欧州金融界の巨人、ドイツ銀行が漂流している。直接のきっかけは、米司法省が米国で不適切な金融商品の販売に対し、140億ドル、つまり1.4兆円余りの巨額和解金をふっかけたことだ。元々の経営が揺らいでいたこともあって、たちまち経営不安の悪いうわさが一瀉千里を走った。
国際金融システムの中心に位置するドイツ銀に万一のことがあったら、新たなリーマン・ショックが起きかねないというのだ。
崖っぷちのドイツ銀行
今回の和解金騒動の発端は、2005年から2007年にかけてドイツ銀が米国で販売した住宅ローン担保証券(RMBS)。住宅ローンを多く集めてプールして、債務の優先順位が高いものから切り分けて、投資家に販売したものである。
その中に、焦げ付きが多発したサブプライムローン(信用度の低い個人向けの住宅融資)が含まれていたことで、大騒ぎとなった。米国の住宅ブームがピークを迎えたのが2006年半ばで、リーマン・ショックが起きたのは2008年9月である。まさに、住宅価格が素っ高値のときに、ドイツ銀は住宅ローンを加工した金融商品を大量に、製造販売したのだ。
当然、バブルが崩壊し金融危機が起きれば、焦げ付きが多発する。米国内で社会問題化し、金融機関は攻撃対象となった。ドイツ銀にとって不幸だったのは、米国というよその国で、米国の投資銀行がせっせと稼いでいた、おいしそうなビジネスに「遅れてきた青年」として参加したことだろう。当然、割高でヤバそうな物件を、ババ抜きのようにつかまされる。
悪行に申し開きは出来ないのだが、リストラ途上で経営がふらつく中で、1.4兆円相当の和解金をしょい込まされたのでは、自己資本が底をついてしまう。そう恐れたジョン・クライアン最高経営責任者(CEO)は、ワシントンに飛び米司法省と直談判に出たが、話は物別れに終わった。今まさにドイツ銀は崖っぷちに立たされている。
浮上した「陰謀説」
それにしても、10年も前の出来事を、今ごろになって。そんな疑問を抱く向きも多いだろう。2015年秋に発覚したフォルクス・ワーゲンのディーゼル車の排ガス不正に対する執拗な追及や巨額制裁金の賦課を見ても、米国はドイツ企業叩きを狙っているのではないか。アップルに対し欧州連合(EU)が、 アイルランドに支払うべき約130億ユーロ(約1.5兆円)に及ぶ税金を納めていなかったと判断し、追徴の方針を示したことへの報復ではないのか。そんな陰謀説も聞かれる。「江戸(アップル)の敵を長崎(ドイツ銀)で討つ」という訳だ。
あるいは、米大統領選の共和党候補であるドナルド・トランプ氏の率いる不動産グループのメインバンクがドイツ銀であることに注目し、「その将(トランプ)を射んとすれば、まずその馬(ドイツ銀)を射よ」と解説する向きもある。メインバンクの経営を揺さぶることで、海外融資の抑制、回収に走らせ、借入額の多いトランプ氏のグループの足元を突こうという訳である。
いずれも面白いが、真面目に仕事をしている米司法省に対して、陰謀の片棒を担いでいるなどというのは、失礼というものだろう。ただし、真面目な仕事の中身が問題なのだ。司法省の仕事は正義の実現、というのは青臭すぎる。見逃せないのは、米政府当局の間でし烈になっている、制裁金の獲得競争だ。各政府機関は企業や金融機関に数千億円から兆円単位の巨額制裁金を科すことで税外収入を獲得し、役所としての得点を稼ぐとともに、有権者の支持を獲得してきた。
米司法省のこれまでの記録は、仏銀最大手のBNPパリバに対する89億ドル(当時の相場で約9000億円)。パリバは米国が金融制裁の対象としたスーダンやイランとの間でドル送金などの金融取引を続け、その事実を隠していた。それが罪状である。
オランド仏大統領は「制裁は過剰で不公正」として、オバマ米大統領に再三抗議したものの、オバマ氏は馬耳東風だった。米司法省のホルダー長官(当時)は、「米国で業務を継続したいのなら、テロ支援国を制裁する米国の法律に従わねばならない」と語った。ヤクザの親分が神社の境内で夜店を広げるテキ屋に「みかじめ料」を要求するような言いぶりではないか。
「投資銀行」に導いたCEOの末路
ドイツ銀が蟻地獄に落ちたのは、自らのビジネスモデルにその原因の一端がある。ドイツ銀は、ドイツ本国で圧倒的な力を持つユニバーサルバンク(総合金融業)だった。その路線を貫いていれば、今も最優良の金融機関でいられたに違いない。ところが、米国の投資銀行が一世を風靡した1990年代の後半以降、そのかじを投資銀行へと大きく切った。路線の転換はスイスの最大手行UBSなど、他の大手欧州金融機関と似る。
1990年代にドイツ銀の最高経営責任者(CEO)を務めたロルフ・ブロイアー氏は、投資銀行業務を強化しようと、英モルガン・グレンフェルや米バンカース・トラストを次々と傘下に収めた。デリバティブ(金融派生商品)に強かったバンカース・トラストの買収は象徴的だったが、経営の軸足はまだ国内の商業銀行にあった。
ドイツ銀が決定的に投資銀行へと変貌するのは、2002年にCEOに就任したヨゼフ・アッカーマン氏の下でのことである。アッカーマン氏は典型的な投資銀行家で、経営路線の対立からスイスで第2位のクレディ・スイス頭取の座を追われた過去を持つ。その汚名を雪(そそ)ごうとばかり、ドイツ銀の舵をグローバルな投資銀行の方向へと切った。
折からの金融ブームに乗り、その路線は大成功したかにみえたが、無理が伴っていたのだろう。今回、米司法省が和解金を求めたRMBSの販売がその時期に重なっている。そして2008年のリーマン・ショックが同行を襲う。アッカーマン氏は株主からの突き上げを受け、2012年にドイツ銀を去る。監査役会会長に就任し、経営を維持したいと考えたが、果たせなかった。
同氏には後日談がある。故郷であるスイスに戻り、スイス最大手の保険会社チューリッヒ・インシュアランス・グループの会長として、復活を期そうとした。しかし、ピエール・ボーティエ最高財務責任者(CFO)が2013年8月26日に スイスのツーク近くにある自宅で死亡しているのが発見された。遺書にアッカーマン氏への言及があった。
アッカーマン氏は3日後にチューリッヒの会長を辞した。ブルームバーグ通信によると、「自殺に追い込んだ責任の一端がアッカーマン氏にあるのではないかという見方が浮上し、バンカーとしての35年のキャリアに影を落とした」というのだ。公平を期すために、アッカーマン氏が責任説については「事実無根」と一蹴していることは、申し添えて置こう。
「CoCo債」の危険性
ドイツ銀に戻ろう。後を襲った投資銀行部門トップのアンシュ・ジェイン氏とドイツ国内部門トップのユルゲン・フィッチェン氏は、共同CEOとして立て直しに努めた。待ち受けていたのは不祥事の後始末とリストラの仕事だった。英国での銀行間取引金利(LIBOR)操作から、米国での金融商品の不正販売、大手伊銀モンテ・デイ・パスキ・ディ・シェナの決算操作絡みのデリバティブ販売に至るまで、ドイツ銀は不祥事のデパートといわれる状況に陥っていた。
敗戦処理の成果を挙げられぬまま、その2人も2015年にはドイツ銀を追われた(注・退任発表は同年だが、フィッチェン氏のみ正式な退任は2016年5月)。2人の後任には、スイス金融大手UBSの金融トップだったクライアン氏が、2015年7月に就任した。クライアンCEOは、思い切った従業員削減、店舗閉鎖、不良債権処理によって、経営立て直しの短期決戦に打って出た。その結果、2015年は68億ユーロと8000億円近い赤字決算となった。
この決算が今年2月、欧州金融市場を揺さぶる第一波のドイツ銀ショックの引き金となった。赤字決算そのものは、市場関係者の想定の範囲内で、腰を抜かすようなものではなかった。問題はドイツ銀が自己資本をかさ上げするために発行していた、CoCo債(偶発転換社債)という特殊な債券である。この債券は普通の債券に比べて利回りが高い代わりに、財務内容が一定以下にまで悪化すると株式に転換する代物である。
ドイツ銀のネームに幻惑されて「美魔女」のような債券をしこたま買い込んでいた投資家はつんのめった。ドイツ銀の赤字決算を機に、利回りがストップしたら大ごとだ、とばかりにパニックが起きた。ほかでもない。ドイツ銀以外の多くの欧州銀も、自己資本をかさ上げする狙いでCoCo債を発行していたからだ。しかも、そのような紛らわしい債券の発行を勧めていたのが、欧州の金融監督当局というのだから、何をかいわんやである。
ここで、欧州当局のために弁じておけば、(1)銀行の自己資本をかさ上げするのに役立つ(2)損失が発生した場合は投資家の責任において損失を吸収できる(3)従って銀行救済のための税金投入が節約できる――という一石何鳥もの効果を、CoCo債は発揮するはずだった。もちろん、そんな皮算用など、捕らぬ狸もいいところ。いざとなったら、投資家を浮足立たせ、金融不安を増幅しかねないことは、子供が考えても分かりそうなものだし、案の定そうなってしまった。
蜘蛛の巣のように絡まるリスク
ドイツ銀は2月の信用不安をひとまず乗り切った。クライアン氏は経営立て直しを急ごうと、世界中の投資家を訪ねて回った。幸いにも2016年に入ってからは黒字決算を記録している。さあこれからだ、という時に米司法省から銃弾が放たれた。繰り返すが、140億ドルもの和解金を払わせられたら、ドイツ銀の自己資本は喫水線を下回り、今度こそ本物の経営危機に陥ってしまう。
ドイツ銀が辛いのは、欧州中央銀行(ECB)によるマイナス金利政策によって、本業の融資の利ザヤが大幅に低下していることだ。国際部門や市場部門を縮小し、商業銀行部門に帰りなんとしても、ドイツを中心とした欧州の銀行業務は「田園まさに荒れなん」としているのだ。ドイツ銀ばかりでなく、ドイツ第2位のコメルツ銀行が大規模なリストラを余儀なくされたのをみても、ドイツの金融界はぎりぎりのところに追い詰められている。
1990年代末から2000年代初めの日本をみるような銀行の惨状。思い切った不良債権処理をして、政府が公的資金を注入するほかないが、メルケル首相は公的資金注入には否定的だ。まず債権者が詰め腹を切って、つまり損失を負担しなければ公的資金には応じられないというのだ。何という既視感。当時はルービン、サマーズ両氏ら歴代の米財務長官が日本政府の対応の遅れに業を煮やしたが、今はルー財務長官がドイツへの批判のボルテージを強めている。
当時の日本は米財務省の叱責にオロオロし、遅ればせながら大手行の不良債権問題を処理したが、今のドイツを率いるのは鼻っ柱の強いショイブレ財務相である。ルー長官がドイツを念頭に欧州銀の資本拡充の必要を強調すれば、余計なお世話だと突っぱねている。嗚呼、その間隙をヘッジファンドなど投機筋に突かれなければよいのだが。
国際金融界にとって悩ましいのは、かつての日本の銀行と違って、ドイツ銀はグローバルな金融システムのど真ん中に位置していることにある。国際通貨基金(IMF)によれば、ドイツ銀は国際金融システムに及ぼす影響が最も大きい。そして、リスクは蜘蛛の巣のように絡まっている。その銀行が火を噴いたら、国際金融が大揺れになるのは必至である。解散時期は年末か年初かなどといったコップの中の政局談議に耽っているうちに、世界経済はいま危ういところに立たされている。
青柳尚志
ジャーナリスト
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(2016年10月18日新潮社フォーサイトより転載)