「ここに人がいた証を残したい」。福島県浪江町立請戸小、震災当時6年生の思い

「震災で起こったことを、ここに人がいたことを忘れてはいけないと思うんです」

福島県浪江町請戸は、東日本大震災の津波と東京電力福島第一原発事故の二重の被害を受けた地区です。あの日から5年5か月、変わり果てた地区の風化を防ぎたいと、震災当時の6年生が壊れた請戸小の校舎の保存を訴えました。

津波被害を受けた請戸小で震災前の学校のようすを説明する横山和佳奈さん=8月10日、福島県浪江町、どれも猪野元健撮影

請戸小の1階。200メートル先の海岸から津波が押し寄せました=福島県浪江町

「ここは子どもたちの畑になっていたんですよね。好きな野菜を育て、収穫して食べていました」。

8月10日、高校3年の横山和佳奈さん(郡山市)は、東京の大学生ら約20人を前に震災前の学校を振り返りました。現在の校舎は窓が割れ、天井はむき出し、床が抜けた体育館は鳥のすみかになっています。畑だったという場所は雑草が生い茂っていますが、震災前までは子どもたちの声が響くにぎやかな場所だったといいます。

地震発生後の学校の様子や原発事故による被害のことも説明しました。子どもたちは山に向かって逃げて無事だったこと、自分の家が流されたこと、強かった地域の絆が裂かれたこと――。請戸小での案内を終えると、高台に場所を移して請戸地区をながめました。津波でほぼすべての建物が流出した地区に請戸小がぽつんと立ち、工事関係者以外の人の気配は感じられませんでした。

横山さんは「学校までなくなったら、請戸に人がいたということがわからなくなりませんか」と問いました。

津波におそわれた校舎の1階部分を見る横山さん=福島県浪江町

高台からのぞむ請戸地区。手前は東京から訪れた大学生ら。奥の方に見える建物が請戸小=福島県浪江町

海側から見た請戸地区。ごく一部の建物しか残っていません。中央の重機の奥にあるのが請戸小=福島県浪江町

請戸地区は、2011年3月の大津波で壊滅的な被害を受けました。請戸小は1階の天井まで津波が押し寄せましたが、校舎にいた児童計80人は教職員とともに迅速に山へと避難し全員無事でした。原発事故により町は現在も避難区域に指定され、全町民が全国各地にちりぢりになっています。

横山さんは、震災当時19人いた請戸小6年の一人です。自宅が流され、祖父母が犠牲になりました。請戸地区の伝統芸能「田植踊り」を続けて県内外で披露するなど、ふるさとへの強い思いを持っています。今は受験生で、被災者に寄り添える人材になることを目標に心理学が学べる大学の受験を考えています。

請戸地区の案内は、福島の復興支援を続ける東京のNPO法人「団塊のノーブレス・オブリージュ」から依頼され、「風化を防ぐことに役立つなら」と引き受けました。一緒に参加した請戸小元教員の佐藤信一さんとともに、請戸小や子どもたちが実際に避難したルートなどを回りました。翌日には同NPO主催の請戸小関係者によるパネルディスカッションが開かれ、横山さんは「少しでもいいので請戸のことを他の人に伝えほしい」と訴えました。

津波が到達した時刻で止まっている請戸小の時計=福島県浪江町

請戸小元教員の佐藤信一さん(中央)も請戸地区の案内人を務めました=福島県浪江町

請戸小関係者によるパネルディスカッションに参加した横山さん(左から3人目)=福島県伊達市

震災後、横山さんが請戸小を訪れたのは3回目で、案内役を務めたのは初めてでした。「にごったプールに生きものがいて、椅子が沈んでいた。ここに来るたびに新しいおどろきがあり、なつかしさもあります。(立ち入りが危険だとして)校舎の中に入れなかったのは残念でした」。

震災の風化を心配しているのは、津波で街は壊滅的な被害を受け、放射線の影響で住むこともできなくなったためです。請戸小の校舎が、津波災害と原発事故の教訓、そして請戸地区の人々の生活の歴史を伝えるシンボルになると期待しています。

「最終的には校舎に当時の写真をはるなどして残してもらえるとうれしいです。最悪、観光地みたいな場所にもなってもいい。私が請戸のことを忘れちゃえば、今いる土地の人間として暮らすことはできると思います。でも、震災で起こったことを、ここに人がいたことを忘れてはいけないと思うんです」。

案内の途中、請戸の海岸を訪れた横山さん。「海は今も大好きです」=福島県浪江町

請戸小の運動場は護岸工事に使われるブロックで埋め尽くされています=福島県浪江町

請戸地区の平日は復旧工事のトラックや重機の音がしますが、週末は静かになります=福島県浪江町

風化を防ぐために校舎を保存してほしいと考えている人は少なくありません。伊達市内で開かれた請戸小関係者によるパネルディスカッションでは、横山さんとともに参加した同級生の玉野紘成君(相馬市)も「何も残らないというのは一番寂しい。校舎は請戸っていう町があったんだという証になる」と話しました。

去年9月に復興庁や浪江町が実施した「浪江町住民意向調査」では、震災遺構としてのぞましい施設について644世帯から回答があり、請戸小学校が最も多い393件、2位の「マリンパークなみえ」が111件でした。

町は今年2月、請戸小のはげましの言葉がよせられた黒板などを保存するため、校舎から運び出して別の小学校に移しました。しかし、校舎を保存するかどうかは決まっていません。教育委員会の担当者は「震災の爪痕を残す建物として保存が必要という声があることは認識している」と話しますが、避難者の生活の復興を優先するため、校舎の保存の検討までには手が回っていない状況だといいます。

請戸小は現在、「休校状態」で、児童数はゼロ。校舎の損傷が激しいため、中への立ち入りは禁止されています。保存か解体かの議論が進まず、補修も行われていないため、地域の記憶とともに校舎自体の風化も日に日に進んでいます。

パネルディスカッションで請戸への思いを語る横山さんの同級生の玉野紘成君(左から2番目)=福島県伊達市

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