大ヒット風刺漫画『マンガで読む 嘘つき中国共産党』が生まれた理由--野嶋剛

阿古智子東大准教授は、「祖国に捨てられたという気持ちが作品のエネルギーになっている」と指摘していた。

新潮社から発売された中国人漫画家・辣椒(ラージャオ、中国語で「唐辛子」を意味するペンネーム。本名は王立銘)の『マンガで読む 嘘つき中国共産党』が売れている。今年1月の発売から増刷を重ね、新潮社によれば、発行部数は2万6000部に達した。

この種の中国政治を扱ったものとしては異例のヒットである。売れている理由は、マンガという平易な表現方法で、中国政治の内側を軽妙にわかりやすく語っていることとともに、日本で出版されるいわゆる「反中本」よりも、数段深い読後感を読者に与えるからだ。

それはとりもなおさず、辣椒の描く共産党批判が、自身の体験に根ざしているところが大きい。多くの反中本の「批判のための批判」「本を売るための批判」ではなく、「愛するがゆえの批判」を展開しているのである。

また中国で生活し、実際に言論への圧力を体験した者でしか描けない「被喝茶(お茶を飲まされる=当局に呼び出されて尋問される)」などのリアルな当局とのやりとりも見所がある。「抗日神劇」と呼ばれるスーパーリアルの抗日戦争ドラマへの詳しい解説や、農暦(日本の旧暦)の大晦日恒例のテレビイベント「春晩」の裏話なども普段知ることができない一般民衆の世界であり、読み応えがある。

祖国に捨てられた男

とりわけ本作のなかで私がいちばん面白いと感じたのは、辣椒の家族史だ。戦後の中国で苦労を重ねた人々の人生が凝縮され、深いリアリティと感動を与えてくれる。

辣椒は、1973年、中国の新疆ウィグル自治区で生まれた。文化大革命中、知識人階級だった両親がそこに下放されていたからである。広告会社に勤めながら、2009年から「変態辣椒」というペンネームで政治風刺漫画を描き始めてネット界で人気を呼んだ。

中国語での「変態」は日本語ほど深刻な意味はなく、「特別(すごい)」という意味も持たせられる。

作品の風刺画が当局に目をつけられ、公安部門に何度も拘束され、自身のサイトや中国版ツイッター『ウェイボー』でのアカウントも封鎖された。夫婦で日本に渡航したとき、自身の漫画にネット上で批判が集中していることに気づき、身の危険を感じて中国に戻らないことを選んだ。

本書は日本にとどまる決意をしてから始めた月刊誌『新潮45』に連載された4コマ漫画を書籍化したもので、作品全体から伝わってくるのが、祖国への愛惜と、その祖国を捨てさせた共産党への憎しみだ。

その点について、2月28日に新潮社のイベントスペース『la kagū(ラカグ)』で行われた刊行記念トークイベントで、辣椒と親交が深いジャーナリストの高口康太さんはこんなエピソードを披露した。

「中国で当局の攻撃を受けていたとき、辣椒にインタビューしたのですが、普段は陽気で明るい男が、祖国に捨てられた男の気持ちが分かりますかと、私に向かって語るときだけは涙ぐんでいました」

また、同じくゲスト参加していた、中国の人権・言論問題についてウォッチしている阿古智子東大准教授は、「祖国に捨てられたという気持ちが作品のエネルギーになっている」と指摘していた。

それだけに、その主張は、ときに共産党そのものの全否定となり、現在の中国との関係改善が必要だと考える人にとっては、いささか行き過ぎの感を与えることになるだろう。しかし、その点についても辣椒の見方は、はっきりしすぎるほど、はっきりしている。

「共産党は常に敵を欲している。それが日本だ。そんな共産党がいる限り、真の日中友好はない」

極論ではあるのだが、現状を見る限り、一面の真実を言い当てていると受け止める人も少なくないだろう。

突如「音信不通」に

このトークイベントで辣椒は、自分への迫害、監視は現在も続いていると述べている。

「中国ではいまも、私の漫画をSNSで転載することはとても危険です。ネットで知り合った上海の人が、去年、日本に来て私に会いたいと連絡してきました。私は彼に歓迎する旨を伝えていたところ、そのあと、音信不通になり、半年経ってようやく連絡が取れました。そこで知ったのは、当局によって数カ月も監視されただけではなく、当局の人間が会社までやってきて、銀行やコンピューターの資料などあらゆるものを押収していったというのです。これは彼を日本に来させないための措置で、彼は予約したフライトとホテルを取り消さざるをえませんでした」

個人的な話になるが、辣椒が日本に来てから中国へ帰国できないと考えて途方に暮れていたとき、辣椒の作品を掲載してくれそうないくつかの媒体を筆者が紹介し、記事化されたケースもあった。

そのうちの1つが、辣椒にとって日本メディアから最初に報酬を受け取る作品となった。そのときの原稿料は決してそこまで大きなものではなかったが、本人や奥さんからいたく喜んでもらえたことを思い出す。同時に、記事に対する編集や読者の反応が良かったこともあり、辣椒の漫画は日本でもマーケットを捕まえられるという予感がした。そして、その予感は間違っていなかった。

中国共産党が払い続ける「代価」

辣椒は、中国共産党について、こう語る。

「中国という国家の存在は極東アジアにとって悪でしかありません。第1次世界大戦や第2次世界大戦の時の犠牲者よりも多い自国民を殺しています。このような国家が存在することに意義があるのでしょうか。国内に向けてヤクザな政権は、国外に対してもヤクザになります。日本の反中の声は小さすぎる。共産党を転覆させるべきで、それがアジアの危険要素を取り除くことになります」

辣椒の「針」がここまで振り切れるほど共産党否定に向かわせたのは、辣椒の言論や生活の機会を奪った共産党自身である。

辣椒は必ずしも体制転覆を目指して漫画を描いてきたわけではない。風刺漫画家として活躍できる余地があったなら、いまも中国で漫画を描きながら、中国社会の一員として生きていたはずである。

辣椒の本を読んで、共産党が嫌いになる日本の読者もかなりいるだろう。その影響力は小さくない。体制内の人間を不条理な方法で体制外へ追いやった結果であり、共産党はその代価を払い続けることになる。(野嶋 剛)

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野嶋剛

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2017年3月7日フォーサイトより転載)

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