「バイクで世界一周」に挑む「異色カップル」の「ユーラシア」「南北アメリカ」3大陸制覇の旅(1)--フォーサイト編集部

「5年前にツーリング先の北海道で、外国のステッカーがたくさん貼られたバイクに目が留まりました。持ち主と話してみたら、19歳の頃から世界を旅していると言う。それが彼だったわけです」

長野ナンバーの「ホンダ」の左向こうにドデカく白い山が見える。だが、槍ヶ岳でも穂高岳でも、もちろん富士山でもない。

ここはアラスカ。あれはかつて「マッキンリー」と呼ばれていた標高6000メートル超の北米最高峰、デナリだ。冒険家の植村直己氏が姿を消した山、と言った方がピンとくるだろうか。

このライダーは小林剛さん(47)。写真を撮影したパートナーの二俣明日香さん(31)と「バイクで世界1周」に挑んでいる。2017年5月から2018年7月にかけてユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断を達成し、さらに北アメリカ大陸最西端を目指してアラスカに足を延ばした。長野は小林さんの地元である。

「若い頃から植村さんに憧れていた身としては1度でいいからこの目で見てみたかったのです。ただ、なかなか見えないことで知られるデナリ。アラスカは天候が不安定で、7~8月は1カ月に2~3日しか晴れません。こんな風にはっきりと姿を拝めたのは、本当にラッキーでした。今までいろんな山を見てきたけれど、デナリはスゴい。ある意味で"世界一高い山"ですからね」

そう、標高では8848メートルのエベレストが世界一だが、麓と頂上の高低差(比高)はデナリが5600メートルとダントツ。麓から見上げた時の高さは「世界一」なのだ。

通過国50カ国、走行距離8万キロに及んだ旅路は、一体どんなものだったのだろう。

いったん帰国し、次なる大陸への挑戦に向けて準備中の2人に振り返ってもらった。

仕事を辞めて旅に

「なぜバイクで旅に?とよく聞かれるのですが、何か特別な理由があったわけではなくて......」

そう二俣さんは言うが、彼女は「元」教師。日本の中学に4年、ドイツの日本人学校に3年勤めたところで仕事を辞め、旅に出た。本来は「特別な理由」でもなければできない一大決心だろう。

「いろんな子どもたちと接し、彼らから多くのことを学ぶ中で、もっと自分の視野を広げたいなと思うようになったのです。海外に行って見たり聞いたり感じたりしたことを子どもたちに伝え、何かお返しができたらいいなという漠然とした思いがあった。なら、好きなバイクで行ってみるか!と」

二俣さんのバイク歴は10年。北海道と九州で長期のツーリングは経験していたものの、どれもコンクリートで舗装された道路。オフロードは未経験だった。

隣に若い頃から世界を旅してきたツワモノがいなければ、実現しなかった旅だろう。

「5年前にツーリング先の北海道で、外国のステッカーがたくさん貼られたバイクに目が留まりました。持ち主と話してみたら、19歳の頃から世界を旅していると言う。それが彼だったわけです」

小林さんが続ける。

「僕が高校生の頃は、クラスのみんながバイクの免許を取るような時代でしたからね。最初は隣の県に行くだけで楽しかったのが、遠くへ行けば行くほど"もっともっと"となり、日本一周、オーストラリア大陸一周と来て、28歳の時に世界一周の旅に出ました。カナダからアルゼンチンまで南北アメリカ大陸を縦断した後、ヨーロッパから中東、アジアを通ってユーラシア大陸を横断し、30歳で帰国。今回は2度目の世界一周です。彼女も僕と同じくらいの年齢で初挑戦したわけですが、きっと大抵の人が色んなことを考えて思い留まるところで、"とりあえずやってみよう!"と先に行動に出てしまうのが、僕らなのでしょう(笑)」

すると、横から二俣さんの声が飛んできた。

「でも今、"もう1度モンゴルに行け"と言われても、無理ですよ! 絶対、無理!」

モンゴル、そこでは予期せぬ展開が待っていた。

「橋が、ない......」

ドイツから帰国した二俣さんは、日本で旅支度を整えていた小林さんと合流し、2017年5月に日本を出発した。

正式なスタート地点は、2人の"相棒"が生まれた「本田技術研究所二輪R&Dセンター」(埼玉県朝霞市)。二俣さんは「ホンダXR250」 に、小林さんは初めて世界一周に挑戦した時からの愛車、「ホンダXRV750アフリカツイン」に跨り、いざ大陸へ。

鳥取県境港市からフェリーで海を越え、ロシアのウラジオストックに上陸すると、いよいよユーラシア大陸横断のはじまりだ。

"事件"が起きたのは、シベリアからモンゴルへ下り、首都ウランバートルを通過してしばらく経った時のことだった。

「再びロシアを抜けてカザフスタンに入ろうと、ロシア国境までのルートをグーグルマップで確認したのです」

と、小林さん。

「途中に川があり、僕らの進んでいた道には橋が架かっていました。そう描いてあったら信じるじゃないですか。ところが行ってみたら、ない。橋が、ない。残骸らしきものが川に落ちていて、要は古い情報だったわけです。川幅はそれほど広くないものの、流れが急で、バイクではとてもじゃないけど渡れません。引き返すか迂回路を探すか、選択肢は2つに1つ。僕らが選んだのは後者でした」

しかし、探せど探せど見つからない。やがて日が暮れ、辺りが真っ暗になると、一歩も進めなくなった。

二俣さんが言う。

「人もいない、民家もない、羊すらいない。そんな山奥でテントを張って野宿するしかなく、"明日橋が見つからなかったらどうしよう""生きて帰れなかったらどうしよう"と、悪い想像ばかりが働いた。翌日、やっとの思いで橋を見つけた時は、2人して号泣しました。橋を見て泣くなんて、なかなかない経験ですよね(笑)」

川や野宿の写真があれば切迫した状況がより伝わるのだが、写真を撮っている場合ではなかったということで、ご勘弁願いたい。

もちろん、悪いことは良いことの前触れであったりもする。実際、この後に訪れた「イスラム圏」は、いい意味でサプライズだったという。(つづく)

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(2018年12月29日
より転載)