娘はかわいいし、幸せ。なのに苦しい。 産後うつと強迫性障害に苦しんだ2年半の記録

きっかけは、保育園で園長先生に言われた「この子、人見知りしないね」だった。
fujita

「生き地獄みたいなところで、ひとりで戦わないといけなかった」

長女を産んでからの約3年、産後うつと強迫性障害に苦しめられたイラストレーターの藤田あみいさんは、当時のことをそう振り返る。藤田さんにとって初のエッセイ集となる『懺悔日記 子どもの愛し方を知るまで』(マガジンハウス)は、壮絶な戦いの記録だ。

彼女は何と戦い、どんな風に苦しみ、どうやって平穏な日常へと戻ってくることができたのか。藤田さんに話を聞いた。

産後うつ:出産後2~3週間、または数カ月経ってからイライラ、疲れやすさ、無力感、不安発作、食欲不振、不眠などの症状が継続するうつ病の一種。

強迫性障害:自分の意思に反して湧き上がる強い不安について「考えずにはいられない」「しないではいられない」とこだわり、同じ行動を繰り返してしまう不安障害の一種。

「人見知りしない」の一言が不安を引き起こした

藤田さんは「懺悔中」のブローチをつけていました
Kaori Sasagawa
藤田さんは「懺悔中」のブローチをつけていました

――日常的にあまり使わない「懺悔」をタイトルに選んだのはなぜでしょう。

私、「懺悔」って漢字で書けないし(笑)。使わないですよねぇ。

そもそもは昔、妹が子どものときに書いていた日記から取ったんです。「お姉ちゃんとケンカした」とか書いてあるだけの普通の日記なんだけど、タイトルが「ざんげ日記」。

入院中に一気に(原稿を)書き上げたときに、そのことを思い出して「あ、懺悔日記ってぴったり」と思ってそのままつけました。死にそうになっていたのに何言ってんの、って思われるかもしれませんが。

――2歳の娘さんと離れて、ストレスケア病棟に9日間入院していた時期ですね。藤田さんが、産後に精神的な「しんどさ」を感じたのはいつ頃からだったのでしょうか。

娘が生後8カ月になった頃です。それまでは頑張って「いいお母さん」になろうとしていた。

でも見学に行った保育園で園長先生に言われた「この子、人見知りしないね」いう言葉に引っかかって、ネットで調べたら「発達障害」「自閉症」という検索結果がたくさん出てきて。

そこから悩みすぎて、どんどん苦しくなっていきましたね。

――保育士の「人見知りをしない」という何気ない一言が、結果的に強迫性障害と産後うつのトリガーになってしまった。

でも、きっかけはなんであっても結局はそうなっていたんだと思います。私の場合は「娘が発達障害かもしれない」という不安の形をとったけれど、もしかしたら他の誰かにかけられた別の一言がきっかけになっていた可能性もあります。

いずれにせよ、8カ月で心の限界が来たんでしょうね。よく8カ月もった、ともいえるかもしれないですが。

ポジティブなように見えて縛りつけてくるもの、が世間にはたくさんある

――不安に飲み込まれて、抜け出して、また飲み込まれて。今ふり返って、強迫性障害や産後うつの頃は、どんな心境でしたか。

先が見えないというか、真っ暗闇でした。地獄。生き地獄みたいなところで、ひとりで戦わないといけなかった。つらかったです。

娘はかわいいし、幸せ。なのに苦しい。いつ壊れるかわからない幸せを手にしているから、壊れたらどうしようという不安がずっと消せない。

壊れるかもしれない幸せを持っていることが怖かった。この幸せがなくなったら、自分が自分ではいられなくなるんじゃないか、って。

――初めての子育てで、同じような不安を感じている人は多いと思います。

取り込まれますよね。不安に。「子育てはこうあるべき」とか、「こうしたら子どもは幸せになれる」とか、ポジティブなようで自分を縛るだけのものに、すごく影響を受けてしまう。

こっちは親をやるのは初めてだから、どうやって育てたらいいかわからない。だからとりあえず、よくある「型」に自分も子どもも何とかはめようとするんだけど、うまくいかなくなって、うわーってなるという......。

――藤田さんの場合、産後うつと強迫性障害が絡み合って併発したのでしょうか。

強迫性障害が先でした。その症状が酷くなって、ちょっとよくなってきた後にうつが残った、という感じですね。

死にたいわけじゃなく、思考をやめたかった

Fujita

――心療内科に相談し、精神安定剤を服用することで症状は快方に向かいます。けれども再び大きな不安の渦に飲み込まれてしまう。母娘ふたりで自宅での夕飯を終えたある日、日常の延長線上のように、藤田さんが大量に薬を飲むシーンが淡々と描写されています。

読んでいる人にとっては、いきなりと感じますよね。あれは自殺未遂って言われたら確かにそうなんだけど、私としては、とにかく良くなりたくて色んなことを試してみて、その中の1つだった、という感覚なんです。過激な方法ですけど、そういうやり方しかあのときはできなかった。

――「死にたい」のではなく、苦しさから逃れたかった?

はい。死んじゃったら気持ちはなくなるじゃないですか。そうなれたらどんなに素敵だろうか、とそのときは考えていて、その思考をやめたかったんです。

頭が考えることに疲れちゃってたんですね。

だから、「寝たい」という気持ちと一緒くらいの感覚だったんです。寝て起きたら目は覚めるじゃないですか。そしたらまた不安について考えてしまう。もう目が覚めないようになりたかった。

正直に言うと忘れたい記憶

――2度の自殺未遂を経て、症状は悪化。それでも「娘のために絶対に治したい」という希望を原動力に、「認知行動療法」というカウンセリングを自力で見つけ出します。

「強迫性障害には認知行動療法が効く」っていう情報をネットで見つけたので、調べてみたら偶然、近所にそういう病院があったんです。早速そこに駆け込んで。

最初は(これまでの経緯をお話するだけだったので)「なんでこれでお金取られるんだろう」って思ったんです。でも3回目くらいのときに、ちゃんとバチッと答えを導いてくれることがあって、「これはすごい。カウンセリングってこういうことなんだ」って初めてわかった。

いい先生に出会うことができれば、カウンセリングはすごくいい治療法だと私は思います。

あとは「書く」ことによって昇華できた部分も大きい。出版のお話をいただいたものの、すごく嫌な思い出だったので本当は本にしたくなかったんです。それでもあの苦しい経験を少しでもプラスに働かせたいっていう気持ちもあって、入院中に一気に書き上げました。

正直に言うと忘れたい記憶だし、今も忘れつつあるんですね。だから、今まさに産後でつらい思いをしている人たちに、今の私が完全に共感できるか、っていうと多分できない。

でも、この本の中の「私」だけは誠実だと思うので、この本が誰かの助けになれば、という気持ちです。

――あとがきの最後に書かれている「娘へ」のメッセージからは、いつかこの本を読む娘さんへの愛と配慮が言葉を尽くして語られています。

娘がいつ読むのか、そのタイミングは慎重に考えようと思っています。「好きだから苦しかった」ということが、ちゃんと伝わるように書いたつもりだけど。伝わるといいんだけどな。

(取材・文:阿部花恵、編集:笹川かおり)

藤田さんの新著『懺悔日記 子どもの愛し方を知るまで』はマガジンハウスから発売中。

藤田あみい/マガジンハウス