「移民論議」から逃げる安倍内閣が残す「大きなツケ」

今、真剣に移民政策を議論しないで、外国人を受け入れていけば、間違いなく「なし崩し」で移民が常態化するに違いない。だが、これは1970年代にドイツが直面した問題を日本でも繰り返すことになる。
時事通信社

「安倍政権は、いわゆる移民政策をとることは考えていません」

10月1日の衆議院本会議。安倍晋三首相は、次世代の党の平沼赳夫党首の代表質問に答えてこう述べた。アベノミクスで推進しようとしている外国人労働者の受け入れ拡大は、首相に言わせれば、「多様な経験、技術を持った海外の人材に日本で能力を発揮してもらうもの」という位置づけで、決して移民受け入れを考えているわけではないというのである。

残念ながら、安倍首相のこの答弁は「逃げ」である。日本を世界で最もビジネスがしやすい国にする、グローバルに開かれた国にすると言いながら、移民論議はしないというのだ。もちろん、多くの先進国で移民政策の失敗によって様々な社会問題が引き起こされてきたのは事実だ。だが一方で、日本では生産年齢人口が32年ぶりに8000万人を割り込み、人手不足が顕在化し始めた。労働力の不足は今後ますます顕著になる。だからこそ、移民政策について議論をしなければならない時期なのに、安倍首相は自らそれを封じたのである。

日本の文化・風土を守るためには、移民は絶対に受け入れてはならない――。安倍首相のシンパである右派の人たちはこう言う。安倍首相が「移民政策は取らない」と明言したのも、こうした自らの支持者に気を配ったからに違いない。だが、本当に移民論議を排除することが日本を守ることになるのだろうか。

過去2回の"教訓"

1980年代後半のバブル期には、建築現場はイラン人などの外国人労働者で支えられた。ホテルの厨房の裏方には日本人の姿は無かった。コンビニや居酒屋は外国人店員が当たり前だった。だが彼らは皆、バブルの崩壊と共に国に帰っていった。

2000年代に入ると、今度は自動車や電機などの輸出産業の工場は、日系ブラジル人などの外国人が支えた。漁船の乗組員の多くもインドネシア人などだった。キツイ、キタナイ、キケンのいわゆる3K職場で働く日本人は少なく、そうした現場は外国人が支えた。だが彼らも、2008年のリーマンショック後の経済縮小で、多くが国に帰っていった。

バブルの崩壊やリーマンショックが無ければ、間違いなく日本で移民法制の整備は進んだだろう。いわば、なし崩しで移民を認めざるを得なくなったに違いない。

そして、今回は3度目だ。2020年の東京オリンピックに向けて、建築現場やサービス産業の人手不足は間違いなく深刻化する。にもかかわらず、真正面から移民論議をせずに、外国人労働者を受け入れようとしている。オリンピック景気が終われば、過去2回のようにそれぞれの国にお引き取り願おうということだろうか。リーマンショック後と同じように、奨励金を出して帰国させるのか。

だが、過去2回と違って、日本人自身の働き手がどんどん少なくなっているのだ。日本の生産年齢人口が急速に減る中で、外国人なしに経済が回るのか。逆に言えば、人手が大幅に減って回る経済とは、いったいどれほどの不景気なのか。

ドイツが直面した問題

今、真剣に移民政策を議論しないで、外国人を受け入れていけば、間違いなく「なし崩し」で移民が常態化するに違いない。だが、これは1970年代にドイツが直面した問題を日本でも繰り返すことになる。

ドイツは経済成長期の人手不足をトルコ人移民に依存した。イスタンブールから自動車工場などが並ぶドイツ南部の都市へ、定期運行のバスが走り、多くのトルコ人をドイツへと運んだ。工場労働だけでなく、ごみ収集や建築現場など、ドイツ人の若者が嫌う底辺の労働をトルコ人が担っていった。かれらは都市近郊に集住し、ドイツ人とは一線を画したコミュニティを作っていった。

その後、景気が悪くなると、トルコ人移民はドイツの頭痛の種になった。ドイツ語も満足に話せない彼らは、他の仕事に就けず、生活保護に頼っていった。そして、その子供たちも十分な教育を受けることなく、生活保護で生きるという悪循環が始まったのだ。当然のように治安が悪くなり、移民への反発は高まった。移民排斥を掲げる極右政党も台頭した。なし崩しに安い労働力を入れたツケが回ったのだ。

日本で移民政策に反対する人の多くは、こうしたドイツの例を良く引く。だが、現実にはその後、ドイツは移民政策を大きく変えている。「移民の"ドイツ人化"」である。移民がドイツ社会の一員となるよう子供の頃から徹底してドイツ語を学ばせ、人種は違ってもドイツ国民として暮らしていくことを求めたのである。移民を早期にドイツ社会に融合していくことで、社会問題を解決しようとしているのだ。

不足している「3K職種」の人材

多くの先進国が、移民を受け入れるに当たっては様々な条件を課している。医師や研究者、大学教授、専門技術者などの「高度人材」は、各国が競って受け入れを進めている。二重国籍を認めている国も多い。自国民を教育して育てるだけでは世界の競争に勝てる優秀な人材は賄えないと、多くの先進国が割り切っているのだ。日本の世論もそうした外国人高度人材の受け入れについては拒否感が少ないこともあり、政府や法務省などは高度人材受け入れを推進している。安倍首相が本会議で答弁した「多様な経験、技術を持った海外の人材」の受け入れを拡大するというのもこの流れに沿っている。

一方で、日本で不足しているのは、「高度人材」とは呼びにくい職種の人たちだ。建築現場の作業員や工場の生産ライン、農作業従事者、介護職員、看護師、外食産業の従業員。これらの職種では、様々な現場で人材が不足している。これに対して、「研修名目」の拡充などで外国人の受け入れ数を増やそうとしているのが日本の現状だ。いわゆる高度人材と違い、全国的にニーズがある職種だけに、必要な人員の数もケタが違う。これをなし崩し的に行っていけば、いずれかつてのドイツのような混乱が起きかねない。

世界が奪いあうような高度な人材を日本につなぎとめるにせよ、慢性的に人手が足らない分野に外国人を受け入れるにせよ、短期の出稼ぎとして数年後に帰ってもらうことを前提とするにせよ、まず大事なのは、国としての移民政策に対する姿勢を明確にすることだ。そのうえで、移民や移民の子弟に対する教育を充実させ、日本社会に融合させていく政策を明確にしなければ、各国の失敗を繰り返すことになる。日本の文化と社会を守るためにも、移民政策をタブー視せず、きちんと議論し、その場しのぎの対応ではなく、方針を明確にすることが必要だ。足元の批判を恐れて移民議論を避ける安倍首相の姿勢は、間違いなく将来に禍根を残すことになる。

日本に魅力がなくなった?

もう1つ、移民論議に向き合わないことによって顕在化するリスクがある。日本に魅力を感じてくれる外国人がいなくなるリスクだ。移民受け入れを躊躇しているうちに、誰も移民したいと思わない国になってしまう懸念が現実化しつつあるのだ。

民主党のある大臣経験者がフィリピンを訪問した際のこと。フィリピン政府の高官と、日本の外国人労働者の受け入れ問題に議論が及んだという。日本にもっとフィリピン人の受け入れを求めるのではないかと高をくくっていたところ、この高官は泰然自若とした態度でこう言ったという。

「日本も人口が減っているのですから、そのうち、お願いだからフィリピンから人を派遣してくれと言い出すに違いありません」

元大臣氏はすっかり足元を見透かされた気分だったという。

ドイツは今も移民を受け入れているが、トルコ人は大きく減少している。トルコ経済が大きく成長して、わざわざドイツに移民する魅力が減退したのである。経済成長が始まると、先進国にいるよりも自国にいる方が成功するチャンスが多い。グローバル化でどんどん豊かになっていくに従って、外国に移民しようと考える人の数自体が減っていく。日本が外国人にとって魅力的な国であり続けなければ、誰も働きにやって来て、移住しようとなど考えなくなるのだ。それが遂に日本で働いてきたブラジル人社会にも起き始めていると、ジャーナリストの出井康博氏がフォーサイトの連載「『人手不足』と外国人(3)日本を去る『日系ブラジル人』たちの言い分」(2014年10月6日)で指摘している。

すでに剥がれているメッキ

こうした外国人にとっての魅力喪失に、円安でさらに拍車がかかるのは間違いない。これまで日本で働いて得た給与は、円高によって現地通貨に換算した場合の金額が大きくなっていた。外国人労働者にとっては、この「"為替"高給」は大きな魅力だった。ところが、アベノミクス以降の円安で、日本の給与は決して高くなくなった。20年にわたるデフレの影響で、日本の賃金も物価も世界水準からみて大きく下落していたのである。それが円高によって隠されていたのだが、一気にメッキが剥げたのだ。日本円の給与で日本で生活するならともかく、出稼ぎで本国に送金しようと思うとまったく魅力がない金額になりつつあるのだ。

誰も日本に見向きをしなくなってから真剣に移民政策を議論し始めても、時すでに遅しである。安倍首相の「逃げ」によるツケは大きい。

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磯山友幸

1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)などがある。

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(2014年10月9日フォーサイトより転載)

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