政治の話に抵抗がある若者に、立命館大・富永京子さんが伝えたいこと 「私が投票に行くようになった理由」

「投票しない」のは「中立」なのでしょうか? 参院選は7月21日が投票日です。
立命館大学准教授の富永京子さん
立命館大学准教授の富永京子さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN

「偏っている」って言われるのが、怖い。

だから、「政治」の話や、何かに「意見」を言うことには抵抗があるーー。

そう感じたことがある人は少なくないのではないでしょうか。

私たちはどうして、意思を表明することに戸惑ってしまうのでしょうか。

主張することをためらいがちな中高生の心理を考えた『みんなの「わがまま」入門』(左右社)の筆者で、社会運動を研究する立命館大学准教授の富永京子さんと考えました。

今月は参議院選挙もあります。7月4日公示、同月21日が投票日です。

政治を遠く感じている若い世代の方もいるかもしれません。

しかし富永さんは、「個人的体験と政治を結びつける水路を見つけられれば、投票に至るハードルも少しは低くなるのかな」と感じていると話します。

■「投票しない」のが「中立」だと思っていた。

ーーズバリですが、若い世代に「投票は行った方がいい」と富永さんは言いますか?

実は、私は20代前半のころ、投票に行かなかったんです。

少し選挙運動にかかわっていたこともあり、候補者が当選・落選する瞬間を見てきました。「自分が投票した以外の人を『無職』にしてしまう可能性がある」と思ったら、怖くなってしまって。

少し特殊な経験かもしれませんが、そういった「自分の投票が過剰に意味を持ったら、マジでどうしよう」という感覚は今の20歳前後にもあると思います。「政治のことをよく分かっていないのに、投票していいのか?」という感覚もあいまって、投票を回避する傾向につながることもあるでしょう。

なぜ私が選挙に行くようになったかというと、在日外国人の先輩に何気なく、「今日は選挙ですね。投票行きます?」と聞いたら、「俺そもそも投票権ないよ」と言われて。

私は「投票しない」ということで、中立で、自分は何も影響を及ぼさないでいられると思っていた。

ただ、それがすでに選択しているということ。その選択だって、ある候補者を無職にすることに加担しているともいえるし、自分が持っている権利を放棄しちゃってる。

結局、「投票しない」ことが中立とは限らない。どっちを選んだって偏るし、選ばなくたって偏る。だったら、できる範囲でいいから候補者の訴える政策などを調べてみて、「自分の好きな偏り」を見つけてみようと提案したいですね。

■「偏る」のが怖い。「無色透明」が「何となくいいもの」とされる

立命館大学准教授の富永京子さん
立命館大学准教授の富永京子さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN

ーー「偏る」のが怖いという感覚は私たちの中に根強くあると思います。「中立」であることが、人間関係をスムーズにするコツのように感じます。

無色透明な個人が「普通」で、何となくいいものだとされていますよね。日本社会にはまだまだ「ふつう幻想」があり、そこから逸脱することを「わがまま」や「偏り」として排除する空気があります。

ーー「ふつう幻想」とは?

「こういう人が普通です」という「像」でしょうか。

おそらく今の日本の「ふつうの高校生」だと、「『ふつうの人』は異性愛者。親は日本人で、男女1人ずつ。父親の単身赴任などもあるかもしれないが、基本的には核家族。学費や生活費は親から出してもらっていて、全日制の学校に通っていて……」。そういったものを「ふつう幻想」と私は呼んでいます。

人々の多様性が顕在化するにつれて、そうした「ふつう」はどんどん薄れているはずなんだけど、まだまだ私たちは強固にその像をもち続けている。

ーー著書の中で、学校のクラスの中には多様な背景を持つ人がいるのに、それにお互い気がつきにくいという趣旨のことを書かれていました。

同じように授業を受けている学生さんや生徒さんでも、実は非常に多様です。異性愛者でない人もいれば、海外にルーツがあったり、ひとり親世帯の方もいるし、生活費の多くを自分で稼いでいる人もいれば、かなり生活に余裕がある人もいる。

でも、お互いに自分が「ふつうでない」と認識している要素に関しては、よほど仲良くならないと言わない。

自分がかわいそうだ、あるいは自慢していると思われるのが嫌だから言わないのかと思っていたのですが、その背後には彼らのやさしさみたいなものがある。「なぜ言わないの?」と聞くと、「友達や周囲に気を遣わせたくない」と説明する人が多かった。「ふつうでない」要素を開示することで、コミュニケーションにさざ波が立つように感じている。

そんなお互いのちょっとした我慢が、結果として「ふつう幻想」を強化することになっていると感じています。

■「ふつう幻想」を維持する危うさ

富永京子『みんなの「わがまま」入門』
富永京子『みんなの「わがまま」入門』
左右社

ーー自分のマイノリティー性や困り事を隠していたら、未来の社会をより良い方向に変えるきっかけも失ってしまうように感じるのですが。

日々のコミュニケーションの中で無理に自己開示する必要はないし、「誰がマイノリティーだ」と特定する必要も全くありません。データに触れて、多様な人がいることを理解するというのでも十分だと思います。

著書の中で、「日本が30人の教室だとしたら」という切り口で、「ひとり親世帯の人は2人」「外国籍の人は1人」「LGBTの人は3人」などとデータで示したことに対し、中高生から「分かりやすい」という声が寄せられました。

そういった多様さが自分の周囲にもあるんだ、と理解した時に、「ふつう」を維持することには危うさもあると気がつくでしょう。

旧来の日本の家族観や働き方も、私たちがコミュニケーションを通じて維持している「ふつう」の延長線上にある。それは今の時代に合わない部分があるわけで、「ふつう」の裏に潜む多様さに目を向けないと、そういったシステムもまた「ふつう」のものとして保たれていく可能性があるわけですよね。

ーーしかし、理不尽な校則がある学校もありますし、意見を言ってクラスで「浮く」のも怖い。「我慢」することを学校で覚え、大人になっていきます。

生活をスムーズにするための「校則」や「しきたり」があるのは分かるんですよ。でも、それらは時代遅れな部分もあれば、現代社会の多様性に沿った形ではないこともある。ルールに従うことに慣れすぎると、それに疑問を投げかけることもなくなり、自分の自由が制限されることに気がつかなくなってしまうかもしれない。

もちろん、既存のルールや慣習に対して意見を言うことは、ともすると周りから「わがまま」と思われてしまうわけだから、簡単ではない。

だから、「この校則おかしくない?」と思ったら、いきなり「校則おかしい!変えてください!」とみんなの前や生徒総会で言う必要はなくて、友達や親しい先生にちょっとおしゃべりしてみるとかでいいと思うんです。その中で深く共感してくれる人がいたり、多くの人が支持してくれたりしそうなら、もっと偉い先生に言ってみるとか、生徒会に投げかけるとかすればいい。

じわじわっとやっていくのが大事かなと思います。最初から声を上げられる強い個人なんて、そういないですよ。

■モヤモヤを口にしてみた⇒「私も思ってた!」

立命館大学准教授の富永京子さん
立命館大学准教授の富永京子さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN
ーー口に出してみたら、「みんなも思ってた」ということはありますよね。

そうです。新社会人になった人から聞いた話なのですが、会社に理不尽な上司がいて、その新社会人が上司に「キレて」しまった。やっちまったな~と思っていたら、周りが「私も思っていた」ってみんなで応援してくれたそうです。

日本人は理不尽を感じた時に「自分の責任」だとして抱え込みますよね。「適応できないのは私が逸脱してるんだ」と思ってしまう。

でも、自分の悩みは、みんなのモヤモヤってことはあるし、それらは社会や組織の歪みを反映している。どんなに小さいコンプレックスやモヤモヤも、社会とつながっていると思います。

ある飲み会で、男性の学生が「異性から『かわいい』と言われることが、なめられているようで嫌なんです」と話していました。その言葉を言った側にどのような意図があるのかは分からないけれど、なんとなく嫌だという。

そうしたモヤモヤが何に起因しているのか話すことで、自分たちが内面化している、男らしさや「かわいい」という言葉の意味について考えることができる。

言葉にし、対話し、深堀りし、共通化していくためにも、モヤモヤをこっそりとでも打ち明けていく、という経験も必要ではないでしょうか。

■「まつ毛を上げて出られる」別の居場所を見つける

ーーとはいえ、やっぱり「私はこれが嫌だ、モヤモヤする」と主張する事は、揶揄されそうで怖いと感じる人は多いと思います。

一挙手一投足に気を使わざるを得ないような状況で暮らす人たちに、「そんなの気にせず声を上げろ!」とは、私はどうしても言いたくないです。それは大人も若い人も一緒でしょう。ママ友であれクラスメートであれ、相互監視が厳しいコミュニティーの中で声を上げるのは難しいと思います。

ではどうすればいいかというと、居場所を増やすことを提案したいです。

ここで嫌われたり、浮いてしまったりしても、別に居場所があると思えば、少しは意見を言うことも怖くなくなるのではないでしょうか。

中高生なら塾や習い事が居場所になりうるし、大人ならオンラインコミュニティーやカルチャースクールでもいい。

学校など、所属するコミュニティーの中で「キャラを全うしなければいけない」と感じている人は多いと感じます。多分それが、意見を言えないことにもつながっている。実際声を上げてみると「それな」と言ってくれる人は多いんだけど、自分自身が「キャラ」を守ろうとして、何も言えなくなっている。

miguelangelortega via Getty Images

聞き取りの中では「私はブスキャラだから、化粧したら変だと思われる。だから、コスメに興味もあるけど化粧はしない」と悩んでいる中高生もいました。「気にするな」と言いたいけれど、そうはいかないから苦しんでいるのも分かる。

だったら「まつ毛を上げて出られる場所を探しましょう」と提案したいです。

他の居場所で得た経験が自分に自信を与えて、もともといたコミュニティーでもやりたいことをしたり、意見を言えることにつながるかもしれない。

■杉田水脈氏の論文を巡る議論から見えた、学生の関心

ーー学校生活などで感じる「モヤモヤ」との付き合い方も政治に関心を持つきっかけになると思います。このほか、若い世代に政治に関心を持ってもらう方法はありますか。

学生の日頃考えていることが非常に明確に政治とつながったのではないか、と感じたのは、杉田水脈衆院議員が月刊誌への寄稿で、同性カップルを念頭に「『生産性』がない」という主張をしたというニュースでした。

講義などで話題に出さなくとも、「これについて先生はどう思いますか」と聞いてくる人は少なくなかった。性的少数者であることをオープンにしている若い世代が昔より増え、そういった友人がいる大学生も多い。

その中で学生たちは、こういった政治家の「立場」を把握し、自分の生活と政治がはっきりと結びついたと感じたようです。

若者は政治に関心がないのではなく、関心を持ちたいけど、どう関心を持てばいいのか分からないのだと思いますし、この例のように、個人的体験と政治を結びつける水路を見つけられれば、投票に至るハードルも少しは低くなるのかな、と感じています。

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