「なんで、女性の先輩はセクハラを受け入れるの?」 そう怒っていた私が転職して気がついた事

職場でのセクハラが嫌だった私。テレビ局を辞めて、女性記者たちと一緒に考えた。
フラワーデモで参加者が手にした花=11月18日、長崎市
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN
フラワーデモで参加者が手にした花=11月18日、長崎市

7月の参院選の頃だった。職場のテレビから、ワイドショーが選択的夫婦別姓について取り上げているのが聞こえてきた。

男性の芸能人が、こういう趣旨のことを言った。「俺は導入に賛成。でも女の人の中でも『私は反対』って言う人がいるから」。その口調は暗に、「女性が不利益を訴えている問題だけど、女性なのに反対する人がいる。女性同士の問題だ」と言っているように私は感じた。

ああ、また私たちは「対立」させられた。仕事をしながら、頭の片隅で、ぼんやりとそんなことを考えていた。(選択的夫婦別姓は「選択」の話をしているのだ。夫婦同姓を希望する人、別姓を希望する人のどちらも尊重しようという考えだ。二項対立で考える問題ではないと思う。)

「女の敵は女」ーー。

この言葉を初めて知ったのはいつだろう。小学校高学年ぐらいでもう知っていた気がする。でも、言葉の意味はずっと分からなかった。10代の時、女子生徒の間で意見の違いがあると、男子生徒が「やっぱ女の敵は女だな」「女の対立って怖いよな」と嬉しげに言っている言葉。それを聞いて、「なんか言葉の使い方違くね?」って思っていた。でもなんとなく、「女の敵は女」だとずっと聞いてきたから、「多分そうなのかもね」ぐらいに思っていた。

会社員になって「分断」を感じた

その意味について考えるようになったのは、会社員になってからだ。新卒で入社したテレビ局で配属された部署は、日常的に性的な話題が聞こえてくる環境だった。そして、優秀でその職場に求められているように見える女性の先輩ほど、積極的にそういった環境を受け入れているように見えた。あるいは、見て見ぬふりをしているように感じられた。

私はこの時初めて、自分と他の女性たちの間に「分断」を感じてしまった。こうやって他の女性の行動によって、私の「嫌だ。やめて欲しい」という気持ちは、「少数派の意見」「空気が読めない人の発言」にされていくのだと思った。自分だけが「嫌」と言っても無駄なのだと悟った私は、声を上げなくなった。その方が、この場所でうまく生きて行くのに「有利」だったのだ。その一方で、自分が少しずつ削られ、損なわれていくように感じた。

そういった環境だけが理由ではないが、私は転職した。転職をする際、もう自分や誰かの尊厳が傷つけられている時に黙るのはやめようと決めていた。

誰かが共感してくれるだけで…

転職先の新聞社の職場環境はぐっとよかったが、取材活動の中では、言葉によるものを含めれば数えきれないほどセクハラ被害にあった。(この社会では、働く場に限らず色んな場面で、女性や若い世代、弱い立場の人などがハラスメント被害にあっているのが現実だと実感した。)

転職先では、ハラスメント被害にあうたびに先輩たちに相談するようにした。仕事ができないヤツだと思われるだろうかーー。「取材先との関係が悪くなるから騒ぐな」と言われるだろうかーー。しかし、そんな心配はもう不要だった。周囲に恵まれたこともあっただろうが、いつも自分の気持ちに寄り添ってくれる先輩がいた。

女性の先輩たちは、一緒に真剣に怒ってくれた。時には自分のつらい経験を明かしながら共感してくれた。男性の先輩たちもそうだ。女性の先輩たちと同じように怒ってくれ、「絶対に味方する」と言ってくれたり、「気づかないでごめん」と謝られたりした。

職場に、一緒に考えてくれる同僚たちがいたのだ。誰かが共感してくれるだけで、もう自分を責めることはしなくなったし、自分自身の「価値」が揺らぐように感じることはなくなった。頭の中が自由になり、私の頭の中にいる風見鶏も風を受けて気持ち良さそうにしている。仕事では、取材案や企画が次から次へと浮かんでくるようになった。

花を手にするフラワーデモの参加者=11月18日、長崎市
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN
花を手にするフラワーデモの参加者=11月18日、長崎市

その後、偶然にもテレビ局を取材する部署に異動になり、テレビ局員や制作会社の人たちとハラスメント問題について意見を交わす機会を持てるようになった。私の身近にいた人で、悩んできた女性もいたことを知った。「『そういうもんだ』という空気だから、相談できなかった」と言われた。私たちは擦り切れて、周りの人たちの気持ちに気づきあう余裕さえなかったのだ。

メディアの世界だけではないと思う。長時間労働の職場や同調圧力が強い環境において、私たちは疲れ果て、沈黙と分断をしいられているのだろう。

「女の敵は女」。この言葉は、旧来的な「マッチョで画一的な社会」で、女性たちの本音を押しつぶし、やる気をそぐための「呪いの言葉」なんだと気がついた。

そんな環境では、女性に限らずみんなが、自分の尊厳を傷つけられながら生きていくことになってしまうのではないだろうか。

「WithYouの力が足りない」

11月、長崎市で新聞労連(日本新聞労働組合連合)らが開いたシンポジウム「#MeTooとメディア 私たちは変われるか」に参加した。報道機関の女性記者が、長崎市役所の男性部長(故人)から性暴力を受けたとして、市に損害賠償と謝罪を求める訴訟を起こしており、原告を支える団体が発足したことをきっかけとするイベントだった。

シンポジウムでは、フラワーデモの呼びかけ人の作家・北原みのりさんの基調講演があった。

北原みのりさん=11月17日、長崎市
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN
北原みのりさん=11月17日、長崎市

北原さんは「日本には、WithYouの力が足りなかったんじゃないかと思うんですよね。決して女性たちは黙ってきた訳ではなくて、誰も聞いてくれない社会の中で、声を上げたかった、上げ続けようとしていた。だけど、聞く力が私たちになかったのではないかということを、特にフラワーデモを通して私は突きつけられるような思いになっている」と話した。

フラワーデモを熱心に取材している女性記者の一人に、北原さんが「なぜ来てくれるの?」と聞くと、その記者は「変えたいからに決まってるじゃないですか!」と言ったという。北原さんは「ジェンダーの感覚が鈍いような、『男並み』に働くことが求められる社会で、どれだけ悔しい思いをしてきたのか」と、女性記者・女性たちが置かれてきた状況について考えたといい、講演では「WithYou」の声を社会に広げていきたいと訴えていた。

シンポジウムの翌日、長崎市内の橋の上で行われたフラワーデモには、前日のシンポジウムに出席した記者たちがデモ参加者として集まっていた。

その場では、原告からのメッセージのほか、別の女性が長崎での取材活動中に受けた性暴力被害を打ち明ける文章をデモの参加者が代読した。デモに参加した女性記者たちは花を手に涙を流しながら聞いていた。

記者は容易には泣かない人の方が多いと私は思う。というのも、「記者は感情移入してはいけない」「取材相手と一緒にジェットコースターに乗ってはいけない。客観的に物事を見ることが、社会課題を解決することにつながる」と言われてきたし、そう信じてきた部分もある。でもこの場で、私たちは被害者の一人であったし、おそらく我々はそれぞれの記者生活の中で、「共感」が他者や自分を救うことがあるのだと体感してきたのだ。

「ほんと、シスターフッドだよね」。前日のシンポジウムで、私が職場で「共感」によって救われた経験を話した時、北原さんはそう声をかけてくれた。

私たちは仲間を知り、連帯し始めた。長崎の橋の上には、WithYouの気持ちが確かにあった。

もう、溝があるとは思わない

花を手にするフラワーデモの参加者=11月18日、長崎市
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN
花を手にするフラワーデモの参加者=11月18日、長崎市

先日、他社の女性記者たちと食事に行った。「ちょっと聞きたいんだけどさ、『女の敵は女』って言葉どう思う?」と水を向けてみた。

ある記者は目をキラリと光らせ、言いたいことがあるー!という表情で話しだした。「女性が一人しかいない職場に別の女性が配属されると、男性たちが『女同士は対立するぞ』って期待しだすんですよ。飲みに行ってないだけで、『仲が悪いらしい』って噂される。あなたたちは、全員飲みに行ってるんですかって聞きたいですよ」

その話を聞いた別の記者は、「ったく、めちゃめちゃ連帯するっつーの!」と怒りながら、ちょっと真面目に「私は気づくのに、時間がかかったな」と切り出した。

セクハラをする取材先になびく態度をとる同僚の女性記者がいて、ハラスメントに悩んでいる他の女性記者たちの「邪魔をしないで欲しい」と感じていたという。

「でも、『私たちの断絶を深めているのは何なのか』と考えるようになった。人生を這い上がるためには、『男性に気に入られる』しかほぼ手段がない時代があった。女性がそういう態度をとらざるを得ない歴史的な土台が社会にある。今は、その記者とも分かり合いたいと思って接している」

そう、私たちはもう「分断」の原因がどこにあるのかを知っている。誰も敵なんかじゃないと知っている。

新卒の私に「分断」を意識させた女性たちも、無意識にそうしないと身を守れないと考えて行動していたのかもしれない。これからもそうやって生きていくのかもしれない。それでも私はもう、その人たちと私の間に溝があるとは思わない。この社会を生きている同志だと思う。

そしてもしその人が、自身が何に・誰に抑圧されてきたのかに向き合うことがあるなら、それはきっと苦しい瞬間になるから、その時は私は一緒にわんわん泣きたいと思っている。

抱きとめてやるからな、かかってこい。準備はもうできている。