反トランプ「ウィメンズ・マーチ」:「女性の権利」のための長い闘い −大西睦子

大規模行進による「大統領に対する抗議デモ」は、米国史上初めてです。しかも、政権発足翌日のデモは異常な事態です。

1月21日、トランプ政権発足翌日の朝、マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅のドアを開けると、ハーバード大学の方向から、「女性の行進(ウィメンズ・マーチ)」に参加する若者の集団が通り過ぎていきました。

この日、街中の人たちが、手作りのプラカードを掲げ、ピンク色の猫耳ニット帽(プッシーハット)をかぶり、行進に参加するために「ボストン・コモン」(ボストン市中心部にある公園)に向かいました。プッシーは猫と女性器を意味していますが、プッシーハットは、トランプ大統領の「自分はスターだから、簡単にプッシー(女性器)にさわれる」という過去の女性蔑視の発言に対する抗議を示しています。

ボストン・コモンには、約17万5000人(ボストン市当局発表)もの人が集まりました。

同じ日、ワシントン、ニューヨーク、シカゴやロサンゼルスなどの米都市や、ローマ、パリ、ロンドン、ベルリン、アムステルダムなど、世界各地で同様のデモが行われました。主催者である「ワシントンでの女性の行進(Women's March on Washington)」は、最終的に673カ所に、495万6000人もの人々が集まったと発表しています。

また、『ニューヨーク・タイムズ』(NYT)によると、トランプ大統領の就任式の約3倍もの人々が、女性の行進のためにワシントンに集まりました。トランプ大統領は「就任式はメディアが人のいないところを撮影した」と反論しましたが、写真を見れば違いは一目瞭然です。

このような大規模行進による「大統領に対する抗議デモ」は、米国史上初めてです。しかも、政権発足翌日のデモは異常な事態です。今回は、ボストンの抗議デモの現場から、女性の権利について考えたいと思います。

一夜にして1万人が賛同

そもそも今回の「女性の行進」は、ハワイ在住の引退した弁護士テレサ・シェーク氏が、トランプ大統領が選出されたときに思いつきました。ちなみにシェーク氏は、自分自身をフェミニスト理論家であるとか活動家であるなどと考えたことはありません。

シェーク氏は、友達にオンラインのイベントページの作成方法を教えてもらい、女性の行進のためのイベントページを開設しました。開始日、シェーク氏の就寝前には40人から参加するという返事があったそうです。翌日目覚めると、その数は1万人に跳ね上がっていました。

トランプ大統領は選挙キャンペーン中、女性蔑視の暴言を繰り返してきました。ですから、行進の当初の目的は、トランプ政権に挑戦することでした。つまり、女性たちが行進することで、「あなたがどんな大統領か、私たちはここで監視している」という意思表明を示すことです。その後、グループがより組織化される過程で4人の共同議長が選出され、移民やマイノリティにも行進の参加を呼びかけていったのです。

トランプ政権への挑戦

では、トランプ政権への挑戦とは、具体的にどういうことなのでしょうか。

米国における女性の権利の拡大には、さまざまな医療の進歩や法律の制定が、歴史的に重要な役割を担ってきました。中でも、1960年の「ピルの誕生」、1963年の「男女同一賃金法」の制定、1972年の教育に関与する性差別を禁止とする「タイトルIX(教育法第 9篇)」の制定、1973年の合衆国最高裁判所の「ロー対ウェイド判決」による「妊娠中絶の合法化」は、女性の権利の拡大に革命的な変化をもたらしました。

こうした経緯を経て、米国の女性は、自分の人生を自分でコントロールすることが可能になってきたのです。

ところが歴史の中で、ときに変化は後退することもあります。そして今、トランプ政権下において、多くの米国女性は「性と生殖に関する権利」を失うことに懸念や不安や怒りを感じています。

この問題を考える上で、まず、米国社会の中絶論争を理解しておく必要があります。

米国の中絶論争

ロー対ウェイド判決で、連邦法において妊娠中絶が合法化されましたが、それ以降も中絶を巡る論争は続いています。米国での中絶の議論の核になっているのは、「プロチョイス(pro-choice:妊娠中絶合法化を支持) かプロライフ(pro-life:妊娠中絶合法化に反対)か」、つまり、女性の権利か胎児の生命かどちらが重要かということです。

もし女性に選択する権利があると考えるならプロチョイス派で、胎児の生命を尊重するならプロライフ派ということになります。

もともと共和党は伝統的にプロライフ派の立場を取っており、法的に中絶を禁止する動きを見せています。

それがどこまで影響しているかは分かりませんが、『ブルームバーグ』の調査によると、近年、クリニックで中絶の施術を受ける女性の数は記録的なスピードで減り続けています。2011年以来、全米で21の中絶クリニックが開業したものの、少なくとも162の中絶クリニックが閉鎖しました。

また、米国では過去、プロライフ派の過激な人間が、中絶手術を行っている医師を射殺する事件が複数起きており、そうした州では中絶ができなくなってしまっています。例えばミシシッピー州は、今ではたった一つしか、中絶クリニックがありません。裕福であれば他州に行き中絶することが可能ですが、貧困層には無理な話です。

そうなると、ロー対ウェイド判決以前の時代に頻繁に行われていた「backroom abortion(密室での妊娠中絶)」と呼ばれる中絶が、無免許の人間によって、不衛生な場で行われるようになる可能性があり、当然、母体は危険に晒されることになります。

「家族計画」の医療サービスにも反対

トランプ大統領は、保健福祉(厚生)長官にプロライフ派のトム・プライス氏を起用しました。下院予算委員長を務めていた下院議員のプライス氏は、整形外科医として20年ほどの経験もあり、以前から、オバマ前大統領の「レガシー」である「医療保険制度改革(オバマケア)」反対の急先鋒としても知られていました。

また、「避妊薬の使用や中絶の意志による雇用差別をしない」という、女性を保護するワシントンD.C.の法律に議会で反対しました(ワシントンD.C.は特別区であるため、連邦議員が権限をもっています)。これには、トランプ大統領の支持者ですら衝撃を受けています。

そのプライス長官は、「家族計画に関する医療サービスに対する政府の援助をすべて打ち切る」意向です。

そうなると、中絶や避妊薬の処方、性病治療などを行っている医療サービスNGO「全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America=PPFA)」の援助(年間5億ドル以上)は打ち切りになる可能性があります。このNGOは、今回の大規模デモの中心的スポンサーでもありました。

ある調査によると、PPFAは、2013年6月30日からの1年間で、500万人以上の米国人に医療サービスを提供しています。ただ、多くの米国人は「PPFAは単に中絶サービスをしているだけ」と誤解していますが、中絶サービスを受けた女性はそのうちわずか6%程度にすぎません。しかも、中絶サービスそのものに政府の援助資金を使用することは法律で禁じられているのです。

実際には、PPFAは中絶よりもむしろ検診、出生コントロール、安全な避妊法の教育およびカウンセリング、妊婦のケア、授乳のサポート、妊娠糖尿病スクリーニング、性感染症の予防や治療、不妊症の予防と治療、家庭内暴力のスクリーニングとカウンセリングなど、さまざまな性と生殖に関するサービスを提供しています。これらのサービスは、オバマケアの「予防ケア戦略」の一環なのです。

オバマケアが始まる前は、民間保険の約12%しか妊産婦の保険をカバーしていませんでした。そのため、男性と同じ保険に加入していても、全体では毎年男性より女性の方が約10億ドル多く医療費を支払っていました。ところが、オバマケアのおかげで、年間4700万人もの米国人女性が予防医療ケアサービスを受けられるようになったのです。

まずは貧しい国の女性の援助を断つ

トランプ大統領はオバマケアの全廃を公約の一つに掲げており、就任したその日に全廃を目指す旨の大統領令に署名しています。本来、オバマケアの全廃やPPFAの援助カットを実施するには、そのための法案と撤廃後の代替案が議会で承認されなければならないなど、複雑な手続きが必要です。そこでトランプ政権は、議会の承認なしで決定できる大統領令によって改革を始めていくようです。

そして女性の行進2日後に、「グローバル・ギャグ・ルール(口封じの世界ルール)」と呼ばれる「海外で中絶に関する支援を行うすべての非政府組織への米政府の資金援助を禁止する」大統領令に署名しました。

グローバル・ギャグ・ルールは、1984年にレーガン元大統領(共和党・プロライフ派)が導入し、クリントン元大統領(民主党・プロチョイス派)が1993年に撤廃、さらにブッシュ元大統領(共和党・プロライフ派)が2001年に再開し、オバマ大統領(民主党:プロチョイス派)が2009年に再び撤廃するという経緯をたどってきました。スパイサー大統領報道官は、「トランプ大統領がプロライフ派であることは明らか」と強調しました。

しかし前述した通り、もともと米国の法律は、中絶サービスのための直接的な資金援助を禁止しています。つまり、グローバル・ギャグ・ルールは、中絶サービスをはるかに超えた、避妊や中絶後のケアなど、すべての家族計画サービスを制限することになります。とりわけ貧しい国に住む女性にとって致命的です。

2001年のブッシュ元大統領のグローバル・ギャグ・ルールでは、トランプ大統領よりも規模は小さいものの、開発途上国16カ国が、米国からの避妊薬の輸入の道が閉ざされました。スタンフォード大学の研究者らの報告によると、アフリカにおける避妊薬の使用が減少し、中絶率が高まったそうです。

また、ハーバード大学の研究者らの報告によると、意図しない妊娠のために中絶を選択した女性は世界中で年間約4200万人います。そのうち、ほぼ半分の2000万人の中絶は、安全に行われていません。そして毎年6万8000人の女性が、安全でない中絶で死亡し、妊産婦死亡率の主要な原因の一つになっています(13%)。さらに、安全でない中絶から生き残った女性のうち500万人が、長期の合併症に苦しんでいるのです。

トランプ大統領のこの政策に対して、世界中の多くの慈善団体や政治家が激怒の声を上げています。

共和党上院議員が辞職

さまざまな背景の多くの人が一緒に集まり、暴力もなく平和に行われた行進は大成功に終わりました。ただし、トランプ大統領の政策に、この行進は今後どのような意味をもたらすのでしょうか?

歌手であり、社会活動家のハリー・ベラフォンテ氏は、「行進は、民主主義の偉大な武器の一つ」と言います。たしかに、米国の歴史において、行進は人権問題に大きな影響を及ぼしてきました。ベラフォンテ氏は、1963年3月のワシントンでの行進による公民権運動において、重要な役割を果たしました。そしてベラフォンテ氏はまた、今回の女性の行進の共同議長でもあります。

社会運動の歴史を研究するバージニア工科大学のマリアン・モリン准教授によると、これまでに成功した行進の特徴として、象徴的な意味をもち、適切な場所で行われ、様々なグループを魅了して、明確な政策の目標があることなどが挙げられます。ただし、長期的な効果は、参加者が行進後に帰宅してから、行進の興奮がどれだけ維持できるかによるそうです。モリン教授は、今後数カ月見守ると言います。

今回の行進後、ネブラスカ州上院議員ビル・キントナー氏(共和党)が辞職しました。理由は、トランプ大統領の「自分はスターだから簡単にプッシーにさわれる」発言に対する抗議のサインを掲げて行進に参加した3人の中年女性に対して、キントナー氏が「あなたたちは心配ない」とツイートしたためです。

キントナー氏は、中年の彼女らには誰も興味を持っていないと揶揄したのです。これには共和党員を含む多くの人々が激怒し、党や州議会で懲戒免職処分の意見も出たほどで、その前に自ら辞職する道を選んだということのようです。

こうしてトランプ政権発足翌日から、女性の行進とともに、「女性の権利を守る」ための新たな闘いが始まりました。私は現場の強烈なエネルギーと一体感から、この行進が歴史的な革命をもたらす可能性が高いと感じています。今後も注視し続け、機会を見て報告していきたいと思います。

How Marches in Washington Have Shaped America, NYT, Jan.21

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大西睦子

内科医師、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ在住、医学博士。1970年、愛知県生まれ。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年4月から2013年12月末まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。ハーバード大学学部長賞を2度受賞。現在、星槎グループ医療・教育未来創生研究所ボストン支部の研究員として、日米共同研究を進めている。著書に『カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)。『「カロリーゼロ」はかえって太る!』(講談社+α新書)。『健康でいたければ「それ」は食べるな』(朝日新聞出版)などがある。

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(2017年2月3日「フォーサイト」より転載)

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