる覚悟にて数尺したなる船に飛び込む。幸なる哉、指揮者他の事に取紛れ深く注意を払わず且暗き故男女の様子も分らざりしならんか、飛込むと共にボートはするすると下りて海に浮ぶ。(「タイタニック引上げ品展」のパンフレットより)>

帰国当初は「奇跡の生還を果たした日本人」として歓迎ムードが強かったようだ。しかし、タイタニックでは女性と子どもを優先して救命ボートに乗せていたという事実が広まってくると、細野氏へのバッシングが強まっていたとみられている。

 

■二等船客の男性生還率は、わずか8%

The Times Dispatch
タイタニック沈没を伝える記事。1912年4月16日付「The Times Dispatch newspaper 」より

『タイタニックがわかる本 改訂増補版』(成山堂書店)によると、タイタニックの男性乗客で生き残ったのは146人(全体の18%)だったが、その中には細野氏と同じように、ボートに飛び乗って助かった人も多かった。女性と児童が優先、残った男性は1等船客が優先された。そのためか、細野氏と同じ二等船客の男性生還者はわずか14人(全体の8%)と飛びぬけて少なかった。

タイタニックで救命ボートに乗らずに死んだ男性は「極限状態でもレディーファーストを貫いた」として、美談にされた。それと対比して、生き残った男性が卑怯者扱いされる傾向が、世界中で起きていた。タイタニック号の船主だったブルース・イズメイらも生還したことが理由で非難されている。

<日ならずしてイズメイは物笑いの種になった。一年たたないうちにある高名な生存者は噂によって夫を離婚したが、それはただ、彼がたまたま助かったからだというのが原因である。(ちくま文庫『タイタニック号の最期』より)>

 

■新渡戸稲造氏は「マンマと一命を全うした」と非難

『義勇青年』1916年3月号
新渡戸稲造氏が細野氏を批判したインタビュー記事

こうして細野氏もバッシングを受けることになった。批判者の一人は、旧五千円札でも知られている「武士道」の研究者である新渡戸稲造氏だ。少年雑誌『義勇青年』でインタビューした際の記事が残されている。その中で、細野氏を名指しはしないものの「マンマと一命を全うした」と痛烈に非難していた。

『イヤ、当人は、何も悪い考でやった事ではあかろうが、丁度その時・・・・妻は夫の為めに、夫は妻の為めに、役員は職務の為めに、各其本分を守って死なば諸共と、悠容死を待って居た時今しも本船を離れんとする女のボートに向かってヒラリと飛び下りた男があるんだ巧く考えたので、ボートが離れるという瞬間に飛び込んだのだから、人人は止めることも出来ない。ボートの方でも追い上るわけにもゆかず、其人はマンマと一命を全うしたのだが、此一人の男というのは、当時タイタニックに乗り込んで居た・・・・たった一人の日本人であったのでね、勿論、その人は鉄道院かの役人だから責任を重んじて助かったのだろうが、何でも、其人は帰って来てから休職になったようには聞いて居る・・・・』(『義勇青年』1916年3月号)

こうした祖父へのバッシングについて細野氏の孫である細野悠理子さんは2006年当時、私の取材に悔しさを滲ませていた。

「船長のスミスさんは、船の運命を共にしたということで、大抵は褒めて書いてあるんですが、私はそうは思いません。船を沈没させた責任があるのは、彼や船主のイズメイさんだからです。なぜ被害者であるはずの末端の一乗客が、助かったからといって非難されなければいけないんでしょうか?