卵子凍結すれば、心おきなく働ける?-母子の明るい笑顔に立脚した女性活躍社会を:研究員の眼

筆者は少子化問題について、子どもを持つ・持たない、何人欲しいなどは全て個人のライフプランだという意見はその通りであると思っている。

【はじめに】

筆者は少子化問題について、子どもを持つ・持たない、何人欲しいなどは全て個人のライフプランだという意見はその通りであると思っている。

しかしながら、正確な知識をベースとしないライフプランは、その人の人生に思いもよらない不幸をもたらしかねない。

少子化問題における、「妊娠出産適齢期」問題がまさにそれである。正確な出産年齢と子を持てる可能性の関係の知識が欠如したまま、子どもを持つ・持たない、何人欲しいといったライフプランが漠然と組まれてきたのが今までの日本であり、ゆえに晩産化が進み、少子化に歯止めがかからなかった。

浦安市の卵子凍結補助金で注目される「卵子凍結による出産時期のコントロール」についても、多様なライフプランを可能にする、という視点からは確かに賛同できる取り組みではある。しかし、卵子凍結についても、正確な知識をベースとして女性のライフプランに組み込まれ活用されることが大切である。

なぜならば、正確な出産に関する知識が欠落したまま「卵子凍結」に期待することは、女性の身体に悲劇をもたらしかねないからである。その理由を以下に説明したい。

【不妊治療の成功率の低さを卵子凍結でカバー】

千葉県の浦安市議会は今年3月19日の定例議会において、健康な女性が加齢による不妊を避ける目的で卵子を凍結保存する研究への補助金3千万円を含む新年度補正予算案を賛成多数で可決した。

同市と順天堂大学医学部附属浦安病院との共同研究において、専門資格を持つ職員の人件費や凍結保存費用への充当が可能な予算とされている。

この予算によって、浦安市内の20歳から34歳の女性は保険適用と同じ3割の負担のみで卵子凍結が受けられるようになる。また、がん患者が治療の副作用による不妊を避けるために凍結するケースでは1割負担とされる。

この決議は、卵子の老化によって加齢とともに妊娠しにくくなることが若い世代においてはかなり認知度が高まってきたことや、晩産化を阻止しなければ生物学的な少子化には根本的に歯止めがかからないことの2点からみれば、非常に歓迎される決議のようにも見える。

若い卵子を凍結保存することで、母体が加齢してもその影響を卵子は受けないからである。

【わが国の不妊治療の現状】

そもそも浦安市の補助金に見られるような、卵子凍結への期待はなぜ生まれたのだろうか。

その背景を知るためにはまず、医学博士であり日本生殖医療研究協会会長の荒木重雄氏が指摘するように、「諸外国の臨床成績と比較し、わが国のICSI(顕微授精) の成績は決してよい数値ではない。

特に、開始周期当たりの分娩率と採卵周期当たりの分娩率(*1)が極めて低く早急な改善が望まれる。」(*2)という日本の不妊治療顕微授精分娩率(*3)について知っておかねばならない(図表1)。

わが国の不妊治療数は以下の通り、激増してきた(図表2)。

2013年の国際不妊学会(IFFS)のレポートによれば、日本の不妊治療実施施設は世界最多(*6)であり、日本産科婦人科学会が公表しているARTデータブック2012年版によれば、不妊治療実施件数(*7)も年ベースで、体外受精8.2万件、顕微授精12.5万件にものぼっている(図表2)。

一方で、その顕微授精分娩率は先に述べたとおり諸外国と比べて、決してよい数値ではない。

世界最多の治療クリニック数であるのに、低い顕微授精分娩率であるのはなぜなのであろうか。

この理由を探るための示唆に富むデータがある。日本産科婦人科学会が毎年公表している「ARTデータブック」では、不妊治療による「生産率」(生きた子を得る分娩率)を患者の年齢別に見ることができる。

同データによれば、わが国では、不妊治療をうける患者の3割以上が40歳以上であり最も治療を多く受けている年齢は39歳、40歳である。

一方、少子化をかつて経験した先進国の中で最も出生率の高いフランスにおいては、不妊治療の受診患者の平均年齢は34歳である。

ARTデータブックによれば、もしフランスの不妊治療患者の平均年齢の34歳である患者であれば、わが国においても生産率はまだ18.4%あるが、最も治療を受けている年齢の39歳では10.3%、40歳では8.1%、そして45歳では0.7%まで激減する。

以上から、生産率が低い一因として、外来に来る患者の年齢が高すぎること、すなわち卵子の老化が問題とされていることがわかる。フランスに比べると患者の高齢化が見られるわが国の状況から生産率が低いということであるならば、若い年齢で卵子を凍結保存すれば、生産率はもっと上げられるのではないか、という考えが生まれるのである。

確かに若いうちに卵子を凍結保存すれば、生産率は上がるかもしれない。

しかし、大事なことを見落としていないであろうか。諸外国に比して不妊治療の成功率の低さを改善する方法として期待される卵子凍結は、果たしてキャリアを積む間出産を延期させたい女性などにとって万能薬なのであろうか。

もし卵子凍結が高齢出産への期待へとつながるならば、それは実は女性の身体に過酷な試練を与えかねない。このことが、あまりにも卵子凍結推奨の流れとあわせて課題視されないことが問題である。

【母体リスク問題はどこへ】

昨年8月に厚生労働省より発表された「不妊に悩む方への特定治療支援事業等のあり方に関する検討会」報告書によれば、母体の加齢に伴って母体リスクが高まってくる。凍結した卵子の年齢とは別に、出産を先延ばしにすれば母体そのもの高齢化が進むため、高齢出産はいずれにしてもハイリスク出産なのである。

つまり、母体そのものが老化しているために起こるリスクは、卵子凍結をしても回避することが出来ないことを看過してはならないのである。

以下の図表3をご覧頂きたい。

結局、卵子凍結が「卵子が若いから大丈夫」という知識だけ一人歩きするならば、女性にとって出産の先延ばしにつながる可能性は高く、そのことにより妊産期に母体がより高いリスクにさらされる社会が生み出される。

このことをわれわれは十分に認識した上で、卵子凍結問題をどう扱うのか、考えねばならない。

折角の出産が母体の健康を今よりも阻害し、胎児までも危険にさらす、また出産後も母体が育児に耐えられない、そんな「お母さんの笑顔のない」女性活躍社会をわれわれは決して目指すべきではないことだけは確かではないだろうか。

卵子凍結制度を普及するというのであれば、高齢出産に伴う母体リスクへの国民的な認知向上にも同時に努めなければならない、そう筆者は切に願うのである。

関連レポート

*1 開始周期あたりの分娩率(採卵に何回トライして出産したか。カップルの不妊治療の経済負担と密接に関係する)・採卵周期あたりの分娩率(何個採卵して出産に至ったか)

*2 荒木重雄「わが国と欧米におけるART の実施状況と臨床成績の比較」(2009年)

*3 分娩率(出産にいたる確率)。ISCI=顕微授精、IVF=体外受精。簡単に言えば、ISCIは卵子細胞内に精子を注入する方法で、IVFは細胞内には注入しない。

*4 顕微鏡を用いて精子を卵子に入れて受精させる最も受精率を高めるとされる1992年からの新しい不妊治療法。

*5 2008年国際医療技術研究所 公開講座「みんなで不妊を知ろう!~専門家と経験者を交えて~」荒木重雄氏講演会配布資料(荒木重雄-医学博士・国際医療技術研究所IMT College理事長・日本生殖医療研究協会会長)

*6 IFFS, IFFS Surveillance 2013,October 2013 日本591施設、アメリカ430施設、イタリア350施設、ブラジル200施設、フランス100施設等となっている。100施設を切る国が大半。インドは500から600と数値が曖昧なため省く。

*7 正確には治療周期数をいい、女性の身体のサイクル(周期)にしたがって治療が行われるため、何周期分行われたかを比較する。

*8 妊婦に現れるハイリスク疾患。 高血圧症候群-妊娠高血圧症候群を原因とする代表的なものに、子癇、脳出血などの脳血管障害、常位胎盤早期剥離、HELLP症候群、肺水腫などがある。

*9 妊婦に現れるハイリスク疾患。 前置胎盤は子宮口が塞がれるため100%帝王切開が必要となるハイリスク症状。

(2015年6月15日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

生活研究部 研究員

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