海自護衛艦「カムラン湾寄港」の読み方

海上自衛隊の護衛艦「ありあけ」と「せとぎり」が4月12日、南シナ海を臨むベトナムの"軍事要衝"カムラン湾に寄港した。

海上自衛隊の護衛艦「ありあけ」と「せとぎり」が4月12日、南シナ海を臨むベトナムの"軍事要衝"カムラン湾に寄港した。日本の艦艇寄港は、戦後初めてのことだ。

昨年11月にハノイで行われた日越防衛相会談では、航行の自由の重要性を訴えていくことで一致し、海自艦艇を寄港させることで合意した。寄港したのが、毎年行っている哨戒機のパイロットや戦術飛行士の要員となる飛行幹部候補生を乗せた練習航海部隊とはいえ、それが早くも実現したことになるわけだが、そもそもなぜこの寄港が重要な意味を持つのか。

それを読み解くには、カムラン湾と中国の南シナ海進出との深い関連を見ていく必要がある。

「力の空白」に乗じる中国

カムラン湾はベトナム中南部に位置する天然の良港だ。その東海上には南沙(スプラトリー)諸島、北東には西沙(パラセル)諸島が、そして北には中国の海南島があり、中国や南シナ海、インドシナ半島を見渡せる絶好の位置にある。それゆえフランス植民地時代から軍事拠点として用いられてきた。

一方、1949年に成立した中華人民共和国は、すぐさま南シナ海進出を目論む。まず狙ったのは西沙諸島。だが目障りなのは、カムラン湾から南シナ海を睨む大国の存在だ。当時は、インドシナ半島に戻ってきたばかりのフランスだった。

ところが1950年代、フランスがインドシナ戦争に敗北してカムラン湾から撤退すると、その「力の空白」に乗じて、中国は西沙諸島の東半分を占拠した。だが動きはここまで。ベトナム戦争が始まり、南ベトナムを支援するアメリカがカムラン湾を使用するようになり、「力の空白」が埋められたからだ。

そのアメリカも、73年に南ベトナムから撤退すると翌年中国は、西沙諸島の西部に艦艇部隊を派遣、交戦の後、西沙諸島全域を占拠した。これもまた、カムラン湾の「力の空白」に乗じたものだった。

75年のベトナム戦争終結後、カムラン湾を軍事基地として利用したのはソ連だったが、80年代半ばになって駐留ソ連軍が縮小し始めると、中国は南沙諸島への進出を開始し、88年には諸島の6カ所を占拠。2002年のロシア軍撤退を挟み、南シナ海への進出にいっそうの拍車をかけ、現在に至る。カムラン湾における「パワー」の不在が、中国の野心を現実のものにしているのだ。

「力の空白」を一時的に埋めた海自護衛艦

ならばベトナム自身がカムラン湾における「パワー」になればいい、という見方もあるだろう。しかし彼我の力の差は圧倒的に開いており、二国間関係ではこれまで太刀打ちできなかったのが実情だ。

ただ中国にも弱点はある。ひとつは、問題が「国際化」すると、二国間関係ほど声高ではなくなる傾向があること。もうひとつは、これまで見てきたように、「パワー」が存在し力の空白がなくなると容易に動けなくなることである。

ベトナムにとって、このふたつの弱点を突く政策が、今回の海自護衛艦のカムラン湾寄港だった。日本を巻き込むことで南シナ海問題を国際化できるうえ、もちろん常駐ではないものの、日本にカムラン湾について関与させることで一定期間「力の空白」を埋められる。日本にしても今回の寄港は、「中国の力による現状変更を許さない」ため、東シナ海だけでなく南シナ海にも関与するという意思を、内外に示す絶好の機会となったのである。

なお、カムラン湾寄港に先立つ4月3日には、護衛艦「ありあけ」「せとぎり」に加え、練習潜水艦「おやしお」の3隻が、フィリピンのスービック港に入港している。また全通甲板型のヘリコプター搭載護衛艦「いせ」が、インドネシアでの観艦式や国際共同訓練に参加後の4月26日に、スービック港に寄港することも発表された。

かつてアジア最大の米海軍基地があったスービック港だが、1992年にフィリピンに完全返還されたことで、カムラン湾と同様の「力の空白」が発生し、南シナ海情勢の悪化を招いた。近年再び軍事拠点化が進められようとしている中での護衛艦の相次ぐ寄港は、カムラン湾におけるそれと全く同じ意味を持っているのである。

「軍艦」による「平和外交」

「力」というと、どうしても「攻撃力」としての軍事力を想起させてしまうだろう。だが今や先進諸国が軍事力を持つ意味の多くは「抑止力」のためである。作戦行動におけるフェーズゼロ、つまり平時においては、戦争をさせないという「現状維持戦略」が重要なのだ。確かに南シナ海情勢は険悪だが、護衛艦の行動はいたずらに軍事的緊張を誘発するものではない、と読む必要がある。

海自の護衛艦は国際法上「軍艦」と認識されており、公海上でも外国領海内でも外国港内でも、治外法権の存在であることが保証されている。つまり護衛艦は、「海上を移動する国家」、「日本」そのものなのだ。だから護衛艦の外国寄港は軍事的というより、外交的な意味をより強く帯びる。現地関係者と握手をし、言葉を交わすことが、そのまま外交活動なのだ。

今回の「ありあけ」「せとぎり」のカムラン湾寄港はその意味で、南シナ海での紛争抑止を目的とした"積極的平和主義"外交の一環なのである。

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伊藤俊幸

元海将、金沢工業大学虎ノ門大学院教授、キヤノングローバル戦略研究所客員研究員。1958年生まれ。防衛大学校機械工学科卒業、筑波大学大学院地域研究科修了。潜水艦はやしお艦長、在米国防衛駐在官、第二潜水隊司令、海幕広報室長、海幕情報課長、情報本部情報官、海幕指揮通信情報部長、第二術科学校長、統合幕僚学校長を経て、海上自衛隊呉地方総監を最後に昨年8月退官。

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(2016年4月22日フォーサイトより転載)

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