日本代表の自分がこんな事言うのは不謹慎かもしれないが、私はボートがそんなに好きじゃない。

今年10月2日に4年半お世話になった会社を辞めた。オリンピックに出るためだ。正確には、「追い込まれたい」というマゾな理由だ。

競技はボートだ。ボートといっても、モーターがついている競艇ではなく、帆がついているヨットでもなく、前向きに進むカヌーでもない、後ろ向きに進むボート、漕艇(ローイング、ROWING)である。

極めて認知度の低いスポーツであり、私自身大学入学後に初めて知った。

「何でもいいから日本一になりたい。とりえがほしい。」と思っていた私にとって、ボート部先輩の「まだ間に合う」発言は魅力的だった。

確かに間に合った。漕暦約2年で、U23世界選手権で銀メダルを獲った。4人乗りの種目(軽量級舵手なしフォア、オリンピック種目)で他の3人の実力によるところがほとんどだが、日本人初ということで、私は満たされた。そこで終わった。

私はボートがそんなに好きじゃない。日本代表の自分がこんな事言うのは不謹慎かもしれないが、世界一好きか、日本一好きか、という問いに即座に「ノー」と答える。あまりにもキツイからだ。あと一本漕げるか?と聞かれると漕げるが、できるなら止まって休みたい、そんな状態が240本、6分続くのがレースである。

練習は90分から2時間、心拍数160ぐらいをずっと続ける。常に全力で漕ぐ。「全力で何時間もできるなんて、それって全力じゃないんじゃない?」と思われるかもしれないが、残念ながらボートには漕ぐ時間(1秒ぐらい)と漕がない時間(2秒ぐらい。元の場所に戻る時間)があり、漕いで体力を使い果たしても、2秒後に回復してしまい、また全力で漕ぐ羽目になる。それが2時間近く続く。その練習がほとんど一年中ある。「死に損ないの時間が長いスポーツ」それがボートかもしれない。

昔、ボートを始めた。「取り柄がほしかった」からだ。いつの間にか27歳になり、一橋大学卒で、国税をわんさか使って素晴らしい教育を頂いたのに、ボートという今は誰も知らない競技で日本一になることに、社会的な意味はあるのだろうか、と思い、これは五輪でメダル獲るしかないなと思い、それが社会人としての自分の生きる意味だと思い、会社を辞めた。

競技で成功するには二つの条件がある。どちらも満たせば申し分なく、一方だけでもいいという。

「その競技が好きで好きでたまらないか。」もうひとつは、「成功しないと生きていけないか。」

U23で銀メダルを獲った時は、なぜか知らないがボートで結果出せなかったら死ぬとか勝手に思っていた。本当に自分に自信がなく、自分がこの世に生きる価値探しにボートを漕いでいた。今思えばだから結果を残せたのだと思う。

好きだから、漕ぐか。

生きるために、漕ぐか。

残念ながら過去には戻れない。白いキャンバスには戻れない。だから会社を辞めて、五輪で勝つしか生きていけないようにした。ある意味マイナースポーツの特権だろう。メジャーなスポーツなら、ある程度の順位で生きていけるかもしれない。素晴らしい事にボートはある程度では報道されない。練習も究極のストイック、環境もストイック。だからこそ、理由がいる。なぜ漕ぐのか。それが無き選手は成功しない。

五輪でメダルを獲ったら生きていけるのか、それはわからない。だが、貯金残高がどんどん減っていく中での競技は、なかなか日々が一生懸命になる。

どうも自分は消極的な理由の方が頑張れる性格なのだと思う。「勝ちたい」のではなく「負けたくない」。「裕福になりたい」のではなく、「死にたくない」。マイナースポーツは誰も知らないから、野球やサッカーと比べて期待も少ないし、どうしても「勝たなければいけない」という気持ちが湧きにくい。

消極的な理由の方が頑張れる選手にとっては、マイナースポーツにおけるその弱点をどうにかしなければいけない。個人的に負けたら死ぬ環境は、退職によって作れたと思う。あとは世の中的に「中野、負けたら殺すぞ」っていう雰囲気を、一早く作らねばと思っている。

自分もいずれ死ぬし、自分を評価する人もいずれ死ぬけれど、「世界一、負けたら生きていけない人」になれれば、世界で勝てるんじゃないかと思っている。日本人が一回も勝ってない競技、ボート競技。北米でも、欧州でも、オセアニアでも、全部強い、五輪が全白人選手権みたいになってる数少ない競技、ボート。それで勝つには、それぐらいしないといけないんじゃないかと思っている。

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今年2015年10月から始まった日本代表選考でトップ通過。16年4月韓国で行われるアジア大陸予選で3位以内で五輪枠獲得。種目は軽量級ダブルスカル。

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