FBI長官「突如解任」トランプ大統領の「真意」と「波紋」--青木冨貴子

ニューヨークに住んで30年以上になるが、今ほど大統領の信頼が失墜したことはなかった。

ニューヨークに住んで30年以上になるが、今ほど大統領の信頼が失墜したことはなかった。政治家は自らの言葉と判断でしか信頼を勝ち得ないが、今ほど大統領の資質と言語能力が問われたこともないだろう。

彼には国家の機密を扱う能力があるのかという疑問の声すら上がっているほどだ。すべて、米連邦捜査局(FBI)ジェームズ・コミー長官解任後に始まった、トランプ政権の屋台骨を揺るがす新事態に次ぐ新事態の大展開のなかで起こっている。

これはまた、行政府の長である大統領に対する司法(裁判所)と立法(連邦議会)の4つに組んだ戦いを目のあたりにするようである。

「キスリャク」こそキーパーソン

コミー長官が解任された翌5月10日、ホワイトハウスの大統領執務室に招かれたのは、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相だった。コミー長官は、昨年の大統領選挙でロシア政府側とトランプ陣営が共謀して選挙を有利に進めたかどうかを捜査している最中に、突然、解任されたのである。その翌日にロシアの外相がトランプ大統領を訪ねたというタイミングに、わたしは強烈な違和感を覚えた。

ロシア側一行のなかには駐米ロシア大使セルゲイ・キスリャクが、二重顎に満面の笑顔を浮かべる姿もあるではないか。ますます信じられない思いだった。

このキスリャクこそ、選挙期間中にトランプの選挙参謀と連絡を取っていた「ロシア疑惑」のキーパーソンである。キスリャクが会っていたのは、国家安全保障担当大統領補佐官に指名されたマイケル・フリン。フリンはこのキスリャクとの会話のなかで対露制裁について話し合った会話が録音されていたため、補佐官就任24日で解任に追い込まれた。

このほか、トランプの娘婿であるジャレッド・クシュナーや、司法長官に就任した強硬右派ジェフ・セッションズもキスリャクに会っていたことが明らかである。

10日の写真を見ると、大統領はいかにも旧知の顔に囲まれた様子で、リラックスして上機嫌。この写真はロシアの『タス通信』のみが配信した。ホワイトハウスのカメラマンも米国メディアも締め出されたというから不可解な話だ。ロシアが米大統領選にサイバー攻撃などで介入したことについて、大統領がロシア側にどう糾すのかと思っていたら、とんでもない、15日、『ワシントン・ポスト』が爆弾を投げつけるような特ダネを報じた。

「ロシアと機密情報をシェアしたい」

「トランプが高度に機密性の高い情報をロシア外相と大使に漏洩した」という大きな見出しである。トランプが漏らしたのは同盟国からもたらされた「イスラム国(IS)」に関する機密で、情報源を危険にさらす可能性が高いために、米政府内でもアクセスが限定されるほどのものだった。さらに、同盟国はこの情報をロシアに漏らす許可を米国に与えていなかったと同紙は報道している。

『ワシントン・ポスト』の報道について、マクマスター大統領補佐官はその夜、ホワイトハウスに集まった記者団に対して「虚偽」だと全面否定した。大統領本人もお得意の「フェイクニュース」と言って否定するのかと思ったら、翌日、こうツイートした。

「大統領として私はロシアと(機密情報を)シェアしたい。私はそういう確かな権利を保有している」

「虚偽」だという政権内部のメッセージがあるにもかかわらず、それを翻したのである。大統領をかばおうとするスタッフの言葉に腹を立て、怒りまくり、同盟国との機密情報の扱いも、その危険性もわからず、ロシア外相に対して自分がどれほど機密に詳しいか自慢するのが、この国の大統領だというわけだ。ジェームズ・コミー解任が投げかけた巨大な波紋は、トランプに「ルビコン川」を渡らせたと感じている市民は多い。ワシントンの政局は一挙に流動化、いや漂流しはじめるのではないか。

米メディアもしどろもどろ

そもそもジェームズ・コミーが下院情報委員会で証言し、FBIの捜査がロシアの関与だけでなくトランプ陣営にも及んでいることを明らかにしたのは3月20日のことだった。中継された公聴会は5時間にも及び、公聴会室に入ってきた202センチメートルもある長身(マイケル・ジョーダンより6センチメートルも高い)の長官が、居並ぶ下院議員を前に言葉を選んで丁寧に質問に答える様は、なかなか信頼できる人物のように見えた。

ジェームズ・コミーは1960年12月、ニューヨーク州ヨンカーズ生まれ。シカゴ大学ロースクール卒業の後、ニューヨーク南部地区連邦地検検事正だったとき、ブッシュ大統領からワシントンに呼ばれ、司法副長官を務めた。2013年、彼をFBI長官に指名したのはオバマ大統領である。昨年の大統領選挙では、選挙キャンペーン中の7月に私用メール問題でヒラリー・クリントンを訴追しないと決定したが、投票直前の10月28日には捜査再開を発表。これが選挙結果に大きな影響を与えた。つまり、トランプ勝利に貢献した人物と言ってよい。

そのコミーがトランプ陣営のロシア疑惑を捜査中、突然、解任されたのである。

「緊急ニュース FBI長官ジェームズ・コミー解任」の速報がスーパーインポーズで流されたのは5月9日、夕方6時のローカルニュースだった。

6時半からの全米ニュースは各局とも解任速報で始まったが、ワシントン詰めの記者ですら、このニュースを知ったばかり。スタジオのキャスターが質問を投げかけても、大統領の解任通知と、通知に添えられたジェフ・セッションズ司法長官、ロッド・ローゼンスタイン司法副長官の書簡を手に、読み返しながらのしどろもどろである。全米ニュースでこれだけ慌てた報道もめずらしい。

あろうことか長官の解任通知は、トランプの私的ボディーガードがホワイトハウスからFBIオフィスへ1時間前に届けたばかりだというのである。公職の解任通知を私的ボディーガードに託すというのは前代未聞である。本来なら長官をホワイトハウスへ呼んで、大統領からきちんとした説明があって然りだろう。しかし、コミー長官はロサンゼルスに出張中で不在だった。

長官はFBI職員の集まる会合で話をしているところだった。そこにテレビが解任の知らせを報道。まさか嘘だろうと笑っていたが、近くのFBIオフィスで確認を取ると、急遽、専用機でワシントンDCへ引き返した。『CNN』は長官の車がハイウエイから空港に到着し、専用機に乗り込むまでを上空から生中継するほど大ニュースとして扱った。

激賞した100日後に

大統領の解任通知に添えられた司法副長官の書簡には、クリントン元国務長官の機密文書の扱いをめぐる犯罪捜査に関して、コミー長官が司法省の捜査手順に何度も従わなかったという理由が記されてあった。それにしても今頃になって、なぜ、クリントンの私用メール問題を理由に解任したのだろうか。おそらく米市民の誰もが疑問を抱いた。

長官の任期は10年、まだ6年以上残っていた。任期途中で大統領が長官を解任したケースは稀である。しかも、トランプは大統領就任後にコミー続投を決定していた。選挙直前にクリントンの私用メール問題の捜査を再開したことがトランプ勝利の追い風になったことから、「コミーはガッツがある」などと褒めちぎっていたのである。それから100日ほどしか経っていないのに、このタイミングで解任するのは不自然だと民主党は激しく反発した。FBIへの捜査妨害だと声を上げる議員も多い。実際にこれでロシア疑惑の捜査が足踏み状態になることは避けがたいだろう。

大切な取り決めを反故

その晩9時から始まった『ザ・レイチェル・マドウ・ショー』(ケーブルテレビMSNBC)でも、突然の解雇によって民主主義が危機にさらされているとキャスターのレイチェルは訴え、大統領の解雇通知に添えられたジェフ・セッションズ司法長官の書簡について疑問を投げかけた。

そこには、コミーに対する彼の評価と副長官の書簡に記された理由によって、FBIには新しいスタートが必要であるとして、「ジェームズ・コミーを解雇することを勧告する」と明らかに記されてある。

しかし選挙期間中、トランプの参謀だったセッションズはロシアのキスリャク大使と面会していたことが明らかである。司法長官の指名承認審査では臆面もなく「(ロシア側と)コミュニケーションを図ったことはない」と虚偽の発言をしたために、民主党からは辞任を要求する声が上がったが、「ロシアの介入疑惑をめぐる捜査には関与しない」と自ら表明し、その問題については副長官が当たることになったのである。

こうした経緯がある以上、司法長官が口を出す場面ではないのに、なぜ、この政権はそんな大切な取り決めを反故にできるのだろうか、とレイチェルは問う。

「私は捜査の対象か」

さらに大統領は、「彼ら(セッションズ司法長官とローゼンスタイン副長官)の勧告を受け入れ、あなたはここに連邦捜査局の職から直ちに解任される」

とコミー長官宛の解任通知の書簡に明記したというのに、2日後、テレビのインタビューに出ると、

「(司法長官と副長官の)勧告に関わりなく、解任を決めたのはこの自分だ」と前言を翻した。

「解任させることを決断した時、自分自身に言った」とテレビのインタビューで続け、「私とロシアが連携しているなんて話はでっち上げだ。選挙に勝てなかった民主党の負け惜しみだ」と捜査中のロシア疑惑に不快感を示し、

「(コミーに)質問したのだ。もし可能であれば知らせてくれるか、"私は捜査の対象か"と尋ねた」

それに対し「あなたは捜査対象ではない」と長官は答えたという。それも3回にわたって確認。1回目は1月、ホワイトハウスでの夕食会の席で、後の2回は電話で同じように尋ねたというのである。

コミー長官に3回にわたって捜査対象でないと訊いたことは解雇通告の書簡にも明記されてある。よほど気になっていたのであろう。長官から「捜査対象ではない」という言葉を引き出したことを金科玉条にしたかったようだが、長官がそんな発言をしたことは確認されていない。

あまりにも軽く浅い大統領の言葉

続いて起こった録音テープ騒ぎもまた、この政権ならではの子供じみた妄想によるものとしか思えない。

「メディアにリークする前に、我々の会話を録音していないことを願った方がいいぞ」

トランプは12日朝、ツイッターにこう書き込んで、コミーを威圧した。元長官が持つ内部情報が流失することを恐れて威嚇したものと思えるが、異常な発言である。

この日はツイッターを連発し、ホワイトハウスの報道関係者の説明が一貫していない指摘に対しては、「完全に正確を期すのは不可能だ」とツイートし、「たぶん、一番いいのは今後の記者会見を取りやめて、正確を期するために書面での回答を配布することだろう」

「多くの仕事をこなす活動的な大統領なので、私の代理が完全な正確さを持って壇上に立つのは不可能だ」

と、まるで他人事のような言葉を叩きつけた。ツイッターとはいえ、米国大統領の言葉がこれほど軽く浅くなったのは史上初のことかもしれない。ある専門家は、彼の言語と文法の能力は12歳から14歳のレベルだと言っている(New York Times, May 1, 2017)

が、翻って考えるなら、この国が根底から揺らいでいるように思えてならない。

一方、『ニューヨーク・タイムズ』はコミーに近い複数の関係者の証言として、1月の夕食会のやりとりは全く別の筋書きであったことを報じた。

コミー長官をホワイトハウスの夕食会に招いた大統領は、

「私に忠誠を誓うことができるか」と聞いてきたというのである。

長官は「(大統領に対して)忠誠を誓うことはできません」と言い、「その代わり、大統領に対して正直であることを誓います」と言ったという。

自分に忠誠を誓うかと問うなど、まるでB級マフィア映画を地でいくつもりだろうか。伝統的にFBI長官が政治的忠誠を誓うことはあり得ないことで、その独立性を確かなものにするために、長官の任期は10年という長期を保証している。大統領にはそういう基本的な認識が欠如したままなのであろう。

フリン捜査中止要請疑惑も

ここまで書いてきたところで、17日、今度は『ニューヨーク・タイムズ』の速報が全米を駆け抜けた。コミー側の発表で、トランプはコミー長官に対して、マイケル・フリンの捜査を中止するよう要請していたというニュースである。

フリン辞任の翌2月14日、ホワイトハウスの大統領執務室に大統領を尋ねたコミー長官がテロの脅威に関する状況報告を終えると、大統領は居合わせたペンス副大統領とセッションズ司法長官の退席を促した。2人きりになった席で、

「このこと(フリンの捜査)は忘れてくれるよう願う」と頼み、「フリンは良い人間だ」と付け加えた。これを聞いたコミーはただ「フリンは良い人ですね」とだけ返答したという。

ジェームズ・コミーは大統領との会話をすべて記録してきたという。電話での応対も会合の席の会話もすぐにメモに残してきた。それをタイプして、FBIと司法省内部のごく数人に送っていた。部下の捜査官にもメモを忘れるなと訓令を飛ばしていた。それだけに長官のメモは信頼できる確かなソースのはずである。

しかし、ホワイトハウスは「大統領はいかなる捜査の中止もFBI長官に要請したことはない」とメモの内容を全面否定した。

FBI長官解任から8日余り、まるで怒涛のようにスキャンダルが溢れ出てきた。ロシア側に極秘情報を漏洩したことも、FBIに捜査中止を求めたことも、立証されれば、司法妨害になる可能性が大きい。

野党民主党は以前から、ロシア疑惑の解明には特別検査官の任命が必要だと主張してきた。ところが、ここへ来て民主党を支持するリベラル層だけでなく共和党を支持する保守派からも、大統領弾劾の声が上がるようになった。大統領の弾劾裁判は下院で訴追し、上院で裁判を行って、出席議員の3分の2以上が同意すれば、大統領は罷免される。現在、米議会では上下院とも共和党が多数を握っているために、弾劾にまで持っていくのは難しいが、不可能ではない。

「ウォーターゲート」よりも深刻

共和党の重鎮ジョン・マケイン議員は、トランプがフリン捜査中止の要請をしたという報を聞くと、

「この状態はウォーターゲート事件のサイズとスケールになってきた」とコメントした。1972年、リチャード・ニクソン大統領の再選を画策するグループが、民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けようとしたウォーターゲート事件の後、次々と大統領に関する疑惑が浮上。米議会が大統領を罷免するための弾劾手続きに入ったため、ニクソンが辞任に追い込まれた当時を、マケインは思い起こして発言したのである。

もっとも、トランプの場合はニクソンよりよっぽど深刻だという声もある。「トランプの疑惑が、外国政府や国家安全保障をも巻き込んでいるからだ」とアメリカン大学のアラン・リクトマン教授は発言する(『ニューズウイーク日本版』5月15日)。

ハーバード大学ロースクールの教授で憲法学の権威であるローレンス・トライブは『ワシントン・ポスト』に寄稿し、「弾劾による救済は我々の憲法によるシステムを守るための最後の手段である」と、トランプが弾劾されるべき理由を述べている。

ここまで書いてきたところで、再び、思わぬ速報が入って来た。ローゼンスタイン司法副長官はFBIの元長官ロバート・ミュラーをロシア疑惑の特別検察官に選んだというのである。ミュラーといえばコミーの前任者で、12年間、FBI長官を務めた超ベテランである。民主党も共和党も全議員が喜ぶ人事だった。

「米国の歴史上、1人の政治家に対する魔女狩りとしては最大」

翌朝、こうツイートしてこの人事に1人浮かない顔をしているのが大統領である。

FBI長官解任の余波は津波となってワシントンを大きく動かしている。この先の動きは概ね共和党議員が握っているが、政治の歯車は戻しようもないところまで回り始めた。大統領に対する、司法省、上・下両院の国家の命運を賭けた戦いは特別検察官ロバート・ミュラーの本格的捜査が始まることで、米国の三権分立がとりあえず機能していることを見せてくれているようだ。

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青木冨貴子

あおき・ふきこ ジャーナリスト。1948(昭和23)年、東京生まれ。フリージャーナリスト。84年に渡米、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。著書に『目撃 アメリカ崩壊』『ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』『昭和天皇とワシントンを結んだ男』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。 夫は作家のピート・ハミル氏。

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(2017年5月22日フォーサイトより転載)

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