ツール・ド・フランス2014 第11ステージ レースレポート「わずか数メートル、ゼロ秒差で逃げ切った勇姿、そのはるか後ろで...」

クリス・フルーム、アンディ・シュレク、そしてアルベルト・コンタドールの元マイヨ・ジョーヌ3人が、落車による負傷で大会を去っていった。現役最多の区間25勝を誇るマーク・カヴェンディッシュは初日に姿を消し、さらにはマイヨ・ジョーヌ着用日数が現役最多28日のファビアン・カンチェラーラは休養日に自宅へ帰った。孤児のようになってしまった2014年ツール・ド・フランスは、それでも走り続ける。生き残った179選手は、ツール後半戦へと走り出した。晴れたフランスの大地を……。

大きく遅れてゴールしたタランスキー

クリス・フルーム、アンディ・シュレク、そしてアルベルト・コンタドールの元マイヨ・ジョーヌ3人が、落車による負傷で大会を去っていった。現役最多の区間25勝を誇るマーク・カヴェンディッシュは初日に姿を消し、さらにはマイヨ・ジョーヌ着用日数が現役最多28日のファビアン・カンチェラーラは休養日に自宅へ帰った。孤児のようになってしまった2014年ツール・ド・フランスは、それでも走り続ける。生き残った179選手は、ツール後半戦へと走り出した。晴れたフランスの大地を……。

そう、ようやく、夏らしい陽気がツール一行を包み込んだ。頭上には青い空が広がり、気温は35度まで、路面温度は52度まで上昇した。半袖半ズボン姿の、いや、むしろ上半身裸の観客たちの歓声も、心なしかいつも以上に楽しげだ。「いやー、ようやく暑くなったのはいいけれど、急激すぎる気温の変化で、苦しむ選手もでてくるよ」と、予告するのはユーロップカーのドクターだ。7月の強い日差しに、アスファルトからゆらゆらと立ち上がる陽炎。はるか遠くに見える逃げ水を追いかけて、選手たちは今日もとてつもなく先を急いだ。

「大逃げが決まる日」(新城幸也、休養日インタビューより)、「15人くらいのエスケープが出来て、後ろは静かな1日になる」(ニコラス・ロッシュ、ゴール後インタビューより)と、誰もが考えていた。総合候補たちにとっては「移動日」となるはずだった。逃げ切りの切符をつかもうと、スタート直後から、大勢の選手が熾烈なアタック合戦に飛び込んだ。28km地点でマルティン・エルミガーが抜け出し、さらに31km地点でシリル・ルモワンヌとアントニー・ドゥラプラスが加わった。これにて飛び出しは打ち止め。15人の予定が、たった3人の旅となった。

先頭交替はきっちりと行った。50km地点では早くも後方集団に6分半のリードをつけた。ただし、これ以上タイム差は伸びなかった。なにしろメイン集団で、キャノンデールがひどく真剣に集団コントロールに乗り出していた。チームリーダーのペーター・サガンに、どうしても区間1勝をもたらしたかったからだ。

ヴォージュの3日間(8・9・10ステージ)以外の7ステージは、全て区間トップ5以内に入ってきた。ポイント賞ではすでに2位以下に131ptをつけている。あと必要なのは区間勝利だけ。スロヴァキアの怪童と言えども、ピュアスプリンターとの真っ向勝負にはどうしても勝てない。すると今ツールで残されたチャンスは、おそらく、中級山岳の今ステージと翌第12ステージの2回だけ。さもないと……、2005年のトル・フースホフト以来、「区間勝利のないマイヨ・ヴェール」になってしまう可能性がある!

ステージ序盤には逃げも試みた緑ジャージは、黄緑色の軍勢に率いられて、精力的に牽引を行った。オリカ・グリーンエッジも、初日の落車からようやく調子を戻したサイモン・ゲランスのために、やはり集団コントロールに加わった。逃げ切りの予定は強引に書き換えられた。ゴール前50kmで、タイム差は1分10秒にまで縮まっていた。

「ステージの展開は予想と違っていたから、つまり予定していた戦術も変更した。カウンターアタックのチャンスだと感じて、飛び出した。それにツールでは、今まで一度も、個人で表彰台に登ったことがなかったんだ。だから、区間勝者として、表彰台に登りたいと思って……」(ロッシュ、ミックスゾーンインタビューより)

休養日前日にチームリーダー、コンタドールを落車リアイアで失ったロッシュは、やはりカヴ抜きで健闘を続けるオメガファルマ・クイックステップのヤン・バークランツと一緒に、突如として前方へ走り出た。これを合図に、大小数々のアタックが発生する。ペーリ・ケムヌールに引かれてピエール・ローランが飛び出しを試みたことさえあった。さらにはシリル・ゴチエ、ヘスス・エラダも集団の隙をついて突進。すでに前方で1人になっていたエルミガーに、ロッシュ、バークランツ、ゴチエ、エラダが追いついた。

実力者5人組だからこそ、なおのこと、サガン親衛隊が遠くへ逃がすわけがなかった。吸収寸前のゴール前21.5km、ロッシュが最後の力を振り絞って逃げを引き伸ばすが、5km先で果敢な独走は終了した。最後の3級峠の下りで、サガン……ではなく、トニー・マルティンが恐れを知らぬダウンヒルを敢行したせいだ!逆にサガンは、ほんの一瞬分断にはまりかけたほど。もちろん下りが終わるとすぐに、キャノンデールが制御権を取り戻した。

そして、無カテゴリーの、「グラン・ヴァロン=大きな谷」という名の、上りがやってきた。ゴール前13.5km、トニー・ギャロパンが加速を切った。第9ステージ夕方に黄色いジャージに着替え、第10ステージ夜にいつものレトロな赤ジャージに着替えた26歳は、第11ステージで新たな企てに打って出た。

「計画的なアタックじゃなかったんだよ。だって今日はエスケープが最後まで行くと思っていたから!だから最終盤の地形図さえチェックしていなかった。でも、逃げはたったの3人で、キャノンデールが引き始めたから、監督に地形を確認に行った。しかも最終盤に向けて脚の調子がどんどん良くなって行ったから、『これは、なにかトライすべきだぞ』って思ったんだ」(ギャロパン、公式記者会見より)

昨夏のクラシカ・サンセバスティアンで、ラスト15kmを独走して勝利をさらい取った健脚ギャロパンを、絶対に逃してはならない――。慌てたサガンは、猛烈に追いかけた。マイケル・ロジャースとミカル・クヴィアトコウスキーも同伴し、3人はまんまとフランス人をつかまえた。……しかし、再びスルリと抜け出されてしまう。ゴール前2.8km、ギャロパンがもう一度勝負に出た。「今を逃したら、もう次はない」と、最後の賭けだった。

「誰もボクとスプリントを争いたくないはずなんだ。だからクヴィアトコウスキーもロジャースも、ボクと協力して追走する気なんてなかった。むしろ、ボクに対して、アタックを仕掛けてきた。ギャロパンを追いかけることだってできたさ。でも、そうしたら、今度はロジャースかクヴィアトコウスキーが仕掛けてきただろうね。全ての攻撃にボク1人で対応するなんて、不可能なんだ」(サガン、ミックスゾーンインタビューより)

サガンは追いかけてこなかったかもしれない。代わりにメイン集団全体が追いかけてきた。ジュニア時代のギャロパンは、クロノ・デ・ナシオン2連覇を果たした。U23時代には、フランス選手権タイムトライアルチャンピオンになった。第9ステージには、マイヨ・ジョーヌを手に入れるために、いわゆる長距離の「フランスチーム」タイムトライアルを成功させた。この日は初めてのツール区間勝利へ向かって、背後からの巨大なプレッシャーを感じながらの、短距離個人タイムトライアルだった。

「マイヨ・ジョーヌに関しては、数日前から狙っていたからね。あの日は1日中、そのことばかりを考えていた。でも今日はフィニッシュライン100m手前まで、勝てるとは思ってもいなかった。無線からは『行け、行け、突っ込め!』っていう声が聞こえてきた。それにしても、ライン手前で吸収されてしまう場面を、これまで何度見てきたことだろう……」(ギャロパン、公式記者会見より)

世界中の自転車ファンが目にしたのは、わずか数十メートルで逃げ切った、ギャロパンの勇姿だった。ゼロ秒差で集団が滑り込んできた。サガンは区間9位で戦いの1日を終えた。マイヨ・ジョーヌのヴィンチェンツォ・ニーバリは「移動ステージになると思ってたのに、1日中全速力だから、ホント、疲れたよ」(公式記者会見より)と苦笑い。サガンが区間勝利を逃したせいで、第12ステージは再び猛スピードのステージが予定されている。

ぎりぎりの逃げ切り劇が決まった、はるか後ろでは、アンドリュー・タランスキーが孤独な旅を続けていた。ガーミン・シャープの総合リーダーとして乗り込んできたアメリカ人は、第7ステージのスプリント時に落車。さらに第10ステージ終盤の下りでは地面に激しく転がり落ちた。背中に強烈な痛みを抱えていたと言う。そしてゴールまで85kmを残した地点で、集団から置き去りにされた。幾度もチームカー内の監督と話し合い、自転車を降りたことさえあった。リタイアも考えたはずだった。しかし、最後まで、1人で走り続けることに決めた。時に泣きながら、ゴール地を目指した。

「ゴール地のみなさん、レースはまだ終わっていません。最後の1人がやってきます。どんなに苦しくても、最後まで必死に走り続ける、これもまたツールなのです。アンドリュー・タランスキーに、暖かい応援をお願いします!!」

今ツール限りでマイクを置くレースコメンテーターのダニエル・マンジャスは、会場の観客に何度もこう語り続けた。ギャロパンから32分05秒後、タランスキーはゴールラインを越えた。

2014-07-07-8.jpg

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

(2014年7月17日「サイクルロードレースレポート」より転載)

注目記事