【ブックハンティング】暴走するアメリカの官僚制度

「暇ができるとその時間を満たすだけ仕事量が増える」「金は入っただけ出る」。言わずと知れたパーキンソンの第1と第2法則である。ガモンの法則というのもある。

「暇ができるとその時間を満たすだけ仕事量が増える」「金は入っただけ出る」。言わずと知れたパーキンソンの第1と第2法則である。ガモンの法則というのもある。「無用な仕事が有用な仕事を駆逐する」。公務員の数はいかにして増えるのか、公共予算にはなぜムダが多いのか説明してくれる経験則だ。

「農業人口5分の1」なのに「職員35倍」

前者のパーキンソンはイギリス植民地の数が減れば減るほど逆に植民地省の役人数が増加したデータ(1935年の372人から1954年の1661人)から、こうした法則を提唱した。ガモンの方は、同じくイギリスの国民保険制度を調査し、職員数28%増に反比例して、国保病院のベッド数は11%減ったことから法則を導いた。

これらの法則は、アメリカにも当てはまる。たとえば、1900年には、農業人口1100万人に対して農務省(USDA)職員数はわずか2900人だったのに、2014年現在、農業人口は200万人と5分の一以下に減少したが、職員数は10万人と35倍を超えたのだ。1900年には300万ドルだった予算は現在、1480億ドルと5万倍まで膨張を続けている(その内、72%は農務省の本来業務とまったく関係ない、低所得世帯への食費支援予算。日本の生活保護に相当)。

38の官庁が独自のSWATチーム

『国家を喰らう官僚たち アメリカを乗っ取る新支配階級』は、こうした官庁の肥大化・非効率化の末に何が起きるのか、実話をもとに解き明かす。ある日突然武装した官僚がやってきて、ウサギを売った子供に数億円の罰金を科したり、ミルクを他州に売った農家を次々と襲撃したり、自分の土地に家を建てただけの市民を投獄する......。

こんなことが起こる原因として、著者のランド・ポール上院議員は、選挙で国民に選ばれたわけでもない官僚が勝手に作りあげた過剰規制を筆頭に挙げる。「各省庁の規制の中に推定数万の犯罪事実や行為の規定」があるという。官僚しか掌握できていない膨大な規制の中で、国民は何が罪になるのかまったく見当がつかないまま、いきなり武装官僚に襲われ「自由と財産」が奪われるのだ。

そんな規制を錦の御旗に、アメリカではあまりに官僚の数が増えてしまい、専門家でさえその正確な人数を把握できない。それどころか、もはや各省庁の組織数さえわからないほどだという(一説には、末端組織を含めて2000以上の組織があるといわれる)。わかっているのは、武力を行使できる官庁・機関が38もあるということだけだ。驚くべきことに、アメリカでは農務省や食品医薬品局(FDA)といった官公庁まで独自のSWATチーム(特殊火器戦術部隊)を持っているのだ。

そして、彼らは自らの組織を維持し、さらに権限を拡大するために、公然と何の罪もない国民を虐待し、搾取し始めたのだ。もしパーキンソンやガモンが本書を読んだら、どんな法則を導くか。おそらくそれは次のようなものになるだろう。

「官庁は本来の役割がなくなればなくなるほど、暇すぎて、国民を虐待するまで暴力化する」

「VW排ガス不正」を別角度から見ると

目下、話題になっている「フォルクスワーゲン(VW)排ガス不正」問題も、官僚支配という視点から眺めると、見え方がちょっと違ってくる。

VW問題を扱っている官庁は、本書で繰り返し批判されている環境保護庁(EPA)である。今回、VWを糾弾する根拠となっているのは「大気清浄法」だが、この法律は本書に登場する「レイシー法」や「水質浄化法」などの悪法と類似している。もし仮に本書で展開されている議論をVW問題に当てはめてみれば、その背景は以下のような見立てができる。

現代アメリカにおいて自動車による大気汚染問題はほとんど解決している。にもかかわらず、EPAはそれを決して認めない。認めてしまえば、EPAの存在意義が半減してしまうからだ。だから、大気がきれいになればなるほど、むしろ、規制を非合理的に強化し(排ガス規制に関する試験など)、本書にも再三登場する「訴訟による規制(regulation by litigation)」、そして「過剰厳罰化(Overcriminalization)」を推し進める。

実際、VWの排ガスに対して被害を訴えている者は1人もいないにもかかわらず、EPAが同社に科した制裁金は2兆円超である。EPAはその一部を収入として得るとともに、勧善懲悪のヒーローという自己演出によって、文字通り組織の生き残りを図っているというわけだ。語弊を恐れずにいえば、EPA官僚の暇つぶしと自己利益のために、世界最高峰の自動車メーカーが窮地に立たされているという見方が成り立つ。

「悪法も法なり」と言われれば、誤魔化そうとしたVWが悪いのは確かだが、規制自体に問題があることを誰も指摘しないので、ここで筆者が言っておく。

本書のもう1つのテーマ、「政財官の癒着構造」という視点からも、VM問題は解釈できる。じつはVWの政治献金額はその他主要メーカー平均の10分の1以下といわれている。つまり、いざという時にEPA官僚の攻撃を抑え込んでくれる"味方"の議員がいないということである。実際、アメリカのメディアでは、今回の摘発の背景にはVWの政治献金の少なさが影響していると指摘する解説記事が出ている。

日本人にとっても他人事ではない

日本人にとっても、本書に出てくる話は、決して「対岸の火事」ではない。

たとえば、私の専門である農業にひきつけて言えば、日米の農業官庁はまったく同じ構造的問題を抱えている。冒頭でアメリカの農業人口が減少したのに農務官僚数が増えたことを指摘したが、日本でも農業就業人口は2000年に42%も減少したにもかかわらず、農水省本省の職員数はまったく減っていない。

振り返れば、1970年代、需要を上回るコメの生産を達成したとき、日本の食料問題は解決し、農水省の仕事はなくなるはずであった。そこで困った農水省は減反規制を執行する一方で、矛盾する「低い食料自給率」という概念を持ち出して国民に「飢えの恐怖」を想起させ、官僚支配を再強化した。アメリカのミルク規制と同様、日本でも県外にコメを売ろうとした農家に対して、食管法違反のかどで警察が検問を敷いたのもつい一昔前のことだ。

昨今は「減反廃止」とも報道されているが、実際はその根拠法令・規制(「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」など)は改正されず、残存されたままだ。それを楯に今では人間が食べるコメを減産させ、家畜に食わすコメ(飼料米)増産へと罰当たりの規制強化を図っている最中だ。最近妥結されたTPP(環太平洋パートナーシップ)にしても、その裏で農水省の「国家貿易」権限が強化されたことは、まったく認識されていない。まさに「国家を喰らう官僚たち」だ。

日米の官僚たちにしてみれば、あらゆる規制は「国民の安全のためにある」と反論するだろう。しかし、本書は冒頭から明確な政治哲学でそれに反駁する。曰く、「自由と安全は同義ではない」「自由を安全と交換するものは両方とも手に入れられない」「専制的な全体主義社会だけが(中略)絶対な安全を主張する」「自由とは政府の干渉なしで生きる市民の能力によってはじめて存在するのだ」。

ポール上院議員の言動は抽象論では終わらない。官僚の権力乱用を抑制する法案を次々と提出していく。可決する前にその内容を議員にじっくり読ませる「法案を熟読せよ」「1度に1議題」法案から、「REINS(監視の必要性に関する行政機関の規制法)」「環境と私有資産の保護法」法案まで何度も議員立法を試みるが、いずれも奮闘むなしく否決され現在に至っている。

しかし、ポール議員はあきらめるどころか、今年、ついに大統領選への立候補を表明した。官僚というアメリカの「新支配階級」に対するポール議員の戦いは、まだ始まったばかりである。

『国家を喰らう官僚たち: アメリカを乗っ取る新支配階級』ランド・ポール/著 浅川芳裕/訳 新潮社

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浅川芳裕

1974年、山口県生まれ。エジプト・カイロ大学文学部セム語専科中退。英語、アラビア語通訳・翻訳、ソニー中東新興国市場専門官、『農業経営者』副編集長を経て独立。フリージャーナリスト、コンサルタント。著書にベストセラー『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書)ほか。

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(2015年10月16日フォーサイトより転載)

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