吉田調書を読み解く(下) 「津波主因説」の虚構――揺らぐ東電・経産省の「無罪」

3.11から間もなく4年、福島第1原発の過酷事故はすべて、想像を超える巨大津波に起因するという根拠のない思い込みが、日本社会を覆っている。

3.11から間もなく4年、福島第1原発の過酷事故はすべて、想像を超える巨大津波に起因するという根拠のない思い込みが、日本社会を覆っている。しかし、公開された「吉田調書」(故・吉田昌郎元福島第1原発所長の聴取記録)をじっくり読み進むと、この津波主因説が壮大な虚構である可能性が浮かんでくる。東京電力と経産省が企業責任と監督責任を回避するため、事故発生直後から繰り返し主張し、メディアを介して盛んに流布してきた津波主因説の怪しさ、胡散臭さが、現場責任者が思わずもらした本音トークから見えてくる。

「電源喪失問題」

本稿の(上)で、吉田調書には驚天動地の新事実も闇を照らす秘密の暴露もない、と書いたが、それを少々修正することをお許し願いたい。調書に記録された吉田昌郎所長(当時)の話は、東電の企業責任にかかわる核心部分では、慎重に言葉を選んでいて、破綻はない。が、事故現場の実態に関する東京本店の認識不足、政府の無理解、世間の誤解などについては、言葉を荒らげ、わずかながら本音が口をついて出てくる。それを拾ってゆくと、新事実の断片や、秘密の部分的な暴露を、読みとることができる。その典型的なテーマが「電源喪失問題」である。その部分の問答を要約する。

【質問者】交流電源の喪失も、AMG(アクシデント・マネジメント・ガイドライン=事故対応手順書)では、他号機から電源を融通して、その間に電源を復旧させるとなっていて、他号機もやられている場合は使えない。

【吉田所長】今回、一番注意しなければならないのは、電源だけの問題ではないことです。単純に外部電源だけの損傷であれば、大至急別の電線から引いてくるとか、やろうと思えばできるんですね。

今回の事象は極論すると、外部電源並びに内部負荷(電力を受け取り、機器に引き込んで動かす配電盤などの受配電システム)の喪失なんです。外部電源喪失という一言だけで片付けてしまうと、ある意味誤解を生むのではないかと、ずっと思っています。

【質問者】内部負荷まで喪失した場合にどうするかは、手順書には書いてないのですね。

【吉田所長】ええ。本店もそこが分かってないのです。普通の外部電源喪失で、外部の電源さえ復旧すれば、中(内部負荷)は何とかなると思っているばかがたくさんいて......。中がこれだけダメージを受けているのに、いくら電源を持ってきても引き回せるところはきわめて少ないという話はしているのですが、そこはずっと逆でした。

外部からの送電線だけでなく、原発プラント内部の電気系統=受配電システムも破損・喪失していたと、吉田所長は明言しているのだ。これは、未だ何も究明されていない福島原発事故の真因、4基連続の過酷事故に至った道筋、事故全体の構造と骨格にかかわる、極めて興味深い証言である。

「みんな津波が悪い」は本当か?

東電と経産省が流布してきた津波主因説の粗筋、大まかなストーリーは次のようなものだ。

2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生してすぐ、運転中だった1~3号機はスクラム(緊急停止)し、炉内の核反応は収まった。発電が止まったため、スクラム後も崩壊熱と呼ぶ高熱を発し続ける炉内の核燃料を冷却するには、送電線で外部から引いている「外部電源」に頼るしかないが、地震によってそれも失われた。

しかし、原発には多重防護という、二重三重の安全策が用意されており、原発プラント内の非常用ディーゼル発電機がすぐに作動して、ポンプやモーターを動かし、水による安定的な循環冷却が行われていた。

そこに、想定をはるかに超える大津波が来て、ディーゼル発電機は海水につかり、停止した。全ての交流電源を失い、わずかな直流電源も失い、全電源喪失=ステーション・ブラックアウトに陥る。消防車による注水や海水注入などの応急策も、薬石効なく、核燃料は溶融落下(メルトダウン)した。さらに、核燃料のペレットを包んでいるジルコニウム製の燃料被覆管が過熱し、水蒸気と反応して、大量の水素が発生して爆発、3基の原子炉建屋が吹き飛んだ。

すべては、非常用ディーゼル発電機を止めてしまった津波に起因する。地震の揺れでは、原発の安全上重要な機器・システムは何1つ壊れていない。みんな津波が悪いのよ――。

これが東電と経産省が、国内だけでなく、国際機関、国際社会に向けて明言している津波主因説の概要である。筆者は事故発生直後からこの説を強く疑っている。その疑いは、国会、政府、民間、東電と、4つもつくられた事故調査・検証委員会の報告書を読み比べた後に、ますます強く深くなっていった。

「津波主因説」を疑う2つの理由

すべての事柄を一見合理的に説明していて、なるほどと納得してしまいそうな説を、筆者が当初から疑ったのは、2つの理由による。第1は、東電が3.11事故の直後に、可及的速やかに、外部電源の復旧工事に着手しなかったことである。

前掲の調書中の問答で、吉田所長がいみじくも語っているように、単純に地震による断線で外部電源を断たれたのなら、また別の線から電気を引けばいい。東京電力にとって、送電線の引き回しは朝飯前の得意技のはずだが、それがなぜか事故発生後6日もたってから、1、3、4号機の建屋が水素爆発で吹き飛んだ後になって、ようやく始まったのである。

外部から電力を引いてきたとしても、それを受け入れる冷却用の内部負荷=プラント内の電力系統と機器が破損して使い物にならない事を、東電は知っていたからではないのだろうか。津波が来る前に地震そのものによって、すでに内部負荷は破壊されていたのではないか。

事故発生から1カ月後、2011年4月8日にフォーサイトに掲載された拙稿「『東電亡国論』の現実味」には、その疑惑の詳細を記している。

津波主因説を疑う第2の理由は、4年前の3月11日に福島第1と同程度かそれ以上の地震動と津波に襲われた他の2つの原発サイト、東北電力女川原発と東電福島第2原発は、地震の揺れでは外部電源を失うことなく、その動力を使って炉心燃料を冷却し続け、原子炉は今も冷温停止状態を安定的に維持していることである。

核燃料はメルトダウンして行方知れず、建屋は水素爆発で損壊するという過酷事故を起こした福島第1と、決定的な破局を回避できた女川と福島第2。外部電源の有無が両者の明暗を分けたのは否定しようのない事実である。

そこに蓋をして、せっかく起動した非常用ディーゼル発電機を水浸しにして停止させた津波が諸悪の根源だと言い募る「津波主因説」は、相当に胡散臭い。

地震で外部電源を失わなければ、非常用ディーゼル発電機を動かす必要もなく、たとえそれが津波による浸水で動かなくなっても、外部電源があれば炉心核燃料の循環冷却に何ら差し支えはなかったはずである。女川と福島第2が無事に冷温停止している事実が、それを証明している。

お粗末なウソ

問題は、吉田所長が調書で述べている「内部負荷の損壊と喪失」が、地震によるものなのか、津波によるものなのか、判然としない事である。いつの時点で、福島第1原発は、炉心燃料の循環冷却機能を失うような致命的な損傷を受けたのか。そこは事故から4年たっても謎のままだ。

本来なら、吉田所長の口から、内部負荷の喪失という言葉が出た時に、聴取者はその厳密な意味と時期を問うて確認すべきだった。しかし、政府事故調に出向していた検察官の聴取者は、意図的ではないにしろ、そこをスルーしてしまった。

もし、地震の一撃でプラント内部の電気系統が損壊していたのなら、津波主因説は真っ赤な嘘ということになる。外部電源は地震で切れたが、内部の電気系統は生きていて、津波による浸水で配電盤などが破損したのならば、福島第1の過酷事故は、地震と津波の合作ということになる。

そもそも、なぜ福島第1だけが、地震で外部電源を失ったのか。東電は当初、津波で送電塔が倒れたからと虚偽の説明をしていた。鉄塔の倒れた時刻には、まだ津波は襲来しておらず、しかも鉄塔のある場所まで津波は届いていなかったことが判明し、やむなく訂正した。東電がこんなお粗末なウソまでついて、全部津波のせいにして逃れようとしている企業責任とは、いったいどんなものだろう。

地震で鉄塔が倒れて断たれた外部電源は夜の森線と呼ぶ2つの回線で、当時福島第1が受電していた5つの回線のうち、大熊線と呼ぶ他の3回線は、遮断機や開閉器など受変電設備の損傷が原因だとされている。送電鉄塔の倒壊に加え、受電設備の損壊が外部電源喪失の原因だとすると、福島第1の電力系統の耐震性は、悲しいほどの低水準だったことになる。

その辺のあいまいでしどろもどろの東電の説明に関しては、拙著『「原発事故報告書」の真実とウソ』(文春新書)をご参照いただきたい。

朝日新聞の誤謬

吉田調書には、他にも突っ込みどころは少なくない。研究者が指摘する福島原発の地震津波リスクについて、東電経営陣がある程度知悉していて、決して予見可能性がなかったわけではないことを示唆する、吉田所長の述懐も記録されている。

しかし、ここでも検察官である聴取者は、それ以上踏み込んで問うことなく、さらりと流している。責任を問わないという枠組みが課せられている政府事故調の聴取だが、事実関係を明らかにして、後世に教訓として残す責務はあったはずだ。

吉田調書自体ではなく、吉田調書をめぐるメディアの状況も、慎重に読み解かないと、事実が思惑に覆われてしまう。

朝日新聞が、取り上げて後から撤回した「9割退避」問題は、決して筋の悪い話ではない。被災者の福島県民の知らぬ間に、炉心への注水など事故の収束作業をほとんど放棄して、9割の要員が福島第1を離れたのだから、危機管理の在り方としては、議論を呼ぶ問題であることは確かだ。その時、数十人の保安要員と所長が残るのは、ごく当たり前のことで、ことさら英雄視するのは、逆に淡々と責務を果たした「フクシマフィフティ」に失礼だろう。

朝日の記事は、あの見出しで全てをブチ壊した。命令違反とは、どこをどう読んでも書いていない。東電本店の社長らが現場の所長を差し置いて、官邸に9割退避を持ちかけていたことは確かである。所長より上位の命令で、9割退避は実行された可能性すらある。

虚偽が明らかになった従軍慰安婦問題の吉田証言と違い、吉田調書から9割退避問題を抽出したあの記事は、きちんと訂正すべきものではあるが、撤回というのは過剰反応ではないか。それとも原発報道で朝日が少し舵を切るための人身御供なのだろうか。

塩谷喜雄

科学ジャーナリスト。1946年生れ。東北大学理学部卒業後、71年日本経済新聞社入社。科学技術部次長などを経て、97年より論説委員。コラム「春秋」「中外時評」などを担当した。2010年9月退社。

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(2015年3月8日フォーサイトより転載)

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