「安倍首相の秘密兵器」昭恵夫人の「発信力」を分析する

安倍晋三首相夫人の昭恵氏は、日本の歴代首相夫人の中で最も外国メディアに取り上げられている。

安倍晋三首相夫人の昭恵氏は、日本の歴代首相夫人の中で最も外国メディアに取り上げられている。自分の考えをはっきり述べ、社会問題にも積極的にかかわり、時に夫の政策にさえ反対する。ここに外国は日本社会の新しい胎動を見ようとしているようで、夫人は小さくない役割を果たしている。

米大統領夫人と対等の立場

3月19日、昭恵夫人は来日したミシェル・オバマ米大統領夫人と、東京都内で女子教育に取り組む日米協力の覚書を交わした。ミシェル夫人が主導する「女の子に教育を(レット・ガールズ・ラーン)」構想の推進のため、途上国にボランティアを送っている米政府組織「平和部隊」と日本の青年海外協力隊の協力関係を強化するものだ。この後、両夫人は約200人の女子学生たちを前に講演した。

映像で見ると、昭恵夫人は講演を終えると堂々とミシェル夫人と握手し、些かもひけをとっていない。ペコペコなりがちな歴代の首相夫人と比べ自信に溢れているのは、ファーストレディーたちとの交流に慣れ、何を語るべきか、どう行動すべきか知っているからだろう。

そもそも社会問題に積極的にかかわっている昭恵夫人だからこそ、ミシェル夫人と対等の立場で覚書を交わせた。そうでなければ無難に首相とミシェル夫人の間の署名となっただろう。

カナダの日刊紙『モントリオール』の解説委員はこう書いた。

「ミシェル夫人は日本で昭恵夫人という提携者を見出した。昭恵夫人はビルマにおける教育問題を修士論文のテーマにし、しばしば首相である夫の政策にも公然と反対する。2人のファーストレディーは手に手をとって途上国の女の子たちに学校の門をこじ開けようとしている」

女子の教育問題にかかわる上で昭恵夫人は十分な背景と資格を持っているとの指摘だ。他の欧米メディアも2人の様子を似たようなトーンで伝えた。

「得意なことを」

昭恵夫人には外国メディアからインタビューの申し込みが相次いでいる。昨秋、『ワシントン・ポスト』はインタビューを踏まえ、

「昭恵夫人は安倍首相の秘密兵器」

と書いた。昭恵夫人の言動が安倍首相の保守派のイメージを和らげているというのだ。

韓国『中央日報』は夫人との一問一答で、

「韓国について安倍首相にはどのようなことを伝えているのか」

と質問している。夫人は、

「韓国の人々とさらに親しくしたいという話は度々する。自分が韓国関連の行事に行くことにも夫は積極的に賛成している。私を非難する人々もいるが、夫は私を支持している」

と答えている。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』の電子版は昨年9月、東京で開催された女性会議で、ブレア元英首相のシェリー夫人と溌剌とやりとりする昭恵夫人の様子を紹介し、

「日本では首相夫人は慎み深く謙虚であることが期待されていた。......しかし今回のパネルディスカッションで実力を発揮しつつある首相夫人の姿を垣間見ることができた」

と指摘した。

しかし昭恵夫人は最初から自信に満ちていたわけではない。昨年5月、ある財団の講演で、

「夫が首相になった時(2006年9月の第1次安倍政権)、首相夫人として何をやったらいいか分からなかった」

と率直に明かしている。

この年の11月、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席する夫に同行してベトナムのハノイに行った。どきどきしながら夫人プログラムに参加していた時、ブッシュ米大統領のローラ夫人の車に同乗する機会があったという。

「ローラ夫人に『ファーストレディーは何をしたらいいのでしょう』と聞くと、『自分が得意とするところをやればいいのよ』とアドバイスしてくださいました。夕食会で夫人が厨房に入って、働いている人に気さくに声をかけているのを見て、こういうことをすればいいのだと、気が楽になりました」

と、語っている。

怖いものなさの開き直り

しかし第1次政権はまだ様子見だった。夫人が本領を発揮し始めるのは第2次安倍政権(2012年12月~)からだ。自分の意見をはっきり言うようになり、自分から主導権をとるようにもなった。不本意な第1次政権での経験を経て怖いものがなくなった開き直りもあるだろうし、夫が首相を辞めた後、大学院に通って、多様な意見と接するようになったことも大きかったと思われる。

東日本大震災の被災地における巨大な防潮堤の建設反対運動に参加し、原発や環太平洋パートナーシップ(TPP)協定への反対を口にし、昨年はゲイやレスビアンなどへの差別反対のデモに加わった。嫌韓派の批判にもかかわらず、韓国関係のイベントにも積極的に参加している。

女性の権利拡大運動や、身障者支援も言うに及ばない。夫人の発案で、4月からフラワーアレンジメントの技術を習得した身障者たちが首相公邸で花を生けている。

一昨年6月、フランスのオランド大統領が来日した際、夕食会で大統領と事実婚関係にあるトリルベレールさんと昭恵夫人はアフリカの女性問題で意気投合し、

「来年(2014年)コンゴに一緒に行きましょう」

と決めた。残念ながらその後大統領が別れ、実現しなかったが、トリルベレールさんはその後に出版した著書で、その秋にパリで開いた女性会議で昭恵夫人が積極的に手伝ってくれたことにわざわざ触れている。

批判もブロックしない

ファーストレディーの役割は21世紀になって変わってきた。かつては社交が中心で、夫が会議に出ている間、ファーストレディーたちは観光やお茶や懇談で時間を過ごした。しかしいまは社会問題に積極的にかかわり、発言する。自分たちの言動が国や国際社会を動かす大きなメッセージになると知っているからだ。

日本の歴代の首相夫人が社会問題に関心がなかったわけではないし、身障者問題にかかわっていた人もいた。しかし夫へのマイナス・イメージや政治的波紋を怖れてロー・プロファイル(目立たず)に徹したため、広く社会へのメッセージにならなかった。この点で昭恵夫人はこれまでの日本の首相夫人像を打ち破った。

国内には昭恵夫人の「家庭内野党」ぶりに対し、

「世論を念頭に置いた夫婦の巧妙な役割分担」

と、辛辣な声もある。

しかし昭恵夫人が本来は一部でしか知られていなかった問題を多くの人の関心事にし、論争の場に引き出している面もある。また日本社会が実現しようとしている理念や、政治の論理に埋もれがちな意見を夫人が代弁していることも事実なのだ。

昭恵夫人はフェイスブックで自分の活動を発信しているが、当然、容赦ない批判的な書き込みもある。これについて、

「私は強い人間ではないので、批判的なコメントにはへこむこともあります。しかしブロックも削除もしません。それは結果的には世界から見て日本は何と自由な国なのだろうという評価にも繋がると思います。批判もどんどん受け付けます。お返事はしなくとも全てのコメントは読ませて頂いております」

と書いている。批判を削除したりブロックしないという姿勢は大切だ。

夫人は安倍首相の精力的な外遊にほとんど同行している。今後も4月末の訪米、ドイツの主要国首脳会議(G7サミット)と重要な外遊が控えており、昭恵夫人がその言動を通してどう日本を発信するか、ファーストレディー外交が注目されるのである。

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西川恵

毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、論説委員を経て、今年3月まで専門編集委員。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、本誌連載から生れた『ワインと外交』(新潮新書)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。本誌連載に加筆した最新刊『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)が発売中。

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(2014年4月15日フォーサイトより転載)

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