みんなに知ってほしい!障害のある子の就学事情~合理的配慮とインクルーシブ教育

障害の有無で分け隔てられた学校では、障害のある子どもや人に「慣れた」人は育ちません。

新たな年がスタートした1月は、4月に新たに小学校・中学校へ入学されるお子さんのいる家庭に向け、お子さんの名前と入学する学校名、入学式期日を明記した「就学通知書」を送る教育委員会が少なくありません。

自治体によっては、すでに発送しているところもありますが、いずれにしても、1月31日までに、各教育委員会は保護者に対して就学通知を発送しなくてはなりません。(学校教育法施行令第5条第1項及び第2項)

そもそも、学校教育法施行令の一部が改正(H25年8月26日)され、就学先の決定プロセスが変わりました。就学先の決定に際しては、「本人・保護者の意見を最大限尊重する」ような制度となりました。

障害がある等で就学相談を受けた折に、教育委員会が子どもの就学先として適当だと考え情報提供してくる学校と、本人・保護者の意向が異なる場合があります。その時には、教育委員会は「本人・保護者の意見を最大限尊重する」のが今の流れです。

かつては、教育委員会と保護者の意見が異なっているときには、3月に入っても就学通知を発送せず、保護者とまるで根くらべをするような教育委員会があり、保護者を苦しめてきました。

現状でも、法改正を理解できていないのか、保護者が、〇〇学校の通常学級、特別支援学級、もしくは特別支援学校等、子どもを入学させたい学校を教育委員会へ明確に伝えているにも関わらず、教育委員会が判断している就学先に進学するよう保護者を説得し続け、1月31日までに本来出すべき就学通知を出さない、まさに意地悪ともいえる就学事務を行う教育委員会もまだまだあるのが、残念ながら現実です。

そうした現実は、法律等に照らし合わせれば、障害を理由とする「差別」に相当する事例になり得ると考えられます。

1月31日までに就学通知を受け取ることができないときには、教育委員会が就学事務の手続きを理解できておらず、適切な手続きをしていない可能性があります。そのときにはぜひ、教育委員会に尋ねてみてください。「本人・保護者の意見を最大限に尊重することはしないのですか?」と。

障害のある子どもを育てる家庭にとって、就学通知を受け取るまでは心身ともに疲労が重なる時間とも言えます。

障害のある子の就学に関して、教育委員会が子どもに適当と考える就学先と、本人・保護者が考える就学先が一致してないケースでは、「お子さんのためには・・・」という枕ことばに続き、「公立の小中学校の先生は特別支援学級でも専門家ではないので十分な対応ができないかもしれません。その点、特別支援学校なら安心して通わせられることができるのでは?」「身体障害のお子さんがエレベーターのない学校では、1,2年生の頃はいいけれど、高学年になったら誰が支えるのですか、危ない。たたでさえ特別支援学級は手厚い支援がついているのに、さらに加配とかつけたら、いったいいくらかかると思いますか、税金なんですよ」と言われるなど、障害のない子の入学ではありえない辛い時間を経験することにもなります。

保護者にとってそうした就学先決定までの時間は、障害のある子を育てていくにあたっての拠り所、頼みの綱になると思っていた教育委員会が、実は、障害の有無にかかわらず共に教育を受けられることを目指すのは建前にすぎず、障害の有無で分離していくことや、本人・保護者の意向ではなく教育委員会の思い通りにしてもらいたいとの本音が透けて感じられる時間とも言えます

障害のある我が子が、ただ当たり前に地域で学ぶことを願うことや、保護者が思う選択をすることが、とてつもなく「わがままな希望だ」と教育委員会から突き付けられると同時に、障害のある子どもを育てることの大変さの一端が、教育委員会等の社会環境によって生じることを痛感していきます。

障害の有無にかかわらず共に学校生活を過ごすことは、障害のない子どもたちにとっても、障害のある子がどのように支援・配慮をすれば学びや参加ができるのか知る機会になります。今の大人たちが発する「障害のある人とどう接すればいいのかわからない」「怖い」という声が多い現実は、教育委員会が「お子さんのためには...」と、地域の学校から障害のある子を排除してきた結果です。

本人・保護者の意見を最大限尊重して就学先を決めていくというルールを、教育委員会は徹底してほしいと強く思います。

しかし、就学先が決まっても、それで終わりではないのが辛いところです。

学校で、我が子の合理的配慮をどのようにしていくか、しっかりと要望していくことが重要になります。

合理的配慮は、「障害者が受ける制限は、障害のみに起因するものではなく、社会における様々な障壁と相対することによって生ずるもの」という、いわゆる「社会モデル」の考え方を踏まえたものです。

中学校の定期試験など、合理的配慮をどのように受けていくかは、高校入試でも同様の配慮を求めることができます。時間延長や、質問の回答を記述式から四択等の選択式にしてもらうなど、個々に応じた様々なことが合理的配慮としてあります。

日頃の授業でのタブレットの使用や、デジタルカメラで黒板や連絡事項を撮影する、作文・レポートはパソコンで作成、教材の文字を拡大する等、様々な合理的配慮があります。

内閣府 合理的配慮等具体例データ集 合理的配慮サーチ https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/jirei/index_kyouiku.html

学校の合理的配慮は、個々に応じて他の子どもと同様に教育を受けられるようするもので「お子さんだけ特別なことはできません」と言われても、その先生が合理的配慮を理解できていないだけです。障害者差別解消法では「過重な負担がないのに合理的配慮を提供しないことは"差別"にあたる」と定義していますので、合理的配慮を提供しないままの指導はお子さんを「差別している指導」という指摘を校長や教育委員会に伝え、改善を求めることができます。

4月からの就学に備えて、現在通っている保育園・幼稚園、小学校のお子さんのことをよく知る先生たちに相談して、今なされている合理的配慮や、これからあると楽しく学べて、学校を楽しめるようになっていく合理的配慮にはどのようなことがあるかを聞かれて、それを就学先の学校に要望されていくと、より実践的で良い効果を上げやすいです。もちろん、今の子どもが過ごす保育園・幼稚園、学校での時間でも、継続的に合理的配慮を求めていくことも大事です。

合理的配慮の実例をひとつご紹介します。

通常級に通う配慮が必要なお子さんがいます。黒板に書かれていることを書き取ることが苦手で、毎日の帰りの会が苦痛でした。そこで、親御さんは知恵を絞ります。「この子はキノコが大好きだから、それを生かせないだろうか...」 そうして実際に作った「明日のじゅぎょうシート」が下の写真です。各授業科目をキノコに置き換えたのです。学校はこれをお子さんの合理的配慮として取り入れ、お子さんは毎日喜んでこれを使っているそうです。

明日のじゅぎょう
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明日のじゅぎょう

他の子どもたちと共に過ごす毎日。明日を楽しみに眠りにつく日々を作り上げていくために、子ども一人ひとりに応じた合理的配慮の提供が充実していくことを切に願います。

学校は子どもにとっての社会であり日常です。障害の有無で分け隔てられた学校では、障害のある子どもや人に「慣れた」人は育ちません。障害のある子の家族は、一緒に過ごす時間が長いことで、「障害がある」ことがどういうことなのか、恐れる存在ではないことがわかっていくのです。つまり、障害を理解するには、共に過ごす時間が無くてはあり得ないのです。いくら障害の理解啓発の講演会やセミナーを開き、冊子を配布してキャンペーンを行ったところで、具体的な環境が日常になければ「いっしょにいて当たり前」という感覚は育まれるものではないのです。

世の中には障害のある人だけの街などありません。障害のある人がいない街もありません。街には、障害の有無だけでなく、乳幼児から高齢者まで、様々な人々が様々な不安や痛み、生きづらさを抱え、支援や配慮を必要としながら暮らしています。

子どもは、障害に限らず、親子関係や経済状態等、様々な家庭環境の子や、学校へ馴染めなくなってしまう子など、様々な子どもたちと共に場や時間を共有して過ごすことで、人が人を思い寄り添う、人が共に生きていく上で大切な「想像する力」を養っていきます。人間の多様性を理解し、尊重し合う力を育てることでもあります。

障害のある子が障害のない子たちの中で当たり前に過ごす日常としての学校で、先生たちがその子に応じた合理的配慮を工夫し提供していく。そういった支援をしている背中を見せていくことは、障害のない子どもたちの成長にもかけがえのない時間になるはずです。

外国にルーツのある人々の増加等、今後ますます多様化していく日本社会で、誰もが暮らしやすい共生社会を創り支えていく子どもたちの原体験の場として、学校が果たす役割はとても大きなものです。私たち大人はそのことをあらためて強く認識し、応援していく存在にならなければならないと思っています。

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