「女だから辞められるんだよ」と言われたあの日、確かに私は自由だった。

男性は、どんな風に「男性らしさ」に縛られていくのか。

「もしも性別が逆だったら、長野さんはどんな人生を送っていましたか?」

「ハフポスト日本版」の編集部員から、こんな質問を投げかけられました。

「そういうのは若い人たちのファンタジーでしょ」というのが、50代の私の正直なリアクション。

半世紀以上にわたって女として人生経験を積み上げてきているので、今さら「男だったら何をしたい?」って聞かれても、自己否定のような、単なる愚痴のようなものにしかならないというか、まったく答えが思い浮かびません。

ただそれでもあげるとするなら、男性は周りにどんな言葉や期待をかけられて成長するのかを体験してみたいということ。

様々な場面で「男性ってどうしてあのような思考や行動になるの?」と感じることがあります。個人差はもちろんあるかもしれないけれど、周囲の人間や社会が、女性とは違う「男性像」を作り上げているのだとしたら、それを見てみたいなと思います。

私は幼稚園から高校までずっと女子校に通っていたので、夏の暑い日には、教室でスカートをバサバサさせて先生に叱られるような日々。

こんな女だらけの生活じゃ恋愛もできないと、意地でも大学は共学を目指しました(笑)

そこで出会った男子学生たちは皆んなおおらかで優しかったです。

高校時代のいわゆる思春期とは違って、大学生ともなるとすでに大人の仕上がりだし、殊更に性別による理不尽も感じることなく過ごしました。

女子校育ちが故、男女の違いといったことにあまり関心を払うこともなかった私が、性差による価値観の違いを痛感するようになったのは、社会人になってからです。

何が、男の人を変えてしまうんだろう?

男性が社会に出て受けるプレッシャー、それは女性が容易に想像できないものなのかもしれません。

女性にはかけらない言葉、期待、あるいは呪縛があるのだろうと思います。(その逆もまたしかりですが。)

新卒でフジテレビに入社し、5年半で退職を決めた時、「女だから辞められるんだよ。いいなあ」と周りの男性たちから言われました。

今思うと確かに私は同年代の男性が置かれている状況に比べて自由だったのでしょう。

結婚退職だったこともあり、安定を捨てて多少のリスクを犯しても、うまくいかなかったら夫の収入もあるから何とかなるか…という気持ちが心のどこかにあったと思います。

その夫にこんなことを言われたこともありました。

結婚後に引っ越しを検討していたとき、フリーとして多くのバラエティ番組やCMのお仕事を頂けるようになっていたこともあり、私は「もっと広いところでもいいのでは」と夫に持ちかけました。

すると彼から「それもアリだと思うけど、もし君に何かあって仕事ができなくなったとき、いつでも僕の収入だけで生活できる感覚だけは失わないで」と言われたんです。

男性は家庭を持ったときに自分が家計を背負わなくてはならない、家族を養わなければならないという無意識のプレッシャーを抱えていますよね。プライドもあるかもしれないけど。

女性が働くことが当たり前になった今、男性の生き方にも、もっと多様性があってよいのになと感じることがあります。

男性は、どんな風に「男性らしさ」に縛られていくのか。

ジャーナリスト根性かもしれませんが(笑)、もし性別が入れ替わったらそれを体感してみたい。

過剰なジェンダー論には疑問

今、私は56歳。

冒頭に書いた通り、「男性だったらよかったなぁ」なんて今更思うようなこともありません。

37歳で初めて報道の世界に飛び込んだ時は、たしかに性差を感じることもありました。

女性は男性キャスターの隣に座るアシスタントというスタイルが鉄板でしたし、同じ努力や経験を積んでも、同年代の男性に比べてなかなかメインの席に座ることはできない。

そこには確かに「ガラスの天井」が存在していました。

一方で、男性から見れば、女性であることで得をしていると思われる部分もあるでしょう。

今思うのは、何でもかんでもジェンダーの問題にして逃げてはダメだ、ということ。

年齢をここまで重ねると、ジェンダーというより、自分自身の問題になってくるんですよね。

「人」としてどう生きるかが命題になってくるので、もはやジェンダー感覚を失っているのかもしれません(笑)

私たちメディアは、不当な差別の存在や、弱者の声を発信することで、様々な立場の人たちがいかに生きやすい社会を実現していくのか、議論を提案していくことが大事な仕事です。

あまりにも過剰に性差だけに問題の原因を見出そうとすると、問題の本質を見失うこともあります。

女性の働き方を含むジェンダー問題の多くも、女性だけの問題ではなくて、男性を縛る価値観や働き方を含めて考える必要がありますよね。

ジェンダーによる不当な差別は、変えていかなくてはいけない大きな問題の1つ。

それと同時に、なにより「自分」の弱さに向き合って、自分にしかできない生き方を見つける強さも今、弱ってきているように思います。

近視眼的な議論に陥らずに、男性、女性に関わらず、ひとりの人間としていかに豊かに生きることができるかという視点をもって、ジェンダー問題を考える国際女性デーにすることができればと思います。

女だから。男だから。

性別を理由に、何かを諦めた経験はありますか?

女だから。男だから。 闘わなければならなかったこと、自分で自分を縛ってしまった経験は?

ハフポストは、平成が終わる今だからこそ、女性も男性も、みんなが性別にとらわれずに自由に生きられる未来を語りたいと思います。

性別を理由に、何かを決め付けたり、自分で自分を縛ったりしないで。

みんなが自分の可能性を信じて、自由に選べるように。

ハッシュタグ #わたしを勝手に決めないで をつけて、みなさんの声を聞かせてください。

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