「ウィキリークス」のジュリアン・アサンジ氏の逮捕。米国への身柄引き渡しに立ちはだかる2つの壁

4月11日、内部告発サイト「ウィキリークス」創始者のジュリアン・アサンジ氏が、庇護されていたロンドンのエクアドル大使館で、イギリス警視庁によって逮捕されました。
内部告発サイト「ウィキリークス」創始者ジュリアン・アサンジ容疑者(イギリス・ロンドンのエクアドル大使館)
内部告発サイト「ウィキリークス」創始者ジュリアン・アサンジ容疑者(イギリス・ロンドンのエクアドル大使館)
時事通信フォト

ジュリアン・アサンジ氏は米国に引き渡されるのか

4月11日、内部告発サイト「ウィキリークス」創始者のジュリアン・アサンジ氏が、庇護されていたロンドンのエクアドル大使館で、アメリカ政府による身柄引き渡し請求に基づき、イギリス警視庁によって逮捕されました。実はこのケースは、国際公法や庇護法、人権法の観点から興味深い論点をいくつも含んでいるのです。3つの論点に絞って、できる限り分かりやすく解説してみたいと思います。

1.領土的庇護と外交的庇護

そもそもアサンジ氏は、2010年にスウェーデンでの2件の性犯罪容疑によりイギリスからの身柄引き渡し対象となっていたのですが、スウェーデン経由でアメリカに引き渡されるおそれがあることを理由に、2012年8月、ロンドンにあるエクアドル大使館に庇護を求めたのでした。ではなぜ、同大使館で7年近くも保護されていたのに突然ロンドン警察によって逮捕されたのでしょう?実は国際社会には2種類の庇護制度があるのです。

より一般的なのは「領土的庇護」、つまり自国とは別のある国(例えばイギリス)の領土に自力でたどり着いた人を保護する制度で、難民の保護が最も馴染みのある例でしょう。アサンジ氏のケースはそうではなく、「外交的庇護」と呼ばれる制度です。これは、自国外にある大使館や領事館など(今回で言えばロンドンにあるエクアドル大使館)に逃げ込んできた人を(エクアドル政府が)独自の判断で保護する制度です。例えば、2002年に中国の瀋陽にある日本領事館に北朝鮮からの脱北者1家族5名が逃げ込んできたケースは、この「外交的庇護」を求めたものと言えます。国際公法では、前者の「領土的庇護」は広く認識されていますが、後者の「外交的庇護」は国家間の慣行として成立しているとは言いがたい形態です。

ところが、ラテン・アメリカ諸国は伝統的にこの「外交的庇護」を重視してきていて、地域条約まで存在しています。もちろん今回のように性犯罪容疑で訴追されている人(アサンジ氏)を大使館で保護することが国際法の大原則に則っているかどうかは大きく議論の分かれるところです。よりはっきり言えば、多くの国際公法学者は事実上の内政干渉にあるとしています。しかし、エクアドル大使館には外交特権(公館の不可侵)がありますので、英国政府は手も足も出ない状況でした。今回エクアドル大統領が正式にアサンジ氏への外交的庇護を取り消したので、イギリス警察が合法的に逮捕に踏み切ることができたのです。

なぜエクアドル政府が突然庇護を解除したのか、その理由は明らかではありません。エクアドルのモレノ大統領自らツイッター上のビデオ声明で説明しているほか、前大統領のコレア氏が左派だったこと、モレノ氏と米国大統領のトランプ氏との間で何らかの取引があったのではないかなどと指摘されています。いずれにせよ、アサンジ氏への「外交的庇護」はそもそもエクアドル政府が任意で提供していたもので、それを一方的に取り消すことが何らかの国際公法に反しているとは言えないのです。従って、今回のエクアドル大使館内でのイギリス警察による逮捕は(現時点で明らかになっている情報を踏まえれば)合法的かつ妥当と言わざるをえません。

2.死刑のある国への身柄不引き渡しの原則

しかし、今回の逮捕が直ちにアメリカへの身柄引き渡しに繋がるかというと、そうとも言えません。少なくとも二つのハードルが考えられ、そのうちの一つが「死刑存続国」への身柄不引き渡しの原則です。

欧州人権条約の第3条は拷問等を完全に禁止しており、ヨーロッパ諸国が「拷問」と見なしている死刑執行の恐れのある国に人(国籍不問)を送還することも全面的に禁止しています。例えば、アメリカにおいて殺人などの凶悪犯罪を犯した人でも、その人が死刑判決を受ける可能性がある場合には、その人をアメリカに送還してはならないという原則が既に確立しています。欧州人権条約にはイギリスも、またもう一つの関係国であるスウェーデン(以下4.参照)も入っており、欧州人権条約とEUとは別個の取極めです。よって、例えイギリスがEUを離脱したとしても、この「死刑存続国への身柄不引き渡しの原則」は変わらないでしょう。

今回、アメリカ政府によるイギリス政府に対するアサンジ氏の身柄引渡し請求は、「チェルシー・マニング氏によるアメリカ政府ウェブサイトのハッキングを教唆した疑い」に基づくもので、仮に有罪となった場合でも最長禁固5年とされています。この罰則だけでは「拷問等」に相当するとは言えないでしょう。しかし、アメリカへの引き渡し後に別件で逮捕される可能性があったり、取り調べや服役中に独房に長期に収監される可能性がある場合(実際にチェルシー・マニング氏は合計4週間に亘って独房に収監されたとされています)、欧州人権条約第3条に言う「非人道的または品位を傷つける処遇または処罰」に相当する可能性もあります。

おそらく実際の引渡し前には、アメリカ政府からイギリス政府に対して何らかの公約を含む文書が送付されるはずです。しかし、その内容をどこまで信用するのか、アメリカとイギリスの二国間関係や国際法遵守の関係、イギリスの国際的イメージなどの観点から、極めて難しい司法上・外交上の判断が求められるでしょう。

いずれにせよ、上記の1.と統合して考えると、7年前にアサンジ氏が、欧州人権条約を批准している国(つまり死刑存続国アメリカへの身柄引き渡しに非常に消極的な国)にあるラテン・アメリカ諸国の公館(つまり「外交的庇護」に積極的な国)に逃げ込んだのは、彼の弁護士団の巧みな選択だったと言えます。

イギリスからアメリカへのアサンジ氏の引き渡しにあたってもう一つのハードルになりうるのが、「政治犯の身柄不引き渡しの原則」です。確かに、もし政治犯が送還されたら迫害にあたるような人権侵害を受けるおそれがある場合には、難民条約上に言う「難民」に該当し、送還禁止の原則(いわゆるノン・ルフールモン原則)が適用されます。けれども、政治犯容疑者の引き渡しが国際法上で全面的に禁止されているかどうかについては、国際法学者の間でも意見の分かれるところです。

また、「英国と米国の間の犯罪人引き渡し条約」が2006年に、「EUと米国の間の犯罪人引き渡し条約」が2010年に発効しています。その詳しい内容については端折りますが、簡略化して言うと、上の2で解説した「死刑に処せられる可能性がある国への送還禁止」に加えて、引き渡しに先立って以下の二つの条件が求められるようになってきています。

・引き渡しの根拠になっている犯罪が、引き渡し請求国と被請求国の双方で犯罪として認められていること

・引き渡しの根拠となっている犯罪が、「政治犯罪」でないこと

ここで問題になるのが、今回アメリカ政府がアサンジ氏の身柄引き渡しを請求する根拠となった「チェルシー・マニング氏による米国政府ウェブサイトのハッキングを教唆した疑い」が、「政治犯罪」に相当するかです。これについては、イギリスの裁判所がどのような判断を下すのか、あるいは下さずに別の論点に依拠して判決を下すのか、非常に興味深いところです。

筆者の個人的見解

今回、エクアドル政府が外交的庇護を取り消し、アサンジ氏がイギリス警察によって逮捕されたのは、同氏がイギリスで2012年時点での保釈条件に違反したという観点についてだけ言えば、極めて妥当だと思います。「庇護」というのは、外交的庇護であれ領土的庇護であれ、犯罪者の「逃げ得」のためのものではないからです。また、アサンジ氏はスウェーデンにおいて2件の性犯罪の疑いで訴えられており、2020年8月までは時効でないため、むしろ英国からスウェーデンには引き渡されるべきだと私は考えます。

問題は、イギリスないしはスウェーデンからアメリカに引き渡されるのか否かです。ウィキリークスによるハッキング活動は「政治犯罪」なのか「一般犯罪」なのか、あるいは「知る権利」を守るための正義なのか、独房に長期間収監されることが「拷問ないしは非人道的または品位を傷つける処遇または処罰」に相当するのか。インターネットと国際法と人権問題が複雑に絡み合ったとても興味深いケースと言えるでしょう。

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