「子宮頸がんワクチン訴訟」で明らかになった「情報」と「制度」の不足

子宮頸がんワクチン訴訟、問題解決に有効とは思えない。

3月30日、子宮頸がんの発症を抑えるための「ヒトパピローマウイルス(HPV)」ワクチンの予防接種による副作用を訴える女性たちが、国と製薬企業(「MSD」と「グラクソ・スミスクライン」)を相手取って、損害賠償を請求する集団訴訟を提起する方針を明かした。

朝日新聞によれば、原告団に参加するのは、北海道から福岡までの10~20代の女性12人。今後、被害者約500人でつくる「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」と連携して参加者を募るという。薬害エイズやC型肝炎に並ぶ大型薬害事件に発展する可能性がある。

筆者は、この報道を聞いて、暗澹たる気持ちとなった。なぜなら、訴訟が問題解決に有効とは思えないからだ。

確立している「国際的コンセンサス」

民事訴訟の基本は過失と賠償。原告は、国と製薬企業の過失によって、完成度の低いワクチンが出回り、自らが健康被害を受けたことを証明しなければならない。

ところが、これは至難の業だ。なぜなら、HPVワクチンの安全性については、世界的なコンセンサスが既に確立しているからだ。

例えば、2013年6月に世界保健機関(WHO)の諮問機関である「ワクチンの安全性に関する諮問委員会(GACVS)」は、オーストラリアで報告されたワクチン接種後の眩暈と動悸、および日本で報告された5人の慢性疼痛について、「現時点ではHPVワクチンを疑わしいとする理由はほとんどない」という見解を示した。

さらに、「HPVワクチンは世界で1億7000万回超が販売されており、多くの国で接種されている。市販製品の安全性に懸念はないことを再確認した」と総括している。

WHOは医療界の世界最高の権威の1つである。その見解の影響力は大きい。

実は、このような見解を述べたのは、WHOだけではない。昨年11月5日には、欧州医薬品庁(EMA)が、HPVワクチンが安全であるとの声明を出した。この声明の中で、「Review concludes evidence does not support that HPV vaccines cause CRPS or POTS」(HPVワクチンが複合性局所疼痛症候群=CRPS=や体位性起立性頻拍症候群=POTS=を引き起こすことを支持する根拠はないと結論した) という強い論調で副作用の懸念を否定している。

これ以外にも、米国疾病予防管理センター(CDC)、国際産婦人科連合(FIGO)、日本産科婦人科学会が同様の見解を示している。

このように、HPVワクチンの有効性については、専門家の間では、国際的なコンセンサスが確立している。

日本人の研究者の中には、HPVワクチンの副作用の可能性を主張している人もいるが、エビデンス(科学的根拠)相当のレベルの高い論文を出している人はおらず、専門家の間では相手にされていないというのが実情だ。原告団が国と製薬企業の過失を証明するのは至難の業だし、多くの専門家は、そもそも過失は存在しなかったと考えているのである。

証明されていたワクチンの有効性と安全性

実は、これは最近になって分かったことではない。HPVワクチンの安全性と有効性については、かなり早い段階からコンセンサスが確立されていた。大問題となったのは日本だけだ。

例えば、世界的に権威がある医学誌『ランセット・オンコロジー』誌は、2012年1月に「パトリシア試験」(グラクソ・スミスクライン社が実施した治験)のフォローアップの報告を掲載した(オンライン版は2011年11月)。

この臨床試験では、15~25才の女性1万8644人を対象に、HPVワクチンを接種する9319人と、コントロール群として既に承認されているA型肝炎ワクチン(HPVワクチンとは異なるアジュバント=免疫強化剤=を含む)を9325人に無作為に割り付けた。そして、その結果はHPVワクチンの有効性を支持するものだった。

ワクチン接種群で上皮内癌(早期の子宮頸がん)は70%、通常、治療を行うCIN2+以上の前癌病変は60%も減少していた。

性交渉前に接種した女性に限れば、接種群5466人中、前癌病変が検出されたのは1人、上皮内癌を発症した人はいなかった。一方、コントロール群5452人中、前癌病変は124人、上皮内癌は6人で認められた。両群のフォローアップ期間は4年弱である。

この研究では、HPVワクチンによって前癌病変、および子宮頸がんの発症が予防されている。

ちなみに、米国のCDCは、子宮頸がんワクチン導入後、ヒトパピローマウイルスの6、 11、16、18型の罹患率が56%減少したと報告している。このワクチンの有効性を支持するものだ。

また、パトリシア試験では、有害と見なされる事象についても報告している。重篤なケースは、ワクチン接種群では9319人中835人(9.0%)。このうち10人(0.1%)がワクチンと関係すると判断されている。

一方、コントロール群9325人では、829人(8.9%)が重篤な有害事象を発症し、5人(0.1%)でワクチンとの関連が指摘された。発症率で両群に差はない。

以上の事実は、ワクチン後の副作用とされるものの多くが、ワクチンとは直接関係がない可能性が高いことを示唆する。

「メルク社」(MSDの米国の親会社)も同様の臨床研究を行い、その結果を発表している。このような大規模臨床研究を通じ、0.1%程度の頻度以上で起こる副作用については、既に一定量の情報が蓄積されていた。そして、かなり安全であるというコンセンサスができつつあった。

混乱を招いた専門家の「不用意発言」

ところが、日本では、このような情報が国民に伝わらなかった。むしろ、専門家の不用意な発言が混乱を招いたと言っていい。

例えば、2013年3月28日の参議院厚労委員会の答弁で、矢島鉄也・厚生労働省健康局長(当時、現千葉県病院事業管理者、千葉県病院局長)は、「前がん状態についてまでは減らすということですが、最終的に子宮頸がんを減らしたというエビデンスについてはございません」と説明している。この発言がワクチン反対派にお墨付きを与えた。

この説明は事実として間違いはないが、不適切だ。なぜなら、あらかじめ治療や検査の手順が厳密に定められた前向きの臨床試験で、子宮頸がんの減少は証明しづらいからだ。それは、HPVワクチンの臨床試験では、被験者が定期的にがん検診を受けることを前提としているためである。

つまり、検診でもし前癌状態(CIN2+以上)と診断されれば、当然ながら癌に進行するまでに治療される。治療をしないまま臨床試験を続けることは「人体実験」であり、倫理的に許されない。従って、ワクチンによって子宮頸がんの発症が減少したかどうかのデータが得られる前に治療するので、因果関係の証明が難しい。医師免許をもつ厚労官僚である矢島氏は、ここまで説明すべきであった。

世界の恩恵を蒙れない日本人

子宮頸がんは欧米で「マザーキラー」と称されることもある病気だ。好発年齢(発病しやすい年齢)が30~40代のため、多くの母親が子供を残して亡くなるからだ。長年にわたり、世界は子宮頸がん撲滅のため、さまざまな対策を講じてきた。その1つがHPVワクチンの開発だ。

現在も、HPVワクチンの研究は日進月歩だ。世界の関心は、ワクチンの安全性の問題から、男性に如何に接種するかに移行している。男性に接種することで、性交渉によって女性への感染を防ぐこと、および男性でも生じる陰茎癌や咽頭癌などを予防するのが目的だ。オーラルセックスの普及により、HPV感染は女性だけでなく、男性でも問題となりつつある。ところが、このままでは日本人だけが、恩恵を蒙ることができない。世界の進歩から取り残されていく。

強調された「副作用被害」

どうしたらいいのだろうか。私は、今回のことで反省すべき点が2つあると思う。

まずは、メディアが、自らの報道を検証することだ。

私は、我が国のHPVワクチン騒動は、一部メディアが作り出した「冤罪」だと考えている。この点については、以前、別の媒体に寄稿した。ご興味のある方は、お読み頂きたい。

「子宮頸がん患者を『見殺し』にする国と朝日新聞...安全ワクチンの危険性を煽る」(2016年1月16日『ビジネス・ジャーナル』)

本稿では要点だけを述べよう。我が国のメディア報道は、効果と副作用の報じ方について、著しくバランスを欠く。

2016年4月3日現在、全国の新聞記事をほぼ網羅しているデータベース「日経テレコン」を用いて、「子宮頸がんワクチン」で検索すると、大手全国紙5紙は計1036本の記事を配信しているが、このうち「副反応」、あるいは「副作用」を含むのは455本 (44%)だ。この間、WHOに言及した記事は43本、CDCは3本、EMAに至ってはゼロだ。

今回、提訴した「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」が、厚労省に接種中止を求める嘆願書を提出した2013年4月8日以降に限定すれば、合計578本の記事のうち、399本 (69%)が「副反応」あるいは「副作用」に言及していた。読者には世界の趨勢についての情報は提供されず、ひたすら副作用の記事を読まされたことになる。

大手新聞社の中には、いまだに方針を変えていないところもある。今回の提訴を受けた記事で、WHOの見解を紹介したのは朝日と産経新聞だけだった。読売・毎日・日経新聞は取り上げなかった。国民に「正確」な状況を伝えるため、マスコミは、どこかで方向転換しなければならない。

一方、マスコミが方針転換するだけで問題は解決しない。

医師や製薬企業が、「HPVワクチンは安全です」と強調するだけでは、患者は救われない。頻度は低いといえども、ワクチンは重篤な有害事象を引き起こす。HPVワクチンを販売するMSDもグラクソ・スミスクラインの何れも、100万接種当たり30~40件程度の重篤な有害事象が発症することを認めている。

問題は、このような人たちにどう対応するかだ。

ワクチン固有の問題として、「重篤な有害事象」として報告されるものの多くが、ワクチンを打たなくても発症することが挙げられる。

例えば、HPVワクチンでは自己免疫疾患を引き起こすリスクが報告されているが、この病気は、ワクチンと無関係に若年女性に好発することが知られている。HPVワクチン接種後に自己免疫疾患が起こったとしても、ワクチンの副作用とは言い切れない。

米国が取り入れた「無過失補償」制度

どうすればいいのだろう。結論から言うと、予防接種については、副作用であろうとなかろうと、「被害者」を救済するのがいい。

この問題に真摯に取り組んだのが米国だ。かつて、米国は予防接種訴訟に頭を悩ませた。1976年には、インフルエンザワクチン接種後にギランバレー症候群が多発し、集団訴訟となった。

ギランバレー症候群は、ウイルス感染などをきっかけにおこる神経系の免疫疾患だ。ワクチン接種後に発症することが知られているが、多くはワクチンとは無関係だ。

米国の対応は我が国とは違った。長年にわたる国民的議論の末、ある一定の基準を満たせば、ワクチン接種後の障害は、ワクチン接種との因果関係を証明しなくても救済しようと決めたのだ。これを「無過失補償」という。

財源としては、1988年からワクチン1本あたり75セントが上乗せされ、補償の基金に充てられた。

この制度では、訴訟に訴えなくても被害者は救済されるし、一定の手順を踏んでワクチンを開発・販売した製薬企業は免責される。この制度を導入して以降、米国ではワクチン接種率が高まり、公衆衛生レベルは飛躍的に向上した。

今こそ求められる「国民的議論」

私は、薬害問題を根本的に解決するには、すべての国民が助けあう無過失補償制度しかないと思う。

我が国でも、議論は始まっている。2009年から産科事故について無過失補償が開始された。また、厚労省も予防接種法に基づき、予防接種健康被害救済制度を整備している。

ところが、今回のHPVワクチン騒動では、この制度が機能しなかった。多くの方が救済されず、訴訟に踏み切った。財源、手続き、行政責任など、さまざまな要因が絡んでいるだろう。ここを議論し、制度に問題があれば、制度を変更し、運用に問題があれば、運用を改善しなければならない。

いま必要なのは、HPVワクチンが危険か否かの不毛な議論ではない。国民が正確な情報を共有し、バランスのとれた議論をすることだ。そして、ワクチンの副作用だろうが、そうでなかろうが、「副作用」で困っている人々を助ける体制を整備することだ。いまこそ、国民的な議論が必要だ。

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上昌広

特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。

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(2016年4月7日フォーサイトより転載)

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